ひろがりアジア(1) 紛争地域の日常と新型コロナウイルス──タイ南部国境3県の事例(前篇)|原新太郎

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ゲンロンα 2020年10月16日配信

タイ南部国境3県

 タイは国民の大部分が仏教徒であり、仏教国としてのイメージが一般的である。しかし、隣国のマレーシアと国境を接する南部国境県と呼ばれる地域においてはムスリム(イスラム教徒)住民の比率が極めて高い。そのため、この地域に陸路から入国すると、バンコクなどほかの地域から入国した場合に比べて、かなり異質な印象を受けることになる。この地域でも、タイの各地で見かける国王の肖像こそ町中に掲げられているものの、訪れるものは仏教寺院よりもモスクのほうをより頻繁に目にする。本稿では、この南部国境県のうち、現在まで紛争が継続している南部国境3県と呼ばれる地域に焦点を当てていき、その地域において、新型コロナウイルスがどのような影響を与えたかを明らかにしていきたい。

 本稿では、まずこの地域の背景と、この地域で続いている紛争について解説したのち、新型コロナウイルス、とりわけその感染対策が地域住民の信仰生活に対して及ぼした影響を論じていく。そして、このウイルスがいかにして紛争の在り方自体にも影響を及ぼしたのか、また、タイ南部国境3県で起きている出来事が、現在バンコクを中心に起きている反政府運動といかに関わっているのかということに言及していきたい。

 



 タイ全土では仏教徒の比率は9割以上になるが、14の県からなるタイ南部ではイスラム教徒(ムスリム)の比率が高く、平均して人口のおよそ20パーセントを占める。タイの77県のうち、タイの法令に基づくイスラム教の運営組織であるイスラム委員会が存在する県は41県あるが、タイ南部は14県すべてにイスラム委員会が設置されている。その14県のうち、サトゥーン、パッタニー、ヤラー、ナラーティワートからなる南部国境4県は住民におけるムスリムの比率が平均で80パーセント近くに上る。この国境地域におけるムスリムの大部分は、他地域のタイ人とは人種的・言語的、また文化的にも異なるマレー系のムスリムであり、これらの側面についてはタイよりも隣国のマレーシアのマレー系により近い。西海岸に位置するサトゥーン県では同化政策がかなり進み、現時点でいまだにマレー語を用いている村落はマレーシアとの国境に位置するわずかな村落に過ぎない。だが東海岸側の3県においては、いまだにマレー語のパタニ★1方言がムスリムの間の主要言語として用いられている。この南部国境3県(パッタニー、ヤラー、ナラーティワート)に加え、より北に位置するソンクラー県のうちパッタニー県と隣接する4つの郡は、18世紀末まで存在していたパタニ王国の旧版図とおおむね一致する。このマレー人の王国は、アユタヤ王朝に朝貢を行ってはいたものの、政治的には独立を保っていた。しかし、現在のタイ王国につながるチャクリー王朝の創始者であるラーマ1世の時代、1785年にシャム王国の大規模な侵攻を受け、パタニ王国は崩壊する。その後この地域はシャム王国(のちタイ王国)の支配下に入るが、地元マレー系住民によるタイの支配に対する抵抗は断続的に続いていく。そうした抵抗の合間に平穏な期間は存在したものの、マレー系ムスリム住民と中央政府の対立についての根本的な問題はいまだに解決の目を見ていない。

タイ深南部の地図
 

タイ南部国境3県における紛争の背景

 1909年に英国とシャム王国の間でバンコク条約が締結され、英領マラヤとシャムの国境が画定された。この時すでにシャムによって7つの藩に分割されていたパタニには、それぞれの藩に小規模な版図を持つ藩王がいたが、国境画定後に藩自体が廃止され、シャム王国の直接統治下に入る。しかしながら地元マレー系ムスリム住民の抵抗は収まらなかった。

 1947年、住民運動の高まりを受け、パッタニー県イスラム委員会の委員長であったハジ・スロンは、南部国境県における高度な自治を求める7か条の要求を中央政府に提出する。しかしこの要求は全く受け入れられず、逆にハジ・スロンは投獄される。出獄後の1954年には誘拐され、今日に至るまで行方が知れずにいる。こうした流れを受けて、パタニ地域の住民による政府による抵抗は、表立った政治的闘争から、地下組織による武力闘争に移行していく。BRN(マレー名Barisan Revolusi Nasional、国家革命戦線)などをはじめとする、現在でも活動中の地下武装組織の大半は1960年代に形成されたものである。

