【ゲンロン11より】ステイホーム中の家出|柳美里

ゲンロンα 2020年8月18日配信

『ゲンロン11』が、2020年9月にいよいよ刊行されます。
 今号からスタートする新設のコーナー「ゲンロンの目」では、さまざまな著者から「旅」にまつわるエッセイを寄稿いただいています。以下に公開するのは、柳美里さんによる「ステイホーム中の家出」の前半部です。
 緊急事態宣言下の日本で人々を服従させる「ステイホーム」という指示。支配を「自発的に」受け入れさせる言葉に逆らって、筆者はなぜ「家出」をすることにしたのか。自分の記憶をたどる旅に出るまでの軌跡をお楽しみください。
『ゲンロン11』は現在好評発売中です。こちらのURL(https://genron.co.jp/shop/products/detail/487)からどうぞ。(編集部)

 


 わたしは、家出をしている。

 この原稿は、家出先の会津若松市の東山温泉の宿で書いている。

 東京都や大阪府などの大都市圏や、感染の第2波が広がっている北海道を除く39県で「新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言」が解除されたのは5月14日、わたしがこの宿にチェックインしたのは、その3日前のことである。

「旅」ではなく、「家出」という言葉を使ったのは、「ステイホーム」に対するささやかな反抗心からだ。

「ステイホーム」(Stay Home)は、新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるという目的を達成するために、「三密」「ソーシャルディスタンス」という言葉と共に全国に拡散された標語である。いわゆる著名人たちも一斉に「ステイホーム」を呼び掛け、「おうち時間」の楽しみ方として、SNSの動画で、歌のリレーや料理や筋トレやストレッチなどの私生活を垣間見せて、好感度を上げている。

「ステイホーム」が、誰が言い出した標語なのかについては、もはや関心がない。コロナのパンデミックによって世界中で叫ばれ、貼り付けられ、拡散されている標語ですね、と言われれば、そうでしょうね、と肯くしかないが、わたしが最初に耳にしたのはテレビのニュース番組だった。「ステイ・ホーム」とゆっくり区切って言った小池百合子・東京都知事の口元を見て、ドッグトレーニングのコマンドみたいだな、と我知らず眉をひそめていた。

 わたしは長年双極性障害を患っているのだが、30代半ばから40代前半までは鬱と躁が急速に交代するラピッドサイクリングの時期で、鬱で数ヶ月間寝たきりだった後に、ある日、わたしは小説を書くことには向いていない、ドッグトレーナーになろう、と思い立った。そして、当時暮らしていた鎌倉から湘南新宿ラインに乗って、恵比寿のドッグトレーナー養成スクールに通う日々がはじまったのである。

 コマンドとは、短い命令言葉とハンドシグナルをセットにして犬に覚えさせる躾の方法である。

 よく知られているのは、「お座り」「伏せ」「お手」「お代わり」などだが、わたしが入学した専門学校では全て英語のコマンドに統一されていた。人差し指を1本立てて「Sit」は「座れ」、手の平を伏せたまま下げる「Down」は「伏せ」、犬の顔の前で手の平を広げる「Stay」は「待て」で、犬が命令に従ったら間髪入れず、「good boy!」「good girl!」と明るく高めのトーンの声を出して褒めちぎり、ご褒美のオヤツを与えたり撫でたりするというやり方だった。

 犬との共同生活の中でコマンドを使っていくうちに、犬は飼い主の顔色や仕草を窺うようになる。コマンドで犬をコントロール出来るようになったら、次のステップは、犬がリードを引っ張らず、「自発的に」飼い主の左脚側面に寄り添って歩くようにする「リーダーウォーク」や、来客がある時や、飼い主の就寝時や、車での移動時に、犬が「自発的に」ケージに入って静かに待機しているようにする「ハウストレーニング」などの躾である。

 主人は誰なのかという上下関係を覚えさせることによって、人間の秩序と支配を犬に「自発的に」受け容れさせるためのコマンド、絶対的な服従と引き換えに与える保護――、わたしは「ステイホーム」という言葉にコマンドの匂いを嗅ぎ取ったのである。

 コマンドに敏感に反応したのは、わたしだけではない。

 見ず知らずの他人に対して「ステイホーム」の正しさをSNSなどで訴えかける人々もそうだし、マスクを着けずに外出している人、児童公園の遊具で遊ぶ子ども、自粛をしていない、あるいは自粛をしていないと勘違いされた店舗、旅行者あるいは旅行者だと勘違いされた他県ナンバーの車、コロナ患者が多い都会からの帰省者などに対して、非難や罵倒の貼り紙をしたり、車に石を投げつけたり、ナンバープレートに悪戯書きをしたり、あおり運転をするなどして、「不正な人々」を取り締まって処罰している「自粛警察(自粛ポリス)」たちも、「ステイホーム」というコマンドに、忠実な警察犬のように俊敏に反応し、「緊急事態宣言」という秩序を乱す「敵」を排除するために、無償で「自発的に」働いている。「自粛警察」が、わたしが暮らす福島県南相馬市でも発生していたということを、市のホームページで知って大きなショックを受けた。

