ヒップホップミュージックの言葉とその文学性――菊地成孔×荘子it×吉田雅史「ラップは文学なのか、小説はポップスなのか タモリからケンドリック・ラマーまで」イベントレポート

ゲンロンα 2021年3月3日配信
 昨年8月、ゲンロンカフェで「キャラクターから考えるヒップホップ」というテーマのもと、ラッパーやビートミュージック、そして機材のキャラクター性についてのイベントが行われた。ラップにおける音楽的側面を扱った前回をうけて、今回はゲンロンカフェより「ラップは文学なのか、小説はポップスなのか」というお題を登壇者に投げかけ、主にラップの歌詞(リリック)について議論してもらった。
 ラップのリリックがもつ文学性とは何なのか。領域横断的な活動を続ける3名、批評家/ビートメイカー/MCの吉田雅史、Hip HopクルーDos Monosのリーダーである荘子it、そしてジャズミュージシャン/ラッパー/文筆家の菊地成孔によって、盛んにマイクリレーが行われた。(ゲンロン編集部)

 

アメリカにおけるヒップホップの文学性

 コンシャスラップの代表的ラッパーであるJ. Cole(ジェイ・コール)と、同じくラッパーであり詩人、活動家のNoname(ノーネーム)が、Twitter上で対立したのは記憶にあたらしい。

 そもそもコンシャスラップとは、社会政治への関心をリスナーに高めてもらうことを目的とした、ラップミュージックのサブジャンルのひとつである。BLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動のデモにも参加したことのあるJ. Coleが、その急先鋒で活動していたNonameにビーフ(ラッパー同士の楽曲によるバトル)をしかけた背景には、ラップカルチャーに特有の問題があった。

 イベントでも、この騒動が話題となった。菊地は背景に、ラップの「言葉オリエンテッド」な性格が関係していると指摘する。ラップソングは当然のことながらリリックを持つ。ラップが言葉で表現する音楽であり、歌詞の中でダブルミーニングを多用する音楽でもある以上、言葉の解釈は人の数だけ存在する。こういった事情もあり、ヒップホップカルチャーはときに言葉尻を攻撃されやすく、またSNSにおける吊るし上げや、ラッパー間同士の争いに発展しやすい音楽ジャンルでもあるのだ。

 言葉を多用せずにミュージシャンが社会的な抵抗を示してきた音楽のひとつに、ジャズミュージックがある。「音楽と言葉」という文脈から、BLMを経由したジャズのアルバムとして、菊地からいま聞いてほしい現代ジャズの最新譜が紹介された。ジャズトランペッターAmbrose Akinmusire(アンブローズ・アキンムシーレ)の『on the tender spot of every calloused moment』(2020)である。このアルバムは、北米大陸で公民権運動が吹き荒れた60年代のジャズ作品とも通底する、抽象的な怒りに満ちていると菊地は評価する。本イベントで紹介されるヒップホップの音源とともに、ぜひアンブローズのジャズにも耳を傾けてほしい。

 

 現代を代表するコンシャスラップのスターがもう一人いる。それは本イベントのサブタイトルにも名があげられているKendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)である。ケンドリック・ラマーはカリフォルニア州コンプトン出身であり、同郷のラッパーDr. Dre(ドクター・ドレー)にセカンドアルバムをプロデュースされ、スターダムに駆け上がった。彼の楽曲は、ホームタウンで経験した出来事やラッパーとして活躍することの葛藤を、現代のアメリカ社会と緻密に結び付けた、社会的・政治的なメッセージの強いリリックをもつことで有名である。なぜケンドリックの楽曲は多くの人々をひきつけるのか。彼の音楽の文学性について議論が行われた。

 吉田は、ケンドリックのリリックにおけるセリフの重層性に着目し、歌詞の世界観がポリフォニー的であると指摘した。また菊地からは、ケンドリック・ラマーのラップはもはやコンシャスラップとは呼ぶことのできない超ヒップホップ的なものであり、アメリカ文学的ですらあるとコメントがあった。さらに荘子itは、ケンドリックの歌詞の一部分が冒頭に引用されている短編集『フライデー・ブラック』(ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー著、押野素子訳、駒草出版、2020)を紹介し、ヒップホップと短編小説との親和性について意見を述べていた。

 

