福島第一原発観光地化計画の哲学(5) 震災後、神を描きたくなった(前篇)|梅沢和木+東浩紀

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初出:2014年10月16日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #23』

バーチャルの隙間から現実が見える


東浩紀 インタビューシリーズの第5弾は、現代美術家の梅沢和木さんにお話をうかがいます。まずは個人的なところからうかがいたいのですが、梅沢さんにとって3.11はどのような経験だったのでしょう。

梅沢和木 予想外の出来事で、大きな衝撃を受けました。震災が起きた瞬間は、蒲田のビジネスホテル「ホテルサンライン蒲田」で、カオス*ラウンジ★1のメンバーと、まさに泊まり込みで制作をしている最中でした。ビジネスホテルのインテリアをカオス*ラウンジで装飾して、アートな部屋に泊まれるようにしようというプロジェクトだったんです★2

インタビューに応じる梅沢和木


 いきなり大きな揺れがあり、テレビを見てみると深刻な被災状況が報道されており、外にでると蒲田駅前はひとで溢れかえっていた。制作はまだ続いていたのですが、おそらく多くのひとがそうだったように、それまでの作業が手につかなくなってしまいました。数日経って、周囲のひとといろいろな話をしたり、進まないながらも制作を続けていくなかで、ふと「自分はいままでどおりには作品をつくれないのだ」と気づかされました。

 具体的にうかがえますか。

梅沢 まず「いままでどおり」とはどういうことかというと、ぼくの作風は、現代美術のなかでもいわゆるサブカルチャー寄りで、村上隆さん★3や会田誠さん★4と同じようなジャンルに分類されるものです。実際の制作では、インターネット上の画像をデジタルで再構成してイメージをつくるという手法を取っていて、これは自分にとってごく自然なものでした。

 いまの作風が固まるまでには、そもそも絵画をやるべきなのか、あるいは映像表現を突き詰めるべきなのか、などと迷っていた時期もあります。それが2008年に武蔵野美術大学を卒業するあたりから作風が固まり、このやりかたでどんどん作品をつくっていこうという気持ちになりました。2010年には黒瀬陽平さん★5、藤城嘘くん★6とやった高橋コレクションの展示★7がかなり盛り上がり、自分の方向性には疑いを持っていなかった。そういうタイミングで3.11を経験したんです。自分が好きなものに対して享楽的・快楽的にダイブするばかりでいいのか。変えていくべきなのだとすれば、そこでモチーフやテーマはどうすべきなのか、と疑問が膨らんでいきました。

 震災をきっかけに、自分の感性や美学だけを頼りに作品をつくることが難しくなった。

梅沢 そういう言い方もできるのかもしれません。また、震災が起きなくても、いずれ限界に達したのではないかと思います。作家は同じかたちのもの、同じテーマのものばかりをつくることはできませんからね。

 梅沢さんの作品は、キャラクターをデータベースに分解し、また再構成することでバーチャルな世界を構築するものです。それが震災に直面したことで、軸足がバーチャルからリアルに移った、と言っていいのでしょうか。
梅沢 そうですね。ただ、移行はスムーズには進みませんでした。東さんから、コラージュの素材として震災の画像を使うのはどうかというアドバイスもいただいていましたが、それをやるべきなのかについては悩まされました。悩みながら、すこしずつリアルとバーチャルが混ざりあっていったような感覚です。それは、自分のなかにない要素を外側から取り入れていく作業であり、芸術家として成長するためにはいずれやらなければならない作業だったのだと思います。それが震災によって、半ば強制的に進んでいった。

 震災が起きてからはTwitterなどを見ていても、以前のようなキャラクターの画像は少なくなり、瓦礫の画像ばかりが目に入る日々が続きました。ぼくがよく見ているまとめサイトの管理人さんが、自分の出身は福島で、震災を受けてしばらく実家に帰っていました、というやりとりを目にしたこともあります。それは、いままでのバーチャルな空間に、突然リアルが入り込んでくるような経験でした。惰性で見ていたバーチャルなコミュニティから、現実がにじみ出てくる。ふだんはリアルについて書かないひとたちが、それを書かざるをえないような状態になっていた。「ウェブの風景」の変化は、震災の経験のなかでも非常に大きなものとして受け止めています。