 これらの武装勢力による武力闘争は1990年代に一度下火になったものの、1990年代終盤から2000年代初頭にかけて、学校への放火事件などの形で徐々に活発化していく。そして2004年1月14日に発生したナラーティワート県における陸軍基地の襲撃事件と同日に発生した同時多発爆破事件★2をきっかけに、新たな段階に突入する。この時期から現在までに発生した暴力事件は2万件以上に上り、死者数の累計は7000人以上、負傷者は13000人以上を数え、またこれらの事件により孤児となったものは1万人弱に至る。

 このような暴力事件の存在は、当然ながら地元住民の生活にとって深刻な影響を及ぼす。例えば、暴力事件が多発するようになった2004年から、多くのタイ系仏教徒の住民が親戚や知人などを頼りこの地域から流出している。

 マレー系ムスリム住民にとって、事態はより深刻だ。反政府系武装組織がマレー・ナショナリズムに基づくパタニの解放独立をうたっているため、常に治安部隊からの猜疑の対象になりやすい。この地域においては、逮捕状なしで軍隊が容疑者を勾留できる2つの特別法、戒厳令と緊急勅令★3が施行されており、多数のマレー系ムスリム住民が、たとえ有力な証拠がなくとも、疑わしいという理由だけで長期間にわたって勾留されることがある。また、この勾留期間中に、拷問や不自然死などの人権問題も報告されている。こうして勾留されたもののうち大部分は一定期間の拘束後に釈放されるが、中には治安事件として立件されるものもある。しかしながら、こうした治安事件に対して弁護を行っているNGO「ムスリム弁護士センター」によると、それらの訴訟の80パーセント近くが証拠不十分などの理由から棄却されている。

 2004年以降、暴力事件の頻発により、南部3県の名前が頻繁に新聞の1面に載ることが多くなった。また、テレビなどでこの地域について取り上げられる際の話題も暴力事件がほとんどである。その結果、タイ国内でもこの地域は「危ない地域」であるという認識が根付いている。南部3県の出身者が、バンコクなどで域外の者と出会うと、「爆弾を何発持ってきたんだ?」というような質問をされる場合がよくある。質問をしてくるほうはおそらく悪気もなく冗談のつもりで聞いているのであろうが、質問をされるほうにとっては軽く流せる話題ではないのである。とりわけ、若いムスリムにとっては、こうした質問は、自分がテロリストと同視されているのではないかという不安感をあおるものでもある。

和平対話プロセス

 こうした状態に変化が起きたのは、2013年2月28日、当時のインラック・シナワット政権の下で、タイ政府と、主要反政府武装組織であるBRNとの間で、南部問題解決のための和平対話プロセスが、マレーシアを仲介者★4として開始されてからである。これにより、それまで地下秘密組織であったBRNが初めて公の場に姿を現すことになった。それ以来、彼ら自身もタイや海外のメディア、または研究者などからインタビューを受ける機会が増え、これらの反政府武装グループに対するタイ社会の理解が深まるきっかけになったといえよう。

 しかしながら、和平対話プロセスの道のりは決して平坦ではなく、これまでに2度頓挫している。インラック政権の下で始められた第1次プロセスは、マレーシアで数回の会合を行っただけで、双方の言い分の食い違いが埋まらぬまま2013年のうちに消滅した。その後、2014年5月の軍事クーデターによりインラック氏は首相の座から追われる。その後首相に就任したプラユット陸軍大将は、インラック首相時代には強硬に和平対話に反対していた。そのためこれで和平対話も終わりかと思われたが、同年12月にはマレーシアを訪問し、当時のナジブ・ラザク首相に、和平対話プロセスの仲介者としての役割を継続することを正式に依頼している。その結果、2015年より、マラ・パタニ(Mara Patani)と呼ばれる、パタニ解放運動の諸組織により構成された統括組織★5とタイ政府の間で第2次和平対話が正式に再開された。しかしこの統括組織には主要武装組織であるBRNが団体として参加しておらず、数名のメンバーの参加にとどまっていたことで、和平対話の実効性が常に疑問視されていた。この第2次対話はこれといった目立った成果がないまま、2018年には事実上消滅している。その後、マレーシアやタイで総選挙があり、和平対話には大きな進展がなかった。だが2020年1月26日、タイ政府はBRNとの新たな和平対話を開始した。前述の通り、2004年以来続く紛争において反政府武装組織側の主要な役割を担ってきたのはBRNであるため、今度こそ和平対話プロセスの具体的な進展が期待されたが、そのさなかに新型コロナウイルスがタイ国内で拡散し始めるのである。

