記号化する身体を取り戻せ!――『磯野真穂×さやわか「ダイエットという幻想、あるいは愛とルッキズムの現代文化論」』イベントレポート

ゲンロンα 2021年2月17日配信
 なぜ「やせたい」と思うのだろうか。美しくなりたいから? 健康になりたいから? モテたいから? やせている人は自己管理ができ能力が高いから?(太っている人は自己管理ができずにだらしないから?)
 人類学者の磯野真穂は『ダイエット幻想』『なぜふつうに食べられないのか』などの著書を通して、食べることと、からだと社会との関係を考察し続けている。「美しく、健康なからだ」は時代や地域によって大きく異なる。糖質制限など、一見「科学的」とされるダイエットも、必ずしも「正しい」とは限らない。いまの人々にインストールされている「ダイエットをしてやせることで、美しく、健康なからだを手に入れる」という物語は、歴史的にみると異常ですらある。《いまの20歳女性の体型は、栄養失調が国として問題視されていた時期よりもやせている》(『ダイエット幻想』、84頁)と磯野はいう。
 他方でライターのさやわかは、さまざまなカルチャーの分析を通して、物語と社会の関係を論じてきた。「ゲンロンβ」で連載中の「愛について――符合の現代文化論」では、記号と意味とを対応させる「符合」に注目している。
 例えば「やせている」ことは、美しいこと、健康であること、他人から評価されることを必ずしも意味しない。それは慣習的かつ恣意的に決められているものにすぎない。さやわか氏は、現代社会のなかで固定化された記号と意味の結びつき=符合を解きほぐすことによって、人々が困難を乗り越えるためのヒントを模索している。そしてなにより、自身が半年間で35kg(!)もやせたことがあるというすさまじいダイエット経験の持ち主でもある。
 2月2日にゲンロンカフェで行われた両者の対談では、ダイエットについて、ルッキズム(容貌で価値を判断すること)について、さらには筋トレと新型コロナウイルスをめぐる情報流通の共通点についてまで、人間の身体・生命と記号・情報の関係にまつわる様々なことが語られた。以下にイベントの模様をお送りする。(ゲンロン編集部)

 

サンプル数1の実証実験「さやわか式☆ダイエット」

 イベント前半では、まずはさやわかがかつて行ったダイエットが話題になった。彼がダイエットを始めた動機は、筋肉をつけたい、健康になりたいといったものではなく、「ファッションの一部として太ったりやせたりしたら面白いのでは」という思いつきからだったという。

 具体的な方法は、「3日まったく食事をせずに1日たくさん食べる」というサイクルの繰り返し。これを数度にわたって実行した結果、体重は減ったものの、健康上の悪影響を感じることになり、さらに「見た目がコロコロ変わると人に不安を与える」ということがわかった。「太ったりやせたりすること」を目指して実践しているにもかかわらず、太ると「リバウンド?」と聞かれ、やせると「病気?」と心配される。メディア関係の仕事の場で「見た目があまり変化しすぎると、どういうキャラクターの人かわからなくなってしまうので好ましくない」といわれたこともあるそうだ。

 

 磯野は、さやわか式のダイエットは、摂食障害に悩むひとの食べ方にかなり近いと指摘する。ただし、大きな違いが一点ある。それは、さやわかがダイエットを目的としているのではなく、ダイエット中の自分を俯瞰的に見つめているところだ。

 長期にわたって摂食障害に苦しむひとは、自分を客観視することが難しくなっていることが多い。典型的なケースとしては、思春期にうまく食べることができなくなり、それが対人関係や社会生活に悪影響を及ぼしてしまうもの。思春期の大部分をその状態で過ごすと、食べ方だけでなく、人の付き合い方自体も、その後わからなくなってしまうことがある。食べられない状態は身体には負担が大きいが、精神にとってはその同じ状態を継続するのほうが負担が少ない。また、自己イメージを「やせ続けている人」と規定してしまうと、「太ったね」と言われることに恐怖を感じ、現状を維持していても不安になってしまうことがあるという。自分と「やせている」という記号とが切断されてしまうこと、それそのものがおそろしく感じられるのだ。

