招魂と鎮魂の『平家物語』──「禍の時代を生きるための古典講義」第2回 安田登 聞き手=山本貴光|ゲンロン編集部

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ゲンロンα 2020年5月22日配信

 コロナウイルスによって、世界は大きく変わろうとしている。世界史上、疫病はつねに人類の傍らにあり、絶えず人間を脅かすものだった。「わざわい」のなかで人々はどのように生きていたのか。過去の人々の遺した書物を読み解くことで、現代に生きるわれわれへのヒントが見えてくるのではないだろうか。  ゲンロンカフェでは2020年4月より、下掛宝生流の能楽師である安田登と、その謡の稽古にも参加している文筆家・山本貴光の両名による連続講義を映像配信している。4月の第1回では『古事記』を取り上げた。  5月20日、第2回のテーマは『平家物語』。今回は琵琶奏者・塩高和之氏にもご登壇いただき、実演を交えた刺激的な講義となった。『平家物語』にどっぷり浸れる贅沢な2時間半、その一部をお届けする。  ※本イベントのアーカイブ動画は、Vimeoにてご視聴いただけます。こちらのリンクからお楽しみください。(ゲンロン編集部)

 

『平家物語』は敗者の物語だ。登場人物たちの驕りが招いた行動が、本人の預かり知らぬところで恨みを広げ、反抗勢力によって落ちぶれていく様が描かれる。  長大な軍記物語として知られる『平家物語』だが、作者は一人ではない可能性が指摘されている。『平家物語』は、現代でいえば複数人でプログラミングを行い、1つのOSをつくりあげるような、オープンソースな物語なのだという。そのため、能にも『平家物語』の二次創作が数多くある。
 
『平家物語』のあらましが紹介されたのち、琵琶奏者で作曲家の塩高和之氏による、平家物語の演奏が披露された。今回の講義は、塩高の実際の演奏と、安田の朗読が何度も行われることによって、後述する招魂と鎮魂の概念が体感できる仕掛けになっていた。

優しい物語


 平清盛が貴族に反発するところから始まる『平家物語』。だが彼自身も、その驕りからくる過ちにより謀反を起こされ、没落していく。ここには現代のわれわれにも通用する教訓が隠されている。それは、自身の環境が恵まれていることに無自覚で、気づかないうちに他者を踏みにじっている可能性だ。安田は、『平家物語』は無自覚な驕りに気づかせてくれる、優しい物語だという。『平家物語』は当時から、人々の感情のブレーキとして機能してきたのだ。
 

琵琶法師は招魂する


 安田によれば、『平家物語』には死にゆくものたちへの鎮魂が持続低音となって全体へ響いているという。そして安田の専門である能は、現世に念を遺したものたちへの鎮魂の物語を語るジャンルだ。死者の生き様を捉えた『平家物語』は、能にうってつけの題材なのである。  安田は、現代には招魂が決定的に欠けているという。能の主役であるシテは、この世に未練ある亡者であることが多い。そしてワキは、シテにたまたま出会った生者である。ワキという言葉はもともと、人体の腹部側面のことを意味していた。前と後、生者と死者の境界に立つ者がワキであると安田はいう。そして、能は死者であるシテを招魂する生者のワキがいなければ成り立たない。  では、『平家物語』に描かれる亡者たちを招魂するのはいったいだれか。それが、盲目の琵琶法師たちだったのだ。

鎮魂を忘れた現代人


 安田は『平家物語』中の平経正の逸話を紹介する。経正は琵琶の名手であり、唐から持ち帰られた貴重な琵琶「青山」を覚性法親王から賜るほどの実力の持ち主だった。それほどの琵琶の名手でありながら、生まれのせいで武士としてしか生きられなかった経正の無念が怨霊となり、彼の鎮魂の儀に経正が現れるシーンが実演される。
 
 塩高によればこの「青山」には、死者を呼び出す逸話があったという。そもそも、琵琶の音自体に招魂の力があるのではないか、と、塩高の実話を交えながら語る3名。琵琶の音色は、VRやARのような拡張現実的なイメージを、脳のなかに強く発生させる力を持つのではないか。  現代的に分析すれば、琵琶の独特な周波数が集団幻覚を見せているのかもしれない。実際の演奏を目にすると、そのような力があってもおかしくないと感じられた。  招魂・鎮魂をめぐる議論は続く。安田は、鎮魂は死者に対してのみではなく、切り捨ててきた過去の自分に対してもなされるべきだと指摘した。山本は、われわれは太平洋戦争の犠牲者を招魂し鎮魂しないまま、生者の自己満足のみの儀式を繰り返し、21世紀の現代に至っているのではないかと問題提起する。戦死者のみならず、原発、あるいはバブル経済など、多くの対象が「鎮魂されないままの存在」として挙げられていく。

拡張する感覚


 琵琶には、弦をはじくことで奏でられる、「さわり」と呼ばれる独特の音がある。この音をきっかけに、話題は人間の感覚へと展開した。  安田によれば、人間にはサブジェクティブな感覚とオブジェクティブな感覚があるという。前者は視覚や味覚など、意識的に遮断可能なもの。後者は聴覚で、これは遮断不可能なものだ。触覚は、両方の性質を兼ね備えているという。さわることは、普段の自分たちの感覚を超え、無意識部分に侵入する。  コロナウイルス感染拡大により、人々は「さわり、さわられること」ができなくなった。いままで人々がなじんでいたものと違う距離感が、果たしてわれわれになにをもたらすのだろうか――最後に次回に向けて、山本から問いかけがなされた。
 
 限りある文章では、実際の演奏の迫力や、その刺激によりもたらされた議論のダイナミズムを紹介するのは難しい。ぜひ琵琶の音色を、画面越しに体感していただきたい。  次回は6月17日に放送予定。取り上げるのは松尾芭蕉『奥の細道』『鶉衣』だ。(清水香央理)
 安田登 聞き手 = 山本貴光「禍の時代を生きるための古典講義──第2回『平家物語』を読む」 (番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200518/
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