「キメこな」という女神


 梅沢さんと震災の関係を語るうえでは、やはり「キメこな問題」に触れざるをえません★8。簡単に経緯を確認しておくと、たまたま震災前日の3月10日、ぼくから梅沢さんに対し、ゲンロンの新しいオフィスに飾る絵を描いてくれないかとお願いしていた。その段階では1m四方ぐらいの小さな作品だったんですね。それが翌日の震災を経て、当初の構想とはテーマも規模も変わらざるをえなくなり、結果として2m×5mの巨大な作品《うたわれてきてしまったもの》完成する。しかし完成直前に、作品のなかに画像引用があったことからネットで批判を受け、一部界隈では大きな騒動になりました。村上隆さんやピクシブまで巻き込んだ騒動になっています。

 さきほど3.11そのものが衝撃だったことはうかがいましたが、梅沢さんはそれとほぼ同時期に、ネットで総叩きに遭うこちらの騒動も経験している。黒瀬陽平さんが「福島第一原発観光地化計画展」でその両者を重ねたように★9、あの事件が梅沢さんをはじめとするカオス*ラウンジの作品に与えた影響は大きいと思います。

 いま振り返って、あのときの炎上事件についてはどう思われますか。

梅沢 当時は、ただただショックでした。自分の意見を表明するために文章も書きました★10。しかし、あの当時の自分のつぶやきなどを遡って読んでみると、正直目も当てられないようなことを言っていると思う部分もある。ただ、この事件がなければ、いまの自分の作品はなかったというのも事実です。

 自画自賛のようになりますが、《うたわれてきてしまったもの》はとてもよくできた作品です。外部のコミュニティからのイメージの引用の仕方、それを配置した全体の構図など、奇跡的にバランスが取れてしまっている。当時書いたように、この作品は女神を描こうとしています。自分にとってはじめての試みでした。

 キャラクターというのはもともと神みたいなもので、はじめから生きてもいないし死んでもいない。ぼくがやったのは、そのパーツを集めて再構築して、自分だけの神をつくる、という作業です。これはそれまでに手がけてきた作品のコンセプトとも親和性がきわめて高いのですが、当時はそれについては自覚しておらず、ひたすら手を動かしていましたね。

 われわれが経験した3.11という災害を、われわれとは別次元に生きる神と組み合わせることで表現した結果、《うたわれてきてしまったもの》の奇跡的なバランスが成立した。いま同じものをつくろうとしても、とてもうまくいかないだろうと思います。

 震災がきっかけで、それまで浸かっていたスーパーフラットなデータベース的世界から離れ、神という新たな主題に向き合ったということでしょうか。それとも、作品をつくってから事後的に気づいた?
梅沢 あとから気づいたというのが正確ですね。それまでは、本当に作家として赤子に近い状態というか、無意識の命ずるままに、欲望に従ってつくっていたんです。それが震災以降、全体のバランスや配置、モチーフなど、良くも悪くもいろいろ考えながらつくるようになりました。だからこそ、かつての作品にはあって、いまの作品に欠けているところもある。自分としては、理知的に作品を構成しながら、感覚的な側面も取り出したいと思っています。《うたわれてきてしまったもの》はさまざまな条件が整って、それがとてもうまくいった作品です。

 それと、ネットでの炎上については、ある種得がたい経験でもあったと思うんです。いまは炎上事件がとても頻繁に起こっていますよね。あら探しのゲームに熱中するひとが多く、それに対して冷ややかな視線も注がれているような情況です。いま報道されている多くの炎上事件を見ていると、対象となったひとは肖像権などないかのように、どんどんコラージュされていく。その感覚をこれほど当事者性とリアリティを持って感じられるひとは、なかなかいないのではないかと思います。

絵画の力


 少し時間を戻したいのですが、梅沢さんが最初に被災地に入ったのはいつでしょう。

梅沢 2011年の5月頃ですね。黒瀬さんが発案し、カオス*ラウンジのメンバーで車を借りて行きました。訪れたのは仙台空港やその周辺で、はじめて見る風景にすごくショックを受けました。なにもかもが壊れ、瓦礫が大量に積み重なっている。その実物を前に、とにかく口を開けて見ているしかなかった。

 当時は復旧作業も進行している最中で、空港と海側をつなぐルートにはつねに車が行き来していました。そもそも自分たちが入っていいような場所なのかもわからない。当時はまだ規制もなされていなかったので、海のそばにも自由に行けました。まだ法整備がなされていない場所、とでも言うべき状態でした。

 仙台空港は限定的に機能を回復しており、少ないながらも毎日発着便がありました。そのため、滑走路もきれいに整備されている。空港の周辺と対比すると、人間の力が行き届くところと、まだ手つかずな場所がはっきりと分かれていたのが印象的です。まるでRPGのマップのように、切り替え地点を通り過ぎるとまったく違う風景が広がっている。とくに仙台空港の周辺では、そのコントラストが顕著でした。そこにはひとの意識が明確に現われていて、道路などの優先的に復旧される場所と、いつまでもなげうたれたままの場所が並んでいました。