 何故なら、南相馬市民は、2011年の原発事故直後に他県に避難せざるを得なくなった際、車の福島ナンバーを見られて、「福島から出てくるな!」「放射能!」「福島に帰れ!」などと罵声を浴びせられたり、車を傷つけられたりした経験を持っているからである。しかも、他県ナンバーの中には、原発事故の避難者(2020年4月現在44346人)や、他県からの支援者も含まれていることを、市民ならば誰でも知っているはずだ。

 

 わたしが暮らす福島県南相馬市小高区は、原発事故によって「警戒区域」に指定され、住民数がゼロになった地域である。避難指示は2016年7月12日に解除されたが、帰還者数は2020年3月時点で3663人(原発事故前の人口は12842人)に留まり、コロナ以前も、コロナ以降も変わらず、散歩やランニングの際に住民と擦れ違うことは滅多にない。

 にもかかわらず、ゴールデンウィーク期間中は、小高川沿いの散歩道を歩くたびに防災無線が流されていた。

「連休に入り、県外からの車が多く見受けられます。帰省したみなさまにお願いします。帰省中は出来る限り外出を控え、ご家族といっしょにお過ごしください。市民のみなさまに、改めて三密を避ける対応をお願いします。自らの命、大切な人の命を守る行動を取ってください」

 無人のあばら屋や、家が取り壊され雑草が生い茂る空き地が目立つ原発被災地に、「ステイホーム」「不要不急の外出自粛要請」「三密回避」の呼び掛けが繰り返し流されていたのである。

 その防災無線放送を聴きながら、わたしは昨年の10月頭に同じ散歩道で出遭った白髪の女性の姿を思い出していた。

 彼女は遊歩道のベンチに座り、川の流れを眺めていた。いったん前を通り過ぎて数歩進んだ後に、わたしは振り返った。ただならぬ気配を感じたからである。目が合った途端に「柳さん?」と尋ねられ、「はい」と答えると、彼女は相馬弁で語り出した。

「わたしは原発事故で小高に住まんにぐなって避難したんです。身内は、わたしと兄だけで、2人とも独身です。兄は避難中に亡くなって、わたし独りになってしまいました。小高のごどが懐かしくて、気ぃついたら車ん乗って小高に向かってたんです。朝から小高川を行ったり来たりしていたら、あまだ思い出して、あんまし懐かしくて、悲しくて、ほろほろ泣けてきたんです」

 彼女のような悲しみを抱えて、避難先から自宅や自宅跡地や墓地を訪れる人々に、この防災無線の呼び掛けはどのように響くのだろうか?と、わたしは胸の辺りを拳で押さえずにはいられなかった。

「ステイホーム」

 家というのは、一軒一軒立地条件や間取りや生活環境が異なるし、どの家庭も少なからず外部からは見えない問題を抱えている。中には暴力が吹き荒れている家庭もあるし、離れ小島のように家の中で孤絶している人もいる。

 原発事故前は、2世帯3世帯住宅の大家族で暮らしていた福島の相双地区の住民は、避難によって散り散りになり、避難指示解除後に高齢者が単身で帰還した、というケースもある。仮設住宅や借り上げ住宅から、各地の復興公営住宅に移った高齢者たちが楽しみにしていたラジオ体操や、談話室での傾聴サロンや茶話会が「三密」を避けるために中止になり、高齢者が誰にも会わずに引きこもっていて、体調や精神面が心配だ、という話も社会福祉協議会で働く友人から聞いている。

 この地域には、孤独死や自死の問題がある。

 5月31日現在、福島県内の東日本大震災と原発事故の関連死は2306人、直接死の1830人を大きく上回り、関連死の中には自死の115人(2019年12月31日現在)も含まれ、昨年も12人が自ら命を絶っている。

 わたしは、憂惧している。新型コロナウイルスによる直接死よりも、「ステイホーム」というコマンドによって精神や経済の危機に瀕し、命を落とすコロナ関連死が多くなるのではないかと――。

 

 わたしにとって、今年の2月、3月、4月は、人生の転機となる出来事があった。

 3月14日に9年ぶりに常磐線が全線開通するタイミングに合わせて、3月20日にブックカフェ「フルハウス」をオープンさせた。

 2018年4月に既存住宅の一部を改装してオープンした時は、飲食は出来ず、本屋としての営業だけだった。旧「警戒区域」の小高では買い物や飲食が出来る店舗は数えるほどしかない。本屋の常連客から、カフェを併設してほしいという要望が多かったことと、1、2時間に1本しかない常磐線に乗り遅れた小高産業技術高校の生徒たちがカフェで軽食を取れるようになればいいなと思い、わたしは「フルハウス」カフェスペースの増築に踏み切った。