南部国境3県における新型コロナウイルスの影響

 南部国境3県において初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは、2020年3月中旬のことだ。タブリーグと呼ばれるイスラム布教団体の会合がマレーシアのクアラルンプールで開催され、その参加者がタイに帰国したのち、域内でクラスターが発生した。域内での感染者数はこのクラスターを中心に増加していったが、5月上旬ごろまでにはほぼ収まっていった。

 そのほか域内の感染ルートとしては、マレーシアからの帰国者が、検疫のための14日間の隔離期間中に感染が判明したものがある(3県合計で33人)。その結果、9月17日現在のタイの累計感染者数3490人のうち、南部国境3県は、ヤラー県が134人で全国4番目に多く、パッタニー県が94人で全国7番目、ナラーティワート県が43人で全国11番目という、全国でも感染者数の多い地域となってしまった。ただし、感染拡大の著しかった時期(3月から5月にかけて)は、県境封鎖や、クラスターの発生が確認された村落の封鎖が行われており、南部3県全土で感染者数が爆発的に増加するという事態には至らなかった。
地元のムスリムに対して感染防止対策についての説明を行う医師。パッタニー県にて撮影 写真提供=The Motive
 

 さらにタイでは、全土に、「村落保健ボランティア」★6と呼ばれる、村落単位で住民の健康状態を確認する人員が配置されている。そのため、詳細な住民の健康状況が把握しやすく、健康状態に異変があるものはすぐ最寄りの医療機関で検査、診断を受けることができた。結果的に、医療機関や医療従事者が、医療崩壊に瀕するような過剰な負担を強いられることもなかった。また本稿執筆時点(2020年9月22日)において、南部国境3県における新型コロナウイルスによる死者数の累計は4人となっている。これは、77県からなるタイ全国の死者数累計においては高い比率であるものの(13.5パーセント)、2018年の統計によるこの地域の総人口が200万人を上回っていることを考えると、新型コロナウイルスから蒙る直接の人的被害は極めて小さいといえる。従って、地元住民の感情にとってはウイルスよりも、過去16年間で7000人に上る犠牲者を出している紛争のほうがより大きな生活上の脅威になっているのである。南部国境3県の、とりわけマレー系ムスリムの住民にとっては、コロナウイルスによる直接の被害より、その感染防止のためにとられた政府による対策のほうが生活に対する影響が甚大であるといえよう。その影響は、経済のみならず、教育(とりわけこの地域からイスラム諸国への留学生)、南部国境3県からの海外への出稼ぎ労働者(特にマレーシアのタイ料理レストランで働く、20万人にも上るといわれている労働者)、観光など多岐にわたる。