 震災後に作品への意識が変わり、計算して描くようになったということですが、その変化に被災地で見た風景は関係していますか。

梅沢 そうですね……自覚していませんでしたが、普段からなにかを見たり、感じたりしたときには、それをまず分析し、自分のなかに蓄積するように癖をつけているので、なんらかの影響はあるのだろうと思います。いま考えると、キャラクターや画像をばらばらにして再構築する自分の手法と、崩壊してしまった瓦礫が頭のなかで重ねられて作品に少しずつ反映されていた気がします。

 震災に対して、美術ができること、やるべきだったことはどんなことだと思いますか。

梅沢 アートというのは、薬のサプリメントのようには効かないものだと思うんです。作品をつくっても、それがすぐに見たひとに効果を発揮することは少ない。もちろん、絵を見て癒やされたり、感情を動かされたり、ということはあるでしょう。しかし一般にアートは、もっと長いスパンで機能していくものだと思います。

 震災から10年、20年と時間が経つうちに、放っておいたら忘れられてしまうものを、創作物としてとどめ、記憶していく。美術には、そういうモニュメントのような役割があるはずです。自分もそういうことをやっていると意識していますが、だからこそ叩かれもする。「お前の作品は多くのひとにとってどうでもいい」「オタク文化からの搾取であり、オナニーにすぎない」という批判は、同時代的に見れば当たっているんです。いまの時点で、それに反論することは難しいし、意味が無い。

 同時代の観客よりも未来の観客を意識すると。

梅沢 そうですね。その意識は以前からありましたが、観光地化計画に参加してより強化された面があります。先ほども言ったように、いま自分が映像や絵画などさまざまな表現形態のなかであえて絵を描くことを選んでいるのは、絵画が一番、後世に対する影響力が強いと思っている側面があるからです。映像は残るかどうかがわからない。サブカルチャー的な欲望で絵を描くことが、歴史を留めるうえで重要な役割を果たすのではないか、と考えたんです。

 もちろん、同時代にもぼくの作品を評価してくれるひともいます。現代美術に興味のあるひとは少数ですが、それでも作品を後世に残そうとしてくださっているかたがたくさんいらっしゃる。震災の記憶を残そうというときにも、絵画として語り継ぐことの意味を感じています。

あえて空間を描く


 『福島第一原発観光地化計画』を書籍にまとめるにあたり、梅沢さんには表紙画像の《ツナミの塔》を制作していただきました。この作品に込めた思いを、あらためてうかがえますか。
梅沢 3.11を主題とした作品はいくつもつくっていましたが、その集大成という位置づけでした。震災前の作品はバーチャルで、空間性がない。それが、《うたわれてきてしまったもの》や《とある人類の超風景》のように、震災をイメージした作品を手がけるころがきっかけで、作品に空間性が生まれていった。《ツナミの塔》では遠近法を使って立体感を表現したり、手前をぼかしたりして、本当に立体的に見えるように描きました。しかもパーツとしては、瓦礫の写真やサブカルチャー的なイメージも入ってる。ぼくにとっては挑戦的な試みでした。

 空想の世界を描いていても、ちゃんと地面や建物を描き込んでいくと安定感が生まれて、見ているひとも入り込みやすい。しかしぼくはあえてそれを避け、空間性がない作品をつくってきました。ぼくの場合はキャラクターを使っているので、「これはヒトかな」とか、「ここが目かな」ということが見てるひとのなかでいくつか引っかかり、絵のなかに独自の空間性をギリギリ見つけられる。もっと抽象的に表現する作家の場合は、多くのひとにとって入り込めない作品になってしまう。このバランスは非常に難しい。

 もっと大きく考えると、いまでは当たり前になっている透視図法も、人類の歴史のなかではごく最近生まれたものです。パースを前提にした遠近法的なものの見方自体が、たまたまいま主流であるにすぎない。そういう経緯があったので、《ツナミの塔》であえて、地面にものを立たせるという構図を描いたのは、いままで自分に課してきた縛りを破る行為でもあり、すごく新しい挑戦になりました。

