民主化の進展と観光の復興――ノック・パックサナーウィン×上田洋子×福冨渉「プーケットと感染症」イベントレポート

ゲンロンα 2020年11月28日配信
 11月18日、シリーズ「コロナ禍の世界から」の第5弾が開催された。世界各地の知識人から、直接現地の様子や文化への影響、社会の変化を聞く本シリーズ。今回は7月の第3弾に続き、タイの最新の動向を取り上げた。
 聞き手は引きつづき、ゲンロン代表の上田洋子と、タイ文学者でありゲンロン社員でもある福冨渉。ゲストのノック・パックサナーウィンは、タイのプーケット島で書店・カフェを営み、隣接する離島のコミュニティ・クリニックで自ら医師としても勤務している異色の人物。首都・バンコクから800km離れたプーケット。新型コロナウイルスと民主化デモの波は、このタイ有数の観光地にどのように届いたのだろうか。(ゲンロン編集部)

SNSから憲法改正へ

 イベントは2部からなり、前半では民主化デモの進展について福冨が報告し、後半ではそれを踏まえてノックとのビデオ通話が中継された。若者が中心となり、SNSを活用して広がったデモは、憲法改正という大がかりな政治改革を目指すことになった。その過程はどのようなものだったのか。

 変化のはじまりは、8月に入って王室批判が公言され始めたことだった。

 タイでは国王は強い権力をもち、王室批判は不敬罪に問われる。今回の民主化デモにおいても、当初は王室への批判は抑制されていたという。しかし、新型コロナウイルス対策における不祥事や、当の国王がドイツに長期滞在していることが、次第に批判を呼び起こした。

 王室改革の具体的な要求は、運動家たちにより「10の要求」として明文化された。ただし、国王を起訴することを可能にするなど、あまりに急進的な要求であり、実現する見通しは乏しかった。

 

 そこで、国王の権力を制限する現実的な方策として考えられたのが、憲法改正による上院の改革だ。タイの議会は、定数250人の上院と定数500人の下院で構成される。上院は、日本でいえば参議院にあたる機関だが、議員は選挙ではなく選考委員の指名によって選ばれる。選考委員は国王と結びついた軍政関係者だという。上院を下院と同じく公選制にできれば、国民の意見が反映されやすくなるはずだ。

 憲法改正の市民案を提出するために、法で定められた手続きにしたがって5万人を越える署名が集められた。市民案の提出に対応して、議会でも憲法改正案がつくられた。しかし、与党案以外に5つの野党案が乱立するなど、審議の行方は不透明である★1。これからの審議で、民主化を目指す勢力はうまく力を合わせられるだろうか。

 SNSで広がったデモが憲法改正という実を結ぶのか。先行きはまだわからない。

「プーケット・モデル」から地方分権へ

 大規模なデモが行われているにもかかわらず、タイでは新型コロナウイルスの感染が抑えられている(11月18日時点で感染者数3880人、死者数60人)。そんななか、10月には外国人の観光が解禁された。

 タイにおいて観光は大きな産業であり、プーケットはその中心地だ。観光業は国のGDPの2割を占め、2019年には1000万人の観光客がプーケットを訪れた。ロシア文学者である上田によれば、ロシア人にとっても、プーケットは憧れの観光地なのだという。

 タイ政府は、プーケットをコロナ禍における外国人観光のモデルケースとして位置づけた。プーケットを入国後隔離施設の拠点とし、観光客は隔離期間中でも、ホテル近くのビーチを訪れることができる仕組みが取られている。ただし、観光ビザは以前のように簡単に取ることはできず、長期滞在する富裕層にターゲットを絞っている。この一連の施策は「プーケット・モデル」と呼ばれ、世界の注目を集めている。

 

 イベント後半からZoomで出演したノックは、プーケット・モデルの意義を認めつつも、問題点を厳しく指摘した。恩恵を受けるのは観光業に携わる住民の一部にすぎず、ほかの産業に従事する人びとへの支援策はおざなりにされているという。またタイでは、県の知事が選挙によらず政府の任命により決まるため、住民の意見をくみ上げる仕組みがない。これでは地域の声は軽視されざるを得ない。国家権力の民主化が目指されるのと同時に、ノックは国家と地方の関係を見直し、地方分権を強化する必要を訴えた。

 

国境を越えた連帯と家庭内の断絶

 バンコクを中心とした民主化デモは遠く離れたプーケットにまで広まり、さらには国境を越えた連帯も生み出している。ノックは「ミルクティー・アライアンス」と呼ばれる動きを紹介した。タイと台湾、香港の若者たちがSNSをつうじて連帯し、おたがいにデモを支持しあっているのだという。

 マクロな連帯を呼ぶ民主化運動だが、一方でミクロには断絶を引き起こしている。とくに地方では、国王を支持する保守派の人びとが多い。家庭内では民主化の話題がタブーになっており、だからこそ若者はSNS上で活発にコミュニケーションを取り、路上で民主化を叫んでいるという側面もある。

 上田はこれを聞き、自分たちの親を説得できないようであれば、民主化の支持者を増やし、大きなうねりを起こすことはできないのではないかと疑問を投げかけた。しかし福冨によれば、親が自分の子を不敬罪で通報する例まであるそうだ。家族だからと言って、本当の心のうちを明かせるとは限らない。タイに固有の問題も浮き彫りになってきた。

総合診療医としての作家

 作家、医師、カフェ経営者などたくさんの肩書をもつノックだが、多彩な活動はみな一体のものなのだという。小説を書くことも、患者の診療を行うことも、カフェでコーヒーを淹れて客の話を聞くことも、彼にとっては同じことなのだ。そこには、人びとの生活や対話からしか世界は変えられないのだという、静かな信念がうかがえた。彼の活動は、文学による世界の「診療」のようなものといえるかもしれない。

 ノックは「読者の解釈は自由だ」といって、自身の作品については多くを語らなかった。彼の小説「トーン」(『世界の文学、文学の世界』に福冨による日本語訳が掲載されている)では、2004年のスマトラ沖地震でプーケットを襲った津波が題材となっている。プーケットは大きな被害を受け、復興し、観光客が戻るまでには相応の時間を要した。震災からの復興を経て、今度は感染症からの復興が模索されている。

 

 今後民主化が成し遂げられたとしても、保守派と改革派の間には溝が残るだろう。国民を二分するような大きな対立を修復するためには、生活や対話といった小さな世界のことを忘れないことが重要だろう。(國安孝具)

 

シラスでは、半年間アーカイブを公開中(税込880円)。ニコニコ生放送では、今後の再放送の機会をお待ちください。

ノック・パックサナーウィン×上田洋子×福冨渉「プーケットと感染症――観光、医療、津波復興」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20201118/

★1 イベント中に進行した国会における採決の結果、野党案のうち4つと市民案が否決された。市民案が否決されたことで、デモは大きな壁に当たったといえる。なお可決された2案(与党案および野党案のうち1案)は、今後さらに数段階の審議を通過すれば、国民投票にかけられる。ただどちらの案でも、王室関連の条項に関する改正はおこなわれないことになっている。

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