五反田で語る「夜の街」──飯田泰之×谷口功一×速水健朗「夜の公共圏はコロナでどう変わるのか」イベントレポート

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ゲンロンα 2021年10月8日配信
 いま「夜の街」という言葉で検索をかけると、ヒットするのはほぼすべてコロナ関連の記事だ。言葉自体は昔からあったにもかかわらず、この語はいまやコロナ禍と切っても切り離せなくなっている。
 夜の街というのは、一般にスナック、キャバクラ、ホストクラブ、性風俗店など、接待を伴うサービス業が集まる場所を指す。コロナ禍において、夜の街は感染拡大の「震源地」であるかのように目の敵にされることがしばしばだった。
 そんなイメージの一方で、夜の街が人間社会において公共的な役割を担ってきたこともまたたしかだ。
 このたびゲンロンカフェでは、『日本の夜の公共圏』(白水社)の編著者であり、スナック研究で知られる谷口功一氏、経済学者の飯田泰之氏、ライターの速水健朗氏を迎え、「夜の街」の歴史、そして未来について語るイベントを開催した。その模様の一部をお届けする。(ゲンロン編集部)
   

人の欲望を制限する欲望


 コロナ禍で表出したのは「人の欲望を制限する欲望」ではないか──速水はまずこう問題提起した。

 コロナ禍においては、当初から政府は一貫して人流抑制を訴えてきた。人流を抑