 本屋の方は、17年間生活と仕事を共にしている村上ともはるに任せ、カフェスタッフとして浪江町、大熊町、富岡町、川内村、広野町の双葉郡の5人の女性たちを雇用し、6人体制でブックカフェ「フルハウス」は新たなスタートを切ったのである。

 地元メディアで大きく取り上げられたこともあり、ランチタイムには連日満席になった。

 毎週土曜日にはトークイベントを開催する予定を立て、原武史さん、山下澄人さん、村山由佳さん、小松理虔さん、古川日出男さんには既に依頼し、電車の切符や宿泊先の手配も完了していた。

 しかし、開店から僅か19日後の4月7日に、日本政府は新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発出した。対象地域は7都府県で、期間は当初5月6日までの1ヶ月間ということだった。福島県は、対象地域からは外れたが、客足はぱたりと途絶えた。

 4月16日の夜、緊急事態宣言の対象が全国に広げられた。

 わたしは予定していたフルハウスの土曜イベントの延期を決断し、今年の東京オリンピック開催期間中に予定していた「浜通り舞台芸術祭」(わたしはプログラムディレクターを担当)の延期を、共催者や実行委員のみなさんと協議をした上で決定し、告知した。

 依頼されていた講演などの仕事は次々とキャンセルになった。

 大学に通うために北海道で独り暮らしをしている息子は、2月頭から3月末まで春休みで帰省していた。フルハウス開店を手伝ってもらった後に北海道に戻る予定だったが、大学が授業開始を延期したために小高に留まることになった。


 実は、わたしは、今年に入ってから、まともに書いていない。

 もう一度、この半年間の輪郭をなぞらせてほしい。

 昨年12月から精神のバランスを著しく崩して、不眠に悩まされていた。精神科に通って睡眠薬を処方してもらっていたが、何度種類を変えても、眠気は訪れてくれなかった。眠れずに過ごした明け方、遮光カーテンの隙間の朝陽の筋に向かって、主の祈りを唱えてみたが、祈りの言葉に信頼を預けることが出来ず、何度試みても疑っているようにしか響かなかった。疑いの先端にあったのは、恐怖だった。その恐怖の実体については、ここでは触れない。封印している感情に触れないようにしてその体験を外に伝えるためには、どうしても物語の力を借りなければならないからだ。

 年が明けて、息子の成人式の翌日に、14年間飼っていた猫が死んだ。同じ日に、共に『en-taxi』(エンタクシー)という雑誌の編集同人を務めていた坪内祐三さんが心不全で急死した。61歳だった。

 それから何日か泣き暮らした。目が開けられなくなるまで泣いた。自分ではもう泣き止むことが出来ないのではないかというくらい泣きつづけた。

 悲しみに打ち負かされて、ある種の麻痺状態のまま、「フルハウス」開店の日が近づき、飲食店の経営者としてやらなければいけないことが押し寄せてきた。わたしは全てをやってのけた。なんとか店は開いた。だが、コロナにやられた。自分という器から悲しみが溢れ、怒りが噴きこぼれ、あちこちに飛び散った。その熱かったり冷たかったりする飛沫が、自分の頭や顔にかかったり、近くにいる人にかかったりして、あちこちに染みを作った。

 いま、わたしは、思考停止している。でも、いまは、思考停止すべきなのではないかとも思う。今までの思考のストックでは太刀打ち出来ない出来事が起こったら、いったん思考を停止して、五感を(第六感も)開く。自分の理解を超えたものや出来事は、じっくり見て、聴いて、嗅いで、触れて、味わうしかない。思考は遅れてやってくる。そのうち背後から近づいてくるであろう思考の足音に、わたしは耳を澄ましている――。

(『ゲンロン11』へ続く)


ゲンロン、次の10年へ


ゲンロン11
2020年9月発行 A5判並製 本体424頁
ISBN:978-4-907188-38-2

ゲンロンショップ:物理書籍版電子書籍(ePub)版
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1968年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。1987年に演劇ユニット「青春五月党」旗揚げ。1993年、『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を最年少受賞。著書に『フルハウス』(文藝春秋、野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞)『家族シネマ』(講談社、芥川賞)『命』4部作(小学館)『8月の果て』(新潮社)ほか多数。2018年、福島県南相馬市小高区に本屋「フルハウス」、演劇アトリエ「LaMaMa ODAKA」をオープン。同年「青春五月党」の復活公演で劇作家・演出家としての活動再開。

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