ひろがりアジア(6)「人の褌で相撲を取る」──新型コロナウイルスをめぐるベトナムの宣伝工作|坂川直也

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ゲンロンα 2021年4月27日 配信
 2021年1月、オーストラリアのシンクタンクが各国の新型コロナウイルス対応の有効性を数値化し、そのランキングを発表した★1。そこでベトナムは、1位のニュージーランドに次ぐ、世界2位と評価された。3位以下は台湾、タイと続き、日本は45位だった。ベトナムはコロナ発生当初から厳しい防疫を続け、周辺国と比べてコロナを抑え込むことに成功した国と評価されている。本論では「コロナ対応力」世界第2位とされた国のメディアプロパガンダについて見ていく。その核心は「人の褌で相撲を取る」の徹底化だった。

「嫉妬したコロナさん」


 ベトナム発で、2020年に国外で最も話題になった作品は政府主導の宣伝工作で制作された新型コロナウイルス対策ソングだろう。

 その第1弾として2月23日にYouTubeにてミュージックビデオが公開されたのが「嫉妬したコロナさん Ghen Cô Vy』である★2。これは音楽プロデューサー、ソングライターであるカック・フン(Khắc Hưng)、歌手のミン(Min)とエリック(Erik)による2017年の大ヒット曲「嫉妬 Ghen」★3の替え歌で、国立労働・環境衛生研究所(NIOEH:National Institute of Occupational & Environmental Health)の指導の下、保健省と前述の3人が共同制作した楽曲だ。原曲の「嫉妬」は、深夜、電話に出ない彼女が浮気しているのではという疑念に捕らわれ、嫉妬に身を焦がす彼氏と、それに対する彼女の返答のデュエット曲である。一方、「嫉妬したコロナさん」の歌詞は、新型コロナウイルスの説明の後、手洗いの推奨や人との距離を保つことなど、感染拡大を防止するための具体策を指南するものに書き換えられている。幸い、この曲のミュージックビデオには日本語字幕も付いているので、中盤のサビの部分を少し引用してみよう。


自覚を持て
新型肺炎(コロナウイルス)が猛威をふるわないように
しっかり手を洗え
目鼻口を手でさわるな
人混みに入るな
コロナウイルスを撃退しよう

健康に気を配れ
周りの空気をきれいに保て
さあ みんなで意識を高めて
コロナウイルスを撃退しよう


この歌詞は、ベトナムの街の一部と化している「Tranh cổ động」(直訳すると、扇動絵画の意味だが、プロパガンダポスターの意味で使用される)に掲載されているスローガンに似ている。文化・スポーツ・観光省基礎文化局のウェブサイトでダウンロード用に配布されている、新型コロナウイルス予防のプロパガンダポスター(Tranh cổ động phòng chống Covid19)にも、似たスローガンが書かれている【図1】、【図2】。
 

【図1】「新型コロナウイルスに対抗し、防ぐために、常にマスクを使用し、正しい方法で手を洗おう」
 

【図2】「伝染病に対抗し、防ぐために、マスクを身に着け、石鹸で手を洗おう」
 

 これらのスローガンには、「Chống」(に対抗して、反抗して)という語が用いられている。この「Chống」は、抗米戦争(ベトナム戦争のベトナムでの名称)中のプロパガンダポスターでも頻繁に使用された単語で、アメリカを意味するベトナム語「Mỹ」と合わせて、「抗米 Chống Mỹ」の意味になる。新型コロナウイルスにかんするベトナム共産党の宣伝工作は、フランス植民地時代から続く、外敵にかんする宣伝工作の形式を継承しているのだ。今回は「侵略者」がフランス、アメリカから新型コロナウイルスに変わったに過ぎない。「嫉妬したコロナさん」において、新型コロナウイルスがわざわざ「武漢から来た」ことを明示されている点においても、その「外敵」性が強調されている。その意味で今回の楽曲製作も、外敵から国を守るための政府の宣伝工作の一環だと言える。

「人の褌」を使う宣伝工作


 宣伝工作としての「嫉妬したコロナさん」の注目点のひとつは、その公開の速さだ。このミュージックビデオがYouTube上で公開されたのは、ベトナムで初感染が確認された1月23日からわずか1ヵ月後の、2020年2月23日だ。替え歌だからこそ、一から曲を創る労力も時間も大幅に節約できたのだろう。加えて、大ヒット曲の人気と知名度にもあやかることができ、まさに一石二鳥だ。

 このように、敵を撃退するためならあらゆるものを利用する。これは、ベトナム人民軍の前身であるベトナム解放軍宣伝隊を率いたヴォー・グエン・ザップ将軍(1911年‐2013年)によって理論化された、ゲリラ戦術である。「自らを武装するために敵から武器を奪い、その敵の武器で敵を倒さねばならない」★4、このゲリラ戦術は、悪く言えば、「人の褌で相撲を取る」ということだ。

 もともとベトナムの文化は、他地域と比較してオリジナリティへの拘りが希薄で、「人の褌で相撲を取る」ことに躊躇はない。たとえば、19 世紀前半にベトナム(阮朝)の文人グエン・ズー(阮攸)により字喃(チュノム)で書かれた『金雲翹 Kim Vân Kiều』は、中国清初の青心才人(筆名)による小説『金雲翹伝』を翻案した長編叙事詩だが、ベトナムでは国民文学的作品とみなされている。さらに、現在でも、韓国映画やドラマのリメイクに積極的で、2020年、最も興行収入をあげた映画『Blood Moon Party Tiệc Trăng Máu』はイタリアのコメディ映画『おとなの事情』(2016)の韓国版リメイク『完璧な他人』(2018)を、さらにベトナム版としてリメイクしたものである★5

 

坂川直也

ライター、京都大学東南アジア地域研究研究所連携研究員。ベトナムを中心に、アジア圏の映画史を研究・調査している。コロナ禍での怪奇映画から、国民映画における人民英雄の表象まで関心を寄せる。3月に共著『東南アジアと「LGBT」の政治──性的少数者をめぐって何が争われているのか』(明石書店)を刊行。『TOKION(トキオン)』にて、「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」を連載中。URL= https://tokion.jp/author/naoya-sakagawa/

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