責任と欲望を生み出すために 國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか──原子力と中動態をめぐって」イベントレポート(標準語ver.)

ゲンロンα 2020年11月7日配信

 旧知の思想家からの批判に、闘う哲学者はどう応答するのか――。
 東浩紀は、今年9月に刊行した『ゲンロン11』の巻頭論文「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」で、國分功一郎の議論を重要な参照項としている。しかし、そこには國分に対する批判も多分に含まれる。
 同論文を読んだ國分からの申し出によって実現した三年ぶりの対談は、どのように展開したのか。イベントレポートをお届けする。
 なお、東の論文についての議論をひととおり終えたのちに交わされたイベント後半の対話については、関西弁ver.として別のレポートが執筆された。そちらもぜひお読みいただきたい。(ゲンロン編集部)

 

帰責性と責任

 イベントは國分による応答プレゼンをもとに進行した。結論から述べると、意外にも國分と東の問題意識はかなり近いということが明らかになり、意外なほど生産的な議論が交わされることとなった。その一部を紹介したい。

「悪の愚かさについて2」(以下、東論文)における國分批判はふたつの要点がある。まずは、東論文におけるひとつ目の國分批判である「加害と中動態」の議論から振り返ろう(東論文をすでに読んだかたは、以下の2段落は読み飛ばしていただいて問題ない)。

 

 前提として、東は國分が『中動態の世界』において展開した「中動態」の議論の重要性を大きく認めている。中動態とは、古代ギリシア語などの言語に見られる動詞の活用法で、能動態と受動態の対立の外にあるありかたを指すものである。たとえば、能動態が「殴る」というありかたを、受動態が「殴られる」というありかたを指すとすれば、中動態は「わたしがわたしを殴る」や「わたしが殴られた感じになっている(心理的に打ちのめされている)」という状態を指す。『中動態の世界』の副題が「意志と責任の考古学」であることからもわかるように、この中動態の存在は意志や責任の概念を部分的に解体するものとして想定されている。つまり、アルコールや薬物の依存症に典型的に見られるような、「イヤイヤながらやってしまった」という行為のあり方に光を当てるのが中動態なのだ。

 しかし、國分の議論は中動態が「加害」と結びついたときの問題を検討しきれていない。東の批判の要点はそこにある。たとえば、いじめに消極的にであれ加担するひとの多くは「イヤイヤながらやってしまった」という感覚を持っているだろうし、旧日本軍で人体実験を行なった医師の「何げなし」という証言にもおなじ感覚が見受けられる。そのような中動態的な悪=「愚かな悪」はどうすれば記憶できるのか、というのが東論文の問題意識だ。

 イベントでの応答で、國分は上述の批判に応えて自身の立場をこう述べた。「意志」の概念は解体するべきだが、「責任」の概念は中動態の議論を経由して新しくつくり直さなければならない、たしかにその部分は前掲書では書き切れていない――。

 國分がその新たな立場を説明するために展開したのが、「帰責性」と「責任」の区別をめぐる議論だ。「帰責性imputabilité」とは動詞の「imputer(~のせいにする)」に対応する語で、「責任responsablité」は「répendre(応答する)」に対応する語である。國分によれば、前者は「能動態/受動態」という二項対立を前提とした概念として解釈できるのに対し、後者は中動態的なありかたを射程に入れた語である。このふたつの語のちがいをわかりやすく示す例として國分が挙げるのが、平井秀幸『刑務所処遇の社会学』で紹介された薬物依存離脱指導のフィールドワークやドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』で描かれる加害者ケアの現場だ。

 

 たとえば後者の映画に登場する受刑者は、自らが犯した罪について「お前のせいだ、お前が悪い」といくら責められても、「自分が悪い」と感じることができない。受刑者がいくらそう思いたがっていたとしても、そうなってしまう。しかし、いったん自分のことを「ある境遇のなかで罪を犯してしまった被害者だ」と見る視点を経由すると、そのことによってはじめて自らの罪と向き合えるようになることがあるのだという。それは、自らの責任をどう引き受けるかという姿勢につながる。國分自身も、あるシンポジウムで「人間は必ずしも自らの意志で行動しているわけではない」という『中動態の世界』のテーゼを述べたさい、聴衆のなかにいた元受刑者から強い反応と共感を得る経験をしたことがあるという。國分の近刊は『責任の生成』(熊谷晋一郎との共著)と題されており、責任の問題は今後も大きなテーマになりそうだ。

