マンガはもっと面白く読める!──大井昌和×さやわか×ブルボン小林「ニッポンのマンガ的、マンガの読み方講座」イベントレポート

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ゲンロンα 2020年10月3日配信

 文筆家のさやわかとマンガ家の大井昌和による大人気イベントシリーズ「ニッポンのマンガ」第8弾。ゲストにはゲーム・漫画批評で活躍し、「長嶋有」名義で小説家としても活動しているブルボン小林を招いた。従来のマンガ論を批判的に検討したうえで、さやわかによる具体的なマンガの読み方が紹介されたり、三者による作家論が交わされたりと、多岐にわたって熱くマンガ文化が語られた。延長戦も繰り広げられた今イベント。その一端をお届けする。(ゲンロン編集部)
   

マンガってなんだ?


 マンガは、紙の上に絵がたくさん並んでいるにもかかわらず、「読む」ものだと言われる。「見る」ものではない。マンガは本質的には、物語を読ませているのである。ここに「絵」と「マンガ」の違いがある。  多くのひとはマンガの読み方を自然に会得していくが、それによって、マンガを語れる言葉が少なくなっていると大井はいう。読み方を意識し、言語化していくことによってこそ、より深いマンガの読み方ができるようになる。  ブルボン小林は、マンガの特徴は誇張と省略だと話す。マンガは現実ではありえないポーズや集中線などの誇張表現を使ったり、安直に物事を進行させる省略表現(たとえば麻雀のシーンで簡単に役満をあがるなど)を用いて出来事を際立たせたりすることで、かえって読者に「本当のリアリティ」を見せることができる。マンガには、表面的な現実らしさを追求するのとは違うアプローチができるのだ。  また、アートや純文学と違い、マンガは、資本主義のルールに乗っ取って描かれるものである。マンガ産業は構造化されており、作品であると同時に商品でもある。売れているもの=面白い作品という絶対的な指標が存在している。  さらにマンガには、「適当に」読まれるという特徴がある。作家が1コマに1週間かけたとしても、読者はそのコマを1秒で読み飛ばせてしまう。実作者である大井はそれを踏まえたうえで、過去の大衆文化であった落語や歌舞伎にも、同様の気安さ、すなわち「適当な消費」があったのではないかと語った。  そして、これらの大衆文化がいまや伝統芸能として権威づけられ、気軽に面白い・面白くないと言えなくなり、技術的な批評しかできなくなっているのと同様に、マンガもまた、絵がうまい・へたという技術的な側面でしか語りにくくなっているという。  マンガにとって真に重要なのは、パースがとれていることや絵がうまいことではない。虚構の物語を、いかに迫力をもたせながら、リズムよく読みやすくしているかである。イベントの前半では、その大原則が強調された。

さやわか式・マンガの読み方


 後半は、さやわかからマンガの読み方の3つの論理が紹介され、高橋留美子や大友克洋作品を題材に具体的な応用がなされていった。いわばマンガの読み方の実践編である。  従来のマンガ論では、絵と物語のどちらか片方が独立して語られてきた。さやわかは、マンガを「社会反映論」「物語分析論」「表現論」の3つから見るべきだという。これらは本来、相互に影響しあっており、絵が物語を規定することもあるし、物語が絵を決定づけることもある。その相互作用を見逃してはならないというわけだ。  では、具体的にどう読むか? さやわかは3つの方法を提案した。  まずはじめに①繰り返しの表現を見つける。たとえば高橋留美子の『うる星やつら』や前身の『勝手なやつら』では、戯画化された社会からのはみ出し者たちが、どこでもない空間(架空の町である友引町)を舞台にわちゃわちゃとしたいがみあいを繰り広げる。このはみ出し者たちの出会いとぶつかりあいが、高橋留美子作品では繰り返されていることに注意が必要だ。  そのうえで②変化する部分を探す。長編マンガの作品中では、同じキャラクターが何度も登場し、その中で成長し、変化していく。この繰り返しと変化は、マンガでとくに顕著な特徴だという。  さらに③マンガ内のレイヤー概念に注目する。例として挙げられたのは、少女漫画に登場する意味のない「花」の存在だ。たとえば大島弓子の作品には、視線誘導の補助線になるふわふわとした花が多く描かれている。これらの花はコマをまたいで配置されている。  さやわかは、この花を、現実空間から虚構空間へブリッジするための装置だという。作中に散りばめられた花は、キャラクターの精神が不安定であること、虚構と現実の区別があいまいな人物であることを表現する役割を持つ。時間、現実、虚構のレイヤーが花を媒介に入り交ざり、構造を超えて、時間的な連続を生み出している。このようなレイヤーの使い方は、マンガでとくに発達した技法といえる。  さやわかはさらに、大友克洋が少女漫画の技法を研究して描いた『危ない!生徒会長』を対比してみせた。一見花の24年組のようなタッチで描かれているが、花がコマをまたぐような、少女漫画的な心象風景の表現はない。ここから、大友にとっては作品内で起こる現象がすべて現実空間の出来事であり、大島弓子が描いた内面世界はもはや存在していないことが見て取れるというのだ。      話題はマンガをめぐる環境にも展開した。さやわかはゲンロンのひらめき☆マンガ教室で主任講師を務めており、大井も講師として参加している。小林は先日の最終講評会で選考委員を務めた(4期も選考委員を担当)。ひらめき☆マンガ教室では、マンガを少年マンガや少女マンガといったくくりで考えず、また商業誌のようにジャンルを絞るのではなく、多様性を重視している。そのぶん、「これがマンガだ!」という価値観をそれぞれが提示する場にもなっている。  昨今は、紙の雑誌だけではなく、多種多様なメディアで作品を発表できるようになった。それゆえに逆に、かつてのような作家同士の相互影響は少なくなっている。ひらめき☆マンガ教室こそ、ジャンルを超え、作家たちをそのように結ぶ場所になれると3人の意見は強調した。      深夜0時すぎまで行われたこの鼎談。1時からは突発で東が合流し、番組枠を立て直して延長戦も行われた。刊行されたばかりの新刊『ゲンロン11』についての裏話からスタートし、トークは日の出まで続いた。  マンガをめぐって、今日もゲンロンカフェの夜は更けていく。(清水香央理)  こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。  URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200923
大井昌和 × さやわか × ブルボン小林 ニッポンのマンガ#8
マンガはもっと面白く読める!──ニッポンのマンガ的、マンガの読み方講座
URL=https://genron-cafe.jp/event/20200923/
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