ひとをつなぐ辞典、ひとがつむぐ言葉──飯間浩明×山本貴光×吉川博満「映画『博士と狂人』公開記念」イベントレポート

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ゲンロンα 2020年10月28日配信

 今月(2020年10月)公開の映画『博士と狂人』の公開を記念し、「ひとをつなぐ辞典、ひとがつむぐ言葉」をテーマに企画された本イベント。映画が、19世紀後半のイギリスを舞台に、世界最大級の英語辞書『オックスフォード英語辞典』(OED)編纂にまつわる実話を描いた作品だ。登壇するのは、『三省堂国語辞典』の編集委員であり、辞書づくりのおもしろさを伝える著作や情報発信で知られる飯間浩明と、ゲンロンカフェでもおなじみの山本貴光・吉川浩満コンビ。山本は歴史的価値から辞書を紐解くテクスト「この辞書を見よ!20 言葉のアーカイヴ形成史」(『投壜通信』所収)の著者でもある。そんな3人に、『博士と狂人』を出発点として、辞書の歴史、果たしてきた役割、そして今後予想される変化について語ってもらった。
 

辞書とアイデンティティ



 吉川は、『博士と狂人』の見どころについて、メル・ギブソンやショーン・ペンといった名優の演技と、不遇な人が能力によって脚光を浴びる展開に注目してほしいと語った。他方で山本は、辞書編纂という仕事の現場を映像として巧みに見せた作品と紹介。実際に辞書作りの現場にいる飯間は、この映画は「怖い映画」だという。たとえば作中では、意気揚々と始めた編纂作業が、最初の「A」で早くもつまずくエピソードが語られる。辞書づくりの難しさがリアルに描かれており、だからこそ怖ろしいというわけだ。

 『博士と狂人』の内容から、話題は『OED』そのものへ展開。『OED』は言葉の変遷や歴史を重視しつつ、英語のすべてを網羅しようとした辞書であり、語釈に続いて過去の文献から引用した言葉の実例が並んでいる。コンピューターもインターネットもない時代、膨大な用例の収集・選別作業を人力で行う困難さは想像に難くない。

 


 それだけの労力を費やしてまで辞書が編まれたのはなぜか。飯間によれば、欧州で母語の意味を包括的に記す辞書が作られ始めたのは17世紀からのことだという。それ以前は、もっぱら難しい言葉を集めた用語集の類や、古典語辞典、外国語辞典などが作られていた。これらの書物は、「わからない言葉を知る」ためのものである。

 それに対して『OED』は、「母語の全体像を捉える」という役割を担っていた。だからこそ『博士と狂人』の登場人物たちは、現代の辞書のように「客観的解説を加える」ものではなく、「言葉を集め、定義づける」という姿勢を取った。「言葉を定義づける」という彼らの態度はいまの常識からすると一見傲慢にも見える。その背景には、自分たちの言葉を収集・定義することを通じて、自分たちのアイデンティティを明らかにしたいという使命感があったと思われる。

 


生きた言葉を捉える



 話題はイギリスから日本へ移り、わが国における辞書・言葉の歴史にもスポットライトが向けられた。

 日本でも江戸時代までは、漢字の字引の類のほか、古語辞典や俗語辞典などが作られており、辞書は「わからない言葉を知る」ためのものだった。飯間によれば、近代的な国語辞典の嚆矢は大槻文彦の『言海』だという。文部省の官僚であった大槻は、1875年に辞書編纂を命じられた。10年以上かけてほぼ完成に至ったものの、予算などの問題が起こり、数年かけて分冊で自費刊行することになった。

 『言海』は官製の辞書として企画されたが、結局は民間の書物として流通した。以降いまに至るまで、日本には国が主導して出版した国語辞典は存在しない。大槻の苦労を考えると皮肉な結果だが、必ずしも悪いことではないと飯間はいう。民間で編纂されるからこそ日本語の辞書には柔軟性があり、生きた言葉を捉えられる。

 生きた言葉はしばしば辞書的な定義から外れる。ここで山本は飯間に、言葉の誤用についての考えを尋ねた。かつては「日本語警察」よろしく、心のなかで他人の言葉の誤りを指摘しては暗い満足感を得てきたと告白する飯間。だがいまでは、「この使い方は間違い」「この言葉は使うべきではない」などと決めつけることはないという。辞書編纂の仕事に就き、言葉が時代とともに変わることを目の当たりにして、言葉を正誤では捉えなくなったのだ。

辞書のこれから



 20世紀後半以降、辞書をめぐる環境は激変した。最大の変化はデジタル化だ。いまでは学生が使うのはもっぱら電子辞書だし、ネットで複数の辞書を検索し比較するのもかんたんだ。

 一方で根強い紙のファンもいる。「辞書は紙かデジタルか」という質問に対しては、意外にも3人全員がデジタルの辞書を愛用していると述べ、今後世間でも、紙の辞書はますます引かれなくなるだろうという意見で一致した。一方で、デジタル辞書が出版社に利益をもたらしているとも言いがたい。飯間は、辞書業界の今後が多難であることに懸念を示した。辞書が売れなくなった現在、これまでにない新しい辞書像を作る取り組みが必要になりそうだ。

 辞書はこれからどう変わっていくべきなのか。山本は、いまのデジタルの辞書は、ユーザーカスタマイズの機能が弱いと注文をつけた。よく引く語彙の分野を記憶して検索対象が切り替わったり、語源を辿りたいときに多言語の辞書が連携できたり、ユーザーの視野にない辞書をサジェストしたり、使い方に応じてカスタマイズできるようになれば、辞書はより魅力を発揮できるようになるだろう。

 吉川は、辞書が生活のアシスタントになっていく未来を予想した。たとえばSF作品で描写されるように、脳内である単語について考えるだけで、自動的に意味や用例がサジェストされる時代が来るかもしれない。そのとき、わたしたちと言葉の関係はどう変わっていくのか。ひとと辞書、ひとと言葉のつながりに、今後さらなるパラダイムシフトが生まれるかもしれない。

 


参考文献など



 鼎談の合間では、近年出版された辞書を題材にした研究、エッセイやフィクションの紹介も行われた。三浦しをん『舟を編む』、安田敏朗『大槻文彦『言海』 辞書と日本の近代』、コーリー・スタンパー『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、韓国の映画『マルモイ』などが取り上げられた。会場には縮刷版の『OED』や『言海』など、イベントで名前の挙がった本の実物も持ち込まれ、トークは大きな盛り上がりを見せた。山本はイベント後に、話題に出た辞書などのリンク集もブログで公開している。

 言葉の不完全さ、伝わらなさについても話題に挙がった本イベント。動画をご覧いただき、このイベントレポートがどのくらい内容を伝えられているか、突き合わせるのも一興かもしれない。(升本雄大)

 


飯間浩明 × 山本貴光 × 吉川浩満 ひとをつなぐ辞典、ひとがつむぐ言葉 ──映画『博士と狂人』公開記念(番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20201014/
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