 國分のこの問題意識は東のそれとも重なるものである。東は國分の議論の可能性を認めたうえで、これを日本の戦争責任の問題へと展開した。

 東が参照するのは批評家・加藤典洋の議論だ。90年代、加藤は『敗戦後論』で自国の死者を追悼したうえで戦争責任に向き合うという理路を説き、左派的な責任論を掲げる高橋哲哉との論争に発展した。加藤がこのとき述べていたことは、軍国主義の日本という「加害者」をどう「ケア」するかの問題として捉え直すことができるのではないか。

 そもそも日本では、兵士として戦地でたたかった人びとの記憶は身内にさえなかなか伝えられていない現状がある。それでも、80~90年代まではNHKや出版物などの媒体で戦争の記憶を語り残す動きがあった。しかし、いまではその時代の証言の記録は、まさに日本人にとってアクセスしづらいものになり、戦争の記憶は断絶してしまっている。その断絶が起こるまえの最後の時代が加藤と高橋の論争のころで、そのときに「加害者としての日本のケア」がうまく行われていれば、いまのような歴史修正主義が跋扈する状況はなかったのではないか。東はそう指摘した。

『原子力時代における哲学』のハイデガー評価をめぐって

 ふたつ目の論点は、國分の『原子力時代における哲学』におけるハイデガー評価をめぐるものだ。ふたたび「悪の愚かさについて2」の東の議論を振り返ろう(おなじく東論文を既読のかたは、以下の2段落は読み飛ばしていただいて問題ない)。

 東論文の中動態に関する議論は原発事故の問題にもつながる。ここでも國分の議論が俎上にのせられる。國分の『原子力時代における哲学』によれば、原子力についての思考の歴史を貫いているのは、「核兵器には反対だが、原発には賛成」という姿勢であり、唯一それにあらがう思想を残したのがハイデガーだ。國分は前者の姿勢の原因を、(中沢新一『日本の大転換』を援用して)太陽エネルギーという「贈与」を受けない生を目指す「ナルシシズム」に求めている。その幼稚な全能感を克服するために必要なものとして、國分はハイデガーの「放下」の思想を取り上げる。「放り出されていること」「委ねられていること」という含意をもつこの語は、中動態に近いありかたを指すものだ。放下=中動態の想起によって、われわれは核兵器と原発をひっくるめた原子力への依存を脱することができる。これが、(東のまとめによる)國分の議論だ。

 

 それに対し、東は國分のハイデガー評価は過大だと批判する。ハイデガーは、あらゆる「技術」を古代ギリシアに遡って批判するべきだという議論を行う哲学者だ。國分が『原子力時代における哲学』で展開すべきだったのは、ハイデガーの技術哲学を援用した「大きすぎる」議論ではなく、より具体的な問いの追求だったのではないか。つまり、國分は「核兵器と原発は本質的におなじものなのに、なぜ人びとにはそれが別のものに見えたのか」という問いに応えるべきだったのではないか。以上が東論文における國分批判の2点目である。

 

 イベントでの応答で、國分は自身のハイデガーに対する過大評価を認めつつも、『原子力時代における哲学』の狙いは別のところにあったのだと説明した。國分いわく、ハイデガーの読解をとおして現在の単純化された反原発運動に批判的な視線を投げかけることが狙いだった。

 たとえば、國分は同書で以下のように述べている。「ハイデッガーは原子力の危険性に気づくことはできたけれども、その後の理路を誤ったということも考えられます」「ハイデッガーは誤った方向に突き進んで遠くまで行ってしまっただけで、我々もまたハイデッガーと同じ方向を向いているかもしれないのです」(ともに126頁)。つまり、あくまでもハイデガーに対する態度を保留したうえでその思想の可能性と限界を検討すること、そのことで新たな反原発思想の進むべき方向を模索すること。これが國分の意図だったという。それゆえ國分は、あくまでも同書の議論をひとつの仮説として提示することにこだわった。東論文における批判的言及は、原子力についての哲学的議論が活性化することを願う國分自身にとっても望ましいものだったのだ。

 東も、同書の問題提起(「核兵器には反対だが、原発には賛成」という姿勢は虚偽意識に基づいている)が正しいことや、それによって自身の議論を前進させることができたということは認めている。東は、そもそも哲学においては、核兵器や原発の問題を考えるさいに参照できる議論の蓄積が乏しいと指摘した。20世紀後半の哲学は、ホロコースト(アウシュビッツ)をあまりに特権化するがゆえに、核兵器(ヒロシマ)は看過してきたともいえるのではないか。この不均衡や貧しさについては、今後も考えていかなければならないと東は述べた。