《ツナミの塔》


 震災をきっかけに、神や現実だけではなく、空間も発見したと。

 むしろ、震災前の梅沢さんはどういう感覚で世界を認識していたのか、そちらに興味が向いてきます(笑)。

梅沢 本当になにも知らない、赤子のようなものだったと思います。ぼくはもともと自意識の目覚めが遅く、あまり小さい頃の記憶がないんです。小中学校ではうまくしゃべれず、からかいの対象でした。美術家としていろいろ本を読んだり、調べてみたり勉強はしているつもりですが、地理や土地の名前など全然知らないし、震災がきっかけで把握できたものばかりです。自分の興味のあること以外は、本当になにも知らなかった。震災があってようやく、それが本当は自分にも無関係なことではないとわかりましたが、それ以前にはまったく無関心でした。ひとつのことに打ち込めるというのはクリエイターとしては利点ですが、それ以外のことはなにもできなかった。震災自体はとても悲しい出来事ですが、ぼくと同じように、これがきっかけで世界との向き合いかたが変わったひとは少なくないはずです。


2014年8月13日 東京、ゲンロンカフェ
構成・撮影=編集部
後篇はこちら

★1 梅沢と美術評論家の黒瀬陽平(★5参照)、現代美術家の藤城嘘(★6参照)を中心とするアーティストグループ。2008年に藤城が立ち上げた「ポストポッパーズ」を前身とする。美少女ゲームや萌えアニメなど、オタク文化に影響を受けた作品が多いことが特徴。
★2 東京都大田区のビジネスホテル「ホテルサンライン蒲田」で2011年から約1年間開催された企画「カオス*サンライン」のこと。カオス*ラウンジのメンバーが全面的に装飾した部屋を、宿泊施設として実際に利用することができた。
★3 1962年生まれの現代美術家。有限会社カイカイキキ代表取締役。日本のサブカルチャーを踏まえた作品で世界的に評価が高く、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションやベルサイユ宮殿での展覧会など数々のプロジェクトを成功に導いている。
★4 1965年生まれの現代美術家。美少女や戦争画など幅広い題材を取り上げる独自の作風で知られる。2013年には森美術館で個展「会田誠 天才でごめんなさい」を開催し、その過激な表現が市民団体から抗議を受けるなど賛否両論を巻き起こした。
★5 1983年生まれの美術評論家。2008年に「キャラクターが、見ている。」(『思想地図』vol.1所収)でデビュー。アニメや現代美術の批評に加え、カオス*ラウンジの中心メンバーとして精力的に活動している。著書に『情報社会の情念』(NHKブックス)。
★6 1990年生まれの現代美術家。高校時代からpixivなどのネットを中心に活動を開始し、カオス*ラウンジの立ち上げにあたって中心的な役割を果たした。主な個展に「モストポダン」(2010年)、「キャラクトロニカ」(2013年)など。
★7 2010年4月に行われた展覧会「カオス*ラウンジ2010 in 高橋コレクション日比谷」のこと。村上隆による支援や出展もあり、カオス*ラウンジの注目度が上がる大きなきっかけとなった。この成功を受けて、12月には同じく高橋コレクションで展覧会「【新しい】カオス*ラウンジ【自然】」も開催されている。
★8 2011年5月に起こった、梅沢の作品《うたわれてきてしまったもの》をめぐる一連の騒動のこと。ゲンロン(当時はコンテクチュアズ)会議室の壁面を飾るために描かれた梅沢作品の中央に、匿名画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」から生まれたキャラクター「キメラこなた」(キメこな)が配されていたことで、おもに著作権侵害の観点から批判が集まり炎上状態となった。キメこな自体が既存作品の二次創作であり、「ふたば☆ちゃんねる」の投稿者たちも著作権を有しているわけではないが、掲示板内で生まれた創作物を商業的に利用することの是非が問われた。
★9 2013年12月に開かれた「『フクシマ』へ門を開く:福島第一原発観光地化計画展2013」において、第二会場は2036年にふくしまゲートヴィレッジが建設されたあと、隣接する敷地に開かれた超高層ビルの最上階VIPラウンジと設定され、梅沢の《うたわれてきてしまったもの》と、「カオス*ラウンジ(文房具)宣言」が相対するように展示された。これは、キメこな騒動の結果「カオス*ラウンジ」の商標をネット上のアンチに取得され、やむなく文房具としての商標を取得した現状を逆手に取った自己パロディの構造になっている。
★10 2011年5月24日に自身のブログ「梅ラボmemo?」に投稿したエントリ「うたわれてきてしまったもの」のこと。作品の制作に至る経緯や心情が率直な筆致で綴られている。

梅沢和木

1985年生まれ。美術家。武蔵野美術大学映像学科卒業。ネット上の画像を集め再構築し、アナログとデジタル、現実と虚構の境目を探る作品を制作し発表している。2013年に「LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで」、2019年に「百年の編み手たち―流動する日本の近現代美術―」などの展示に参加。2010年に個展「エターナルフォース画像コア」、2018年に個展「neo X death」を開催。CASHIおよびカオス*ラウンジに所属。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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