新型コロナウイルス禍下でのモスクにおける礼拝

 イスラム法においては、身体の健康な男性は金曜日の昼の礼拝(ズフルと呼ばれる、太陽が天頂から動いたのちに行われる礼拝)をモスクで行うことが義務付けられている。認められている事情以外(病気、旅行中など)で3週間続けてモスクで礼拝を行わない場合、その人物はイスラム教徒としての資格を失うとされる。モスクはおおむね集落につき1か所づつ建設されているので、金曜日の礼拝には、集落のモスクにその男性住民のほとんど、およそ100人以上が集まることになる。都市部の大きなモスクでは礼拝参加者の数は大きくなり、1か所のモスクに数百人が溢れかえる。金曜礼拝では、礼拝自体を行う前に、イマームと呼ばれる導師による説法の朗読があり、この説法と礼拝を合わせて大体30分程度の時間がかかる。そのため、それぞれのモスクで、金曜日の昼には不可避的に「3密」状態が発生してしまう。また、1日5回行われるそのほかの礼拝においてもモスクへの参集が励行されている。特に日没後のマグリブの礼拝では多くのムスリムがモスクに集まり、金曜礼拝ほどの混雑ではないものの、一時的に密集状態が生じてしまう。
 当然ながら、このような潜在的にクラスターを発生させうる密集状態は、ウイルス感染防止の観点からは避けなければならない。政府は、国家機関であるタイ中央イスラム委員会の委員長(役職名チュラーラーチャモントリー)★7の事務局を通じて、3月18日よりモスクでの金曜礼拝を行わず、自宅でズフルの礼拝(昼の礼拝)を行うよう、またそのほかの1日5回礼拝もモスクではなく同じく自宅で行うように通達を出した★8。この時点ではすでに南部国境3県のすべてで感染者が確認されており、もはやコロナウイルスがこの地域にとっても対岸の火事ではなくなっていたにもかかわらず、南部3県ではこの通達はほとんど顧みられなかった。この通達が出されたその次の金曜日(3月20日)でも、政府の目につきやすい県中央モスクなどの主要なモスクを除き、ほとんどのモスク、とりわけ村落部ではそのほぼ大部分で金曜礼拝がこれまで通り執り行われていた。

 政府による金曜礼拝の一時的な停止措置に対する反対や不満の声は、タイのみならず、インドネシアなどでも見られた。背景には、金曜礼拝は現世と来世の両方を総べる神の命令であるのに対し、政府の一時停止の命令を、現世のみにおける世俗権力からのものとみなすムスリムの根本的な世界観がある。ムスリムにとっては現世はあくまで来世のための準備の場であり、このどちらに重きを置くかは、それぞれの立場や考え方などにより異なる。来世に重きを置けば置くほど、現世の世俗権力はムスリムにとって意味をなさなくなるといえよう★9

 2020年3月の時点では、マレーシアやインドネシアですでに新型コロナウイルスが拡散していた。この時期に、これらの国で同じモスクに数日間多数の人間が泊まり込む宗教行事を開催したのが、現世の俗世的なものとは最も距離を置くタブリーグのグループであったことは注目に値する。このような行為もまた、現世を来世との関わりにおいてとらえる世界観の反映の1つの形であるといえよう。

金曜礼拝の様子。ソーシャルディスタンスは守られておらず、マスクを着用している人の数も少ない。パッタニー県にて撮影 撮影=筆者
 

2つの声明

 この時期、タイ全国でコロナウイルスの感染者数は日に日に増加し続け、南部国境3県でも感染は拡大していた。初の感染者が確認された3月16日から22日までで確認された感染者だけでも21人に上り、さらにそれを上回る24人に感染を疑わせる症状があり、検査の結果待ちという状況であった。もはや感染の拡大防止にはのっぴきならぬ状況まで来ているところで、重大な変化が2つあった。

 1つは、一方的な通達が全く効果を見せなかったチュラーラーチャモントリーの事務局が、3月23日に、ソンクラー県のイスラム委員会事務所にその代表を派遣し(チュラーラーチャモントリー自身は高齢でかつ健康問題を抱えていた)、南部国境5県の(パッタニー、ヤラー、ナラーティワート、ソンクラー、サトゥーン)イスラム委員会委員長、パタニ・ウラマー(イスラム知識人)会議の代表、ムスリム医師の代表、並びにタブリーグの代表との間での会合を行ったことだ。

 この会議に出席していたパッタニー県イスラム委員会の職員によると、出席者の中に、宗派を問わず南部国境3県ムスリムから尊敬を集めるイスマイル・スパンジャンという地元出身のウラマーがいた。彼が会議の初めに、「我々イスラム知識人は宗教的なことに対する知識はあっても、防疫に関する知識は持ち合わせていない。今、我々の地域はコロナウイルスが拡大しているが、感染拡大防止のためには我々は医学的知識を持った医師の意見に耳を傾ける必要がある」と宣言したことで、会議に参加していたムスリム医師たちによる医学的見地からの感染防止対策について、ほかの参加者が耳を傾ける下地ができた。これにより、チュラーラーチャモントリー事務局は、新型コロナウイルス対策に関して、南部国境県のムスリム各方面からの支持を取り付けることができた。そして3月25日に、金曜礼拝を含めたモスクでの礼拝の一時停止を要請する声明を発行することになる。また、同声明においては、タブリーグに対して、国内国外を問わずいかなる活動を停止することも要請された。