「愚かさ」について

 國分からは東論文の「悪」の議論に対する問題提起が行われた。「凡庸な悪」と「愚かな悪」のちがいについての議論だ。前者はハンナ・アーレントがかつてユダヤ人虐殺に加担したアドルフ・アイヒマンに見いだした悪であり、後者は東が旧日本軍の731部隊などに見いだす悪のかたちだ。

 國分は、このふたつの悪は結局はおなじものなのではないかと疑問を呈する。たとえば、アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』において「凡庸な悪」について述べた「彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった」という箇所(東論文でも引用されている)は、中動態的な「何げなし」の悪=愚かな悪とおなじ事態を指しているのではないか。

 

 これに対して東はつぎのように反論した。たしかに、アーレントの上述の文章や「まったくなにも考えていないということsheer thoughtlessness」という言葉には曖昧さが残っている。しかし、そこでアーレントが仮想敵としてカントの道徳哲学を念頭においていることに注目すべきだ。

 カントは「あなたの意志の格率がつねに同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」という「定言命法」を提案したことで知られる。これは、自らの意志が公共の意志と一致するように行動しろという命法と言い換えることができる。アイヒマン自身が公判でカントの名を挙げたことが知られている。アーレントはそこに注目している。つまりはアーレントは、アイヒマンはこのカントの命法をきわめて愚直に実践したと考えたのだ。アイヒマンはユダヤ人を殺したくなかったが、ナチス・ドイツの公共的な意志(超自我)に従うことでがまんして殺したのである。

 東はそこから、自分の主体性を捨てて超自我に従う「凡庸さ」に対して、最初から従うべき超自我が存在しない「愚かさ」について考えなければならないと議論を進める。そもそも「愚かさbêtise」という語は「獣bête」に由来し、動物性についての哲学的な議論と密接に結びつく(「愚かさ」はドゥルーズの『差異と反復』やデリダの『獣と主権者』でも扱われた概念だ)。東によれば、これは國分の『中動態の世界』の最後に収められた『ビリー・バッド』論とも関わるものである。

 愚かさ=動物性の問題については導入的な論点の紹介のみがなされ、詳しい議論については次回以降に持ち越しというかたちになった。今後、東と國分はこの問題をそれぞれどのように展開していくのだろうか。

意思決定支援ではなく「欲望形成支援」を

「愚かさ」の問題のほかにも、今後展開されることになるかもしれない論点は無数にあった。質疑応答のコーナーで、医療従事者から「今後の医療のあるべき姿」を問われたさいの國分の回答を取り上げよう。

 國分は、ある医療関係の勉強会に参加したときのエピソードを披露した。國分が問題を感じているのは、現在の医療現場に普及している「意思決定支援」の発想だ。意思決定支援はインフォームド・コンセントと深く関係する概念で、「治療法の選択肢と情報を患者に与えることで、患者の能動的な選択を支援する」という考えだ。

 しかし、國分はそこに「情報だけを与え、あとはすべて患者の責任」とする冷たさを感じるという。そこで、「欲望」を重要なタームとしたドゥルーズから発想を得て、ほんとうに重要なのは「欲望形成支援」なのではないかと提案した。すると、医療関係者たちから「意志決定支援という言い方はおかしいと思っていた。そう考えればよかったのか」と大きな反響を得たのだという。

 東はこの言い換えに膝を打ち、ゲンロン経営者としての自身の実感に結びつけた。東に言わせれば、現在の知識人は人びとに情報を与えることに終始している。しかし真の啓蒙に必要なのは、情報への「欲望」をかきたてることだ。文化というものはほんらい不安定なもので、知への欲望の再生産なしに文化の存続はありえない。(知識人の役割とか欲望の話はもうちょい先まであるんやけど、それは関西弁版のレポートで書いたから、よかったらそっちも読んでや~)


 イベントではこのほかにもさまざまな議論が交わされた。なかでも、東が中動態の議論を言語学的に深めうるものとして紹介した能格言語と対格言語の対立や言語学者・松本克己の歴史言語学/言語類型論はとても興味深かったが、残念ながら紙幅の都合上その内容をここで紹介することはできない。ジョルジュ・アガンベンのコロナ関連発言に対するふたりの一致した見解や、現在の日本や世界の政治状況についてのそれぞれの意見が述べられる場面もあった。全容は動画で確認してほしい。(住本賢一)

 こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。
 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20201027

國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか──原子力と中動態をめぐって【『ゲンロン11』刊行記念】」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20201027/

 

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