心霊写真は「もう一つの写真史」だ──飯沢耕太郎×大山顕「心霊写真から写真を考える――愛・幽霊・自撮り」イベントレポート

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ゲンロンα 2020年9月4日配信

 夏になると、「心霊写真特集」と題した特番が目につく。
 ありえない場所から恨めしげにこちらをのぞく女の顔、どこかから伸びる細長い白い手、あるいは怨念に満ちた顔のような染み……。
 嘘か本当か分からない、その怪しげな写真を、わくわくしながら眺めた人も多いだろう。実は心霊写真、写真史の中で無視できない重要な位置を占めてきたという。
 そんな不思議な存在を、真夏の夜に徹底解剖。今回はそのイベントの様子をレポートしよう。(ゲンロン編集部)


心霊写真は“正統”な表現である


 登壇したのは、日本における写真評論の先端を切り開いてきた飯沢耕太郎。そして、ゲンロンから『新写真論』を上梓し、スマホ時代における新たな写真論を模索する大山顕。2人は6月のイベントで初共演し、そのときに話しきれなかったテーマの一つとして「心霊写真」があった。
 
 飯沢はまず、心霊写真が写真評論の中でほとんど無視されてきた歴史を語った。写真史の初期から登場し、そのブームが何度も到来していたにもかかわらず、心霊写真は評論家の語りから抜け落ちているという。一方、飯沢自身は心霊写真に対して関心を寄せており、その歴史は「もう一つの写真史」であるとも述べた。  その一例として飯沢が挙げたのが、明治に流行した「念写」だ。これは、ある人物が想起したことがそのまま写真に映し出されるというもの。飯沢は多くの資料を列挙して、その歴史を語る。  大山は興奮気味に応答した。「表現」はそもそも、「個人の見えない個性や思念が作品に現れたもの」だと考えられている。その点において「見えない個人の考えが写真に写る」という念写こそ、芸術表現のもっとも純粋な例ではないか。そう考えれば、心霊写真はいかがわしい異端の表現ではなく、むしろもっとも正統に表現という行為を表していることになる。  言われてみれば納得だが、眼から鱗の指摘である。

鑑定士は写真評論家だ!


 念写が明治にブームを迎えたあとも、何度も心霊写真のブームは訪れる。中でも、1970年代のオカルトブームにおける心霊写真の流行は外せない。ブームの特徴は、テレビや雑誌の心霊写真特集で多く取り上げられたのが、一般人からの投稿写真だったということだ。  一般人も巻き込んだこのブームを、大山はルポライター・小池壮彦の表現にならい、「心霊写真のポストモダン」と呼ぶ。ここで大山が注目するのが、当時現れた「鑑定士」の存在。多くの人は、じつは自らが撮影した写真のどこに心霊が写っているのか、すぐにはわからない。鑑定士が思いもかけない細部を指摘し、そこに心霊がいることを(無理やり?)示すことで、初めてその写真が心霊写真としての価値を持つ。
 
 実はこのシステム、写真評論家が写真を批評するときのプロセスと同じではないか。そのように大山はいう。「優れている(とされる)」写真が他の写真とどう違うのか。多くの人にはすぐには分からない。写真評論家が優れた点を細部を指摘しながら示すことで、初めてその写真の価値(心霊写真でいえば、霊の存在だ)が明らかになるのだ。つまり、心霊写真の鑑定士とは、写真評論家なのではないか。  飯沢はこの話を受けて、フランスの批評家ロラン・バルトの写真評論『明るい部屋』を引き合いに出す。バルトは、ふつう誰も注目しないような部分に着目して写真を批評した。たしかに写真評論とは心霊写真鑑定に類似していて、バルトもまたすぐれた心霊写真鑑定士だったのかもしれない、と納得の表情を見せていた。  心霊写真と写真の思わぬ類似点が、2人の会話によって次々に明かされていく。

死と写真


『明るい部屋』でバルトは、亡くなった母親を写真に見ようとした。同書は心霊写真にきわめて近いものを論じている。そう飯沢は指摘し、そもそも写真史を初期から探ると、「死」というテーマが分かち難く結びついていると付け加えた。スタンリー・バーンズの『Sleeping Beauty』に見られる死者のポートレイト、あるいは遺影など、人は「死」という目に見えないものを、写真という目に見える形でなんと写し出そうとしてきた。心霊写真もその系譜を受け継ぐものだろう。
 
 逆にいえば、写真においては、つねに「死」や「死者」とどのように向き合うのかが現れているともいえる。だから、心霊写真とは「怖い」だけのものではない。そこには「死者への愛」もあるはずだ。  これに関連して大山は、初期の心霊写真家ともいえるウィリアム・マムラーを引き合いに出した。彼は19世紀のアメリカで活躍した写真家で、亡くなった親族・知人の霊と写ることができる写真(のちに、それは一種の合成写真であったとされている)を売り出し、大成功を収めた。そこでは、死者に会いたい、という人びとの「死者への愛」が写真技術によって満たされていた。もちろん、それは露光技術を巧みに用いた創作物だが、死者に会いたい人びとにとって、それが嘘か本当かは関係がなかった。  日本では1970年代のオカルトブーム以後、心霊写真は「怖い」という認識が広く根付き、本来そこにあったはずの死者に対する愛の表現が失われてしまった。筆者自身、この記事のリード文に心霊写真を「怖いもの」だと書いてしまったが、反省すべきかもしれない。  写真とは「死」について、より多角的に表現しうるものだったはずだ。写真、あるいは心霊写真が持つそのポテンシャルを、どのように回復出来うるのか、それを今後は考えていかなければならない。3時間を超えた討論は、そのような結論で終わった。
 議論はその後も、震災と写真の関係や、コロナ禍における写真表現の可能性など、心霊写真というテーマを大きく超える話題も出され、活発な議論が進んだ。質問コーナーでは実際に霊が“見える”人からの質問もあり、会場は終始大盛り上がりだった。  また、SNS時代の「#心霊写真」の投稿から、現代における心霊写真を考える大山のプレゼンでは、『新写真論』の新たな展開を感じさせる一幕も見えた。飯沢も、心霊写真についていずれ、まとまった論考を執筆するという。  心霊写真こそ、写真のある側面をもっとも先鋭的に表しており、その歴史こそ、もう一つの写真史である――飯沢のこの言葉の意味がよくわかるイベントとなった。詳しくはぜひ、動画を見て欲しい。(谷頭和希)
 

 こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。  URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200831
【『新写真論』重版記念イベント】飯沢耕太郎 × 大山顕「心霊写真から写真を考える――愛・幽霊・自撮り」
(番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200831/
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