儀礼から見る東京──長谷川香×辻田真佐憲「儀礼空間としての東京、あるいは国家と伝統と都市──『近代天皇制と東京』刊行記念」イベントレポート

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ゲンロンα 2020年10月2日配信

 2020年6月に出版された『近代天皇制と東京――儀礼空間からみた都市・建築史』は「儀礼」という視点から東京の姿を浮き彫りにした快著だ。今回、ゲンロンは同書の著者である長谷川香を招き、東京と天皇制との関わりについてのトークイベントを開催。聞き手は、ゲンロンではすっかりおなじみとなった近現代史研究家の辻田真佐憲。皇室制度や天皇に関する著書も持つ辻田が、長谷川にさまざまな疑問をぶつけるイベントとなった。(ゲンロン編集部)
   

現在進行形の「儀礼」


 長谷川が用意したプレゼン資料はなんと250枚を越えるもの。著書の内容を分かりやすく解説するだけではなく、同書では触れられていない昨年(2019年)の天皇の代替わりに伴う一連の儀礼について取り上げた資料だった。辻田の側も同じく令和の代替わりに関する質問を準備してきたということがわかり、トークはその話題から始まった。  長谷川の興味の中心は「儀礼が都市や建築をいかに変えたのか」ということにある。明治維新以前、天皇は東京に住んでいなかった。京都は、都市として天皇の生活と関わる長い歴史をもつため、儀礼の場所も明確に定まっている。しかし東京には儀礼の場所がなく、そこから新しく作らねばならなかった。そのとき既存の都市や建築はどのように変化したのか。逆に儀礼のほうは既存の都市や建築からどのように影響を及ぼされたのか。長谷川がさまざまな資料を駆使して見るのはその変遷である。  研究対象は主に戦前の東京だが、皇室に関する儀礼は現在でも行われており、内容は現代にも通じている。

儀礼と「土地の記憶」


 長谷川は、皇室に関わるさまざまな儀礼を分類しながら、それぞれがどのような経緯で行われ、都市や建築をどのように変えたのかを詳しく検討していく。結果としてわかったのは、儀礼で使われる建築は、たとえ一時的な仮設であっても、その後の都市に「土地の記憶」ともいえる影響を及ぼすということだ。  たとえば明治神宮外苑。国立競技場と明治神宮外苑一帯の姿は今でこそ自明のものとして受け取られているが、実はここには万国博覧会の構想もあったし、また「大喪儀」の記憶が刻まれている。例えば、青山通りから敷地内の聖徳記念絵画館に向かって引かれている一本の軸線は、絵画館の裏にあった「葬場殿」に向かって引かれた道の名残だ。葬場殿は明治天皇の大喪儀で棺が安置された仮設建築であり、この道はもともとは大喪儀のための道だったのである。  東京には、ほかもさまざまな場所に儀礼の記憶が刻まれている。昨年即位の礼が行われた皇居前広場は、1940年、神話上の神武天皇即位から2600年を祝う「紀元二六〇〇年式典」の舞台になった地でもある。  しかし、儀礼は単に土地の記憶をかたちづくるだけではない。

変化する儀礼


 加えて指摘されたのは、儀礼は都市や建築に影響を及ぼすだけでなく、既存の都市や社会状況の影響も受けるということである。  例えば、儀礼にともなって行われるパレードのルートひとつ取ってみても、宮中側は天皇の体調や警備の利便性からなるべく皇居周辺で画定しようとする。しかし、市民は自分たちの街にパレードが来てほしいため、大回りなルートを要求する。宮中側の都合だけで決めることはできない。その他にも、経済的な理由や、戦争・災害などさまざまな要素が複合的に作用して、儀礼のあり方は変形していくというのだ。
長谷川のプレゼンテーションより
 辻田は、日本近代において、天皇が政治のトップであり、軍事のトップであり、宗教のトップであったという端的な事実を指摘する。そのような存在だったからこそ、儀礼のあり方は時々の国のあり方を反映する。大正デモクラシーの時代には自由の気風を反映し、儀礼のありかたに対して民間からも多くの意見が寄せられた。儀礼を行う場所の範囲は日本の国力が上がるにつれて広くなっていったが、戦争に向かうにつれて逆に徐々にその範囲は狭まっていく。だとすれば、昨年行われた令和の代替わりに伴う一連の儀礼にも、現代の日本社会の姿が反映されているというべきだろう。  儀礼は、土地を変える側面と、逆にその時々の社会や都市の状況によって変化する二面性を帯びているのだ。

令和の儀礼の形


 イベントでは膨大な資料が紹介され、儀礼の変遷がわかりやすく説明された。詳しく知りたい方はぜひ動画を見て欲しいが、長谷川によれば、儀礼の場所は継承されている一方、儀礼の記憶は継承されておらず、その内実は大幅に変化している。  長谷川は具体的に、紀元二六〇〇年式典の写真と、昨年の「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」の写真を比較した。昨年の即位の礼では訪れた人の多くがアイドルグループの嵐を目当てに来ていたことにも触れ、現在では天皇と一般市民の間にアイドルが介在しているという変化も指摘する。

「伝統」を再考する


 もうひとつの例である明治神宮外苑は、現在来る東京五輪の会場の一つとして注目を集めている。この地区は1964年の東京五輪の「レガシー」を継ぐ地区として語られることが多いが、長谷川はこの表現に疑問を呈する。なぜなら、そこで言われるレガシーは五輪しか踏まえておらず、長谷川が探求しているような、近代の儀礼空間としてのレガシーは無視されているからだ。  辻田はこれに強く同意した。日本においては「伝統」という言葉が安易に用いられ、そこから実際の歴史を超えた歪んだイメージが生まれてしまうことが多い。「伝統」や「レガシー」というマジックワードをどのように語るのか、長谷川と辻田の関心はそこで一致したのだった。    気づけば5時間を超えるロングイベント。けれども、長谷川の正確な調査に裏打ちされた研究と、それに思わぬ角度から突っ込む辻田の質問のコントラストでまったく時間を感じさせなかった。  長谷川は最後にこれからは同様の研究手法で戦後の東京について研究を進めることを予告して、イベントは幕を閉じた。新しい東京論の誕生を予感させるイベントだったので、気になった方はぜひ動画を見てほしい。(谷頭和希)  こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。  URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200928
長谷川香×辻田真佐憲「儀礼空間としての東京、あるいは国家と伝統と都市――『近代天皇制と東京』刊行記念」
(番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200928/
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