 イベント中、たびたびGeniusという歌詞検索サイトの名があがった。このサービスは、難解なラップソングのリリックに誰でも自由に注釈をつけることができるツールとして活用されている。ナードたちは、話題のラッパーが新作をリリースするやいなや、そのリリックにこめられたダブルミーニングの解読や、ひいてはラッパーの意図していない裏の意味を深読みし、Geniusに投稿するのである。とりわけケンドリック・ラマーの作品は、まるでロラン・バルトの『S/Z』のように、膨大な注釈で満たされている。新しい作品が即座に分析機関に回される点からも、ケンドリックはトマス・ピンチョン的な文学性をもつラッパーであると言えるのかもしれない。

 また、アメリカにおける「ラッパーの語彙」というテーマで、昨年10月に亡くなったラッパーのMF Doom(エムエフ・ドゥーム)が、最もリリックのボキャブラリーが豊富なラッパーとして紹介された。彼の数学的なライミングスキルについての興味深い議論は、ぜひ本編映像で確認してほしい。

 

日本におけるヒップホップの文学性

 イベントの後半は、日本におけるヒップホップの文学性についての議論が中心となった。後半冒頭で吉田が紹介した曲は、ラッパーの鬼による「小名浜」である。

 小名浜は福島県いわき市南部の町で、ゲンロンの読者・視聴者であればご存じの通り、今年3月11日に『新復興論』増補版を刊行するローカル・アクティビストの小松理虔氏が在住し活動している。菊地は鬼の「小名浜」のヒップホップ的な文学性を高く評価し、匹敵する日本の現役作家として金原ひとみの名前を挙げるなど、リリックのリアリティに焦点をあてて議論した。

 日本語ラップと文学というトピックのなかで、もう一組大きく取り上げられたのが、埼玉県熊谷市を拠点に活動し、その楽曲が様々な層に支持されている、ヒップホップクルーの舐達麻(なめだるま)である。

 舐達麻について、吉田より興味深いエピソードが紹介された。吉田が夏になるとよく訪れる鎌倉市の由比ヶ浜では、ここ20年ほど、車から聞こえてくる音楽のほとんどがSnoop Dogg(スヌープ・ドッグ)などのギャングスタ・ラップだったという。しかし、昨年より突如として舐達麻に切り替わったというのだ。ほかにも舐達麻の音楽がもつ強度について、ヤンキーの知性、MVの映画的感性、Nujabes(ヌジャベス)を経由したビート感覚、といった様々な視点から意見が交わされた。

 

 最後に、登壇者である菊地成孔と荘子itのリリックについて、自作分析を交えた議論が行われた。菊地がラッパーネームN/K(エヌ・スラッシュ・ケー)として、同じくラッパーの谷王(大谷能生)とともに活動しているヒップホップクルーJAZZ DOMMUNISTERSの楽曲「革命」を吉田が取り上げ、N/Kのリリックは、脚韻ではなく頭韻の想像力で書かれたライミングであるとプレゼンした。これについて荘子itからも、菊地の作詞はジャズにおけるスキャットに近いという指摘があった。言葉のオチを考えずに頭韻で踏んでいくスタイルは、ジャズミュージシャンでもある菊地ならではのライミングなのかもしれない。JAZZ DOMMUNISTERSの「革命」はYouTube上で、リリックの字幕付きMVが公開されているので、あわせてぜひご覧いただきたい。

 また、荘子itが所属するヒップホップクルー Dos Monos の2ndアルバム『Dos Siki』より、「The Rite of Spring Monkey」のリリックも話題にのぼった。吉田がライミングの箇所を色分けした歌詞を用いながら説明し、荘子itからも自己解説が行われた。一聴すると韻を踏んでいないように聞こえるが、じつは離れた箇所の言葉との響きを意識したライミングセンスが、Dos Monosのリリックには散見される。吉田からは、Dos Monosのメンバー数が3人であることも、Dos Monosのリリックにおける各々のライミングや、ナンセンスな詩の世界観に大きな影響を与えているのではないかと指摘があった。イベントでは他にも、JAZZ DOMMUNISTERSによるDos Monosの楽曲のリミックスが先行公開されたので、ぜひ番組本編をご視聴いただきたい。

 ラップと文学について、5時間近くにわたって有意義な議論が行われた。このレポートでは割愛したが、SNS上で起きた最近の騒動をめぐって、菊地と荘子itのあいだで緊張した会話が交わされる一幕もあった。イベント中に紹介された楽曲についても検索などをしていただき、実際に音楽を聞きながら本編動画をご覧いただきたい。(宮田翔平)


 シラスでは半年間アーカイブを公開中(税込990円)です。ぜひご覧ください。

 

菊地成孔×荘子it×吉田雅史「ラップは文学なのか、小説はポップスなのか──タモリからケンドリック・ラマーまで」
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210211/

 

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