 もう1つは、3月26日に、タイ南部国境県における紛争の中で最大の武装勢力であるBRNが、YouTubeを通じて声明を出したことだ。彼らはその声明で「日を追うごとに(コロナウイルスの)感染が拡大していることにかんがみ、政府の政策を待つのではなく、それぞれの村で自決権を行使し、村落指導者、イスラム知識人並びに医療専門家と協力すること」を要請した★10。ここで注目すべきは、「イスラム知識人並びに医療専門家」が、前述の、チュラーラーチャモントリー事務局の肝煎りで開催された会合に出席していたことである。BRNは政府に敵対しているために、原則的にはいかなる政府方針に対しても非協力の態度をとっている。だが今回は、地元住民に政府の感染防止対策への協力を求めた。これは2004年にこの地域で紛争が勃発して以来、初めて、間接的にではあるが公に政府の方針への協力を示したことになる。

 その結果、これら2つの声明が出された直後の金曜日(3月27日)から、村落部を含む南部国境3県の全域において、モスクにおける金曜礼拝を含むすべての礼拝が一時的に停止されることになった。かかる劇的な変化において、チュラーラーチャモントリー事務局から出された声明と、BRNのYouTubeを通じたそれのどちらがより影響があったのかを論じても結論は出ない。しかしながら、タイの国家権力の下でのイスラム統括機関であるチュラーラーチャモントリー事務局単独で出された3月18日付の声明に対しては、南部国境3県のムスリム住民はほとんど従わなかったこと、並びに、金曜礼拝の停止に対して地元住民からの協力を取り付けるためには現地の宗教指導者からの同意を必要とし、その同意が得られてようやく、それに基づく声明を5日後の25日に出していることは事実である。

 また、国境南部3県の県イスラム委員会(定員30名)の委員の中には、BRNやほかのパタニ解放運動組織との関与があるものがおり★11、BRNから出された3月26日付の声明は、謂わば「3月25日付のチュラーラーチャモントリー事務局の声明に従っても構わない(パタニ解放運動に対する敵対行為とはみなさない)」というお墨付きと解釈することもできるのである。新型コロナウイルスという未曽有の疫病に直面して起きた、政府と反政府側のせめぎあいの中で、南部国境3県のイスラム社会におけるモスクでの礼拝の重要性が改めて浮き彫りになったといえよう。

後篇はこちら

★1 パッタニー(Pattani、tが2文字続く)は、現在の行政区分で使われる南部国境3県のうちの1つの県の名前であり、パタニ(Patani、tが1文字)は、かつてこの地に存在していたマレー系の王国、また、その旧版図の全体を示すための呼称として用いられている。
★2 同日未明、ナラーティワート県、チョ・アイ・ローン郡にある陸軍の基地が反政府武装組織により襲撃され、警備にあたっていた兵士4人が殺害され、413丁の銃が強奪された。また、パッタニー県など数か所で爆発事件が発生し、これをきっかけに、南部国境県の治安は急激に悪化していくのである。
★3 戒厳令下では、軍隊が、あらゆる疑わしい人物を、容疑者として、場所を問わず7日間拘束できる。一方、緊急勅令においては、拘束のためにこの法令に基づく拘束令状が必要となっている。だが、治安部隊は容疑者を30日間拘束することができる。そのため、ほとんどの場合は容疑者はまず戒厳令に基づいて(つまり令状なしで)拘束され、7日以上の拘束が必要な場合はその間に、緊急勅令に基づく拘束令状を準備することになる。
★4 この対話において、マレーシアは、英語でファシリテーター(facilitator)として位置づけられている。進行役、という程度の意味であるが、実際にマレーシアがこのプロセスで行っている役割は仲介者に近いものである。フィリピン政府とミンダナオ島のムスリム武装勢力MILF(モロイスラム解放戦線)との和平交渉もマレーシアが仲介役を務めたが、その時も公式にはファシリテーターの位置づけであった。
★5 マラ・パタニに参加していた、パタニ・マレー解放運動の組織は、BRNのほかに、BIPP(Barisan Islam Pembebasan Patani、 パタニ・イスラム・解放戦線)、PULO(Patani United Liberation Organisation、パタニ統一解放組織)、GMIP(Gerakan Mujahidin Islam Patani、パタニ・イスラム・ムジャヒディン運動)がある。
★6 この業務に就く人員は、政府から月額600バーツの謝礼金を得ていたが、新型コロナウイルスの拡散に伴う業務の増加から、謝礼金が月額1000バーツに増額された。
★7 チュラーラーチャモントリーは国王の任命による政府内の役職である。タイ国中央イスラム委員会の委員長のほかに、タイ国内のイスラムの長として、国王に対してイスラム教に関する助言を行う立場にある。また、イスラムの休日や断食の期日など、イスラム法に関わる布告はこのチュラーラーチャモントリーの事務局の名前において出される。
★8 当該の通達においては、「バンコクとその周辺地域、並びに政府によって集会の禁止が通達されている地域」に対する通達とされており、南部3県については通達の中では明示されていない。
★9 このような世界観の一例として、前述の、ムスリム弁護士センター所属の弁護士から聞いた体験談を紹介しよう。タイ南部国境3県出身の、ある年配のマレー系ムスリムが、自身が所属する宗教グループの数日間にわたる行事のためにマレーシアに入国した。このムスリムは、その行事が終了次第タイに帰国する予定だったが、1つ問題があった。それは彼が国境での検問を経ずに(つまり不法に)マレーシアに入国していたことである。タイとマレーシアの国境地帯で、国境を隔てる人工的な壁などの障壁がある部分はごくわずかで、それ以外の地域は川や山岳地帯ある。従って、この両国間の国境を違法にまたぐことはそれほど難しいことではない。そのため、帰りの道中でマレーシア当局により不法入国のかどで身柄を拘束され、その後タイに強制送還された。ムスリム弁護士センターの弁護士は、強制送還に関わる法的な手続きの手助けを行った。この強制送還されたムスリムは、何かほかに違法行為(例えば違法労働や密輸など)を働いたわけではなく、入国の目的が純然に宗教行事への参加であったので、比較的スムーズに帰国できたそうである。このムスリムの男性と帰国後に接見した際、弁護士はパスポートの有無を尋ねた。すると、このムスリムは、悪びれた風もなく、「神のパスポートがある」と答えたそうである。この「神のパスポート」という表現には、地球自体が神の創造物であり、その地球上の移動を制限するような、(政府発行の)パスポートを含めた世俗的なものを意に介さない、という世界観が反映されているとも考えられる。
★10 声明が出された動画へのリンクは以下。URL= https://www.youtube.com/watch?v=9Q6zkFro7t4
★11 例えば、元パッタニー県イスラム委員の1人に筆者が行った聞き取り調査によると(2020年9月)、30人の委員のうち半数以上はBRNに何らかの関係を持つものであった。また、マレーシア在住のBRNメンバーへのインタビュー(2020年2月)においても、自身の組織と南部3県のイスラム委員会との関連が明言されていた。さらには、ヤラー県のイスラム委員会の現委員長(イスマエー・ハリ氏)は、マラ・パタニの和平対話団の団長であったスクリー・ハリ氏の父親にあたる。スクリー氏はBRN所属である。また、マラ・パタニを構成する組織の1つであるBIPPのアブー・ハフェズ氏へのインタビューによると(2020年2月)、かつてマラ・パタニとの和平対話に関与していたパッタニー県のイスラム委員はBIPPの構成員であるとのことだった(この委員は、2018年8月1日に、何者かによって銃殺された)。

原新太郎

1973年東京生まれ。1997年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、2002年マレーシア国立マラヤ大学においてマレー研究の修士号を取得。2009年より2015年までタイ国立プリンス・オブ・ソンクラー大学パッタニーキャンパスにてマレー語の講師として勤務。現在はフリーランスとして、研究、執筆、通訳・翻訳などに従事。1999年よりタイ在住。現在の主な研究対象は、タイ南部国境県における紛争とその関連事項。
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