 さやわかは、カルチャー批評をするにあたり、「どのような記号も決して唯一無二の意味と一体一対応で結びついているわけではない」と考え、記号と意味の関係=符合を切断することに興味を持ってきたという。意図的に様々なファッションやカルチャーを身にまとうことは、自らを一つの記号に固定しないための方法であり、ダイエットによる「やせたり太ったり」もそういった実践の一つなのだ。ただ、冒頭で述べたような方法論はデメリットが大きすぎるため、現在は筋トレ中心の生活に切り替えているとのこと。イベント内では、体を張って実証された断食ダイエットのエピソードや、筋トレへ至った心境も語られた。詳細に興味のある方は、アーカイブ動画を確認してほしい。

 

ルッキズムからの離脱は可能か?

 イベントの後半では、ボディ・ポジティブ(ありのままの体型こそが美しいという考え方)、ボディ・シェイミング(体型への批判)に対する反発など、近年注目される身体に関する考え方に話題がおよんだ。磯野は、「人間を身体で判断する」ことへの反発の意義を認めつつも、そういった運動は、外見からの判断を完全になくすことにはつながらないと指摘する。

 ボディ・ポジティブの実践者であるインフルエンサーたちは、一切の判断基準を捨てているわけでは決してなく、「美しさ」に関する新しい価値基準や尺度を提示しているにすぎない。ボディ・シェイミングへの反対も、突き詰めると、「外見からの評価を排除する」結果として全員がリクルートスーツを着る日本の就職活動のような状況を招きかねない。本当にそれが望ましいのか。

 結局のところ、人間は身体をもっている以上、身体をベースにした判断を完全になくすことはできない。何の意味もない姿かたちは存在しない。そうである以上、健康に生きるためには、ある程度のゆらぎを持ちつつ「自分にとってある程度心地のよい記号」を見つけていくことも大切だろう。

 

リスク管理としてのダイエット、情報としての健康

 近年は、医学界のダイエットへの参入も目立っている。磯野によると、医師によるダイエット本がベストセラー入りしはじめたのは2010年頃のことで、それまでは栄養士によるものが多かった。医師は食や運動などの読み手が具体的に実感を持てる事柄よりも、数値に依拠した抽象的な「健康」を語ることが多い。そこで取り上げられる「健康」には身体感覚が希薄であり、読者の側の判断基準も、たんに「信じたいか信じたくないか」になってしまう。磯野は、現在の新型コロナウイルスをめぐる情報流通とも相通じるところがあると見る。

 この問題提起を受け、さやわかは、医療がリスク管理を主張することの影響にも注目すべきだと補足した。もともとリスクという言葉は、「勇気を持って試みる」といった意味のイタリア語に由来し、自ら主体的に選んだ選択により、遭遇したくないことに遭遇してしまうことを指していた。しかしそこから意味が広がり、「30%の可能性で損をする」といった期待値の評価に使われるようになっていった。

 医療が提唱する「リスク管理」は、このような計量主義の文脈のうえに存在する。さやわかのこの指摘を受けて、磯野は、本来健康であるはずの人も含め、すべての人間は「病気のリスクがある」のであり、現実に病人として扱われつつあると指摘した。生命至上主義の現代社会では、「ではリスクを無視してあなたやあなたの大切な人が死んでもいいのか」と言われると、抗うことはとても難しい。

 ではどうすればよいのか? 答えは簡単には出ないが、さやわかが自らダイエットで実践したように、「健康」や「生命」、あるいは「筋肉」や「糖質」といった記号と意味を一対一の対応=符合から解き放ち、遊びを入れながら様々な可能性を見出していくのもひとつの回答になるだろう。磯野の著書『ダイエット幻想』にも、そして本イベントでの二人の対話の中にも、様々なヒントがかくされている。

 服装・ファッションについて。薄毛とルッキズムについて。「筋肉は裏切らない」筋肉信仰について、インスタグラムにおける「健康」について……などなど、残念ながらここでは触れられなかった話題についても、当日は示唆に富むトークが展開された。ぜひアーカイブ動画を確認してみてほしい。(堀安祐子)


 シラスで、半年間アーカイブを公開中(税込990円)です。ぜひご覧ください。

磯野真穂×さやわか「ダイエットという幻想、あるいは愛とルッキズムの現代文化論」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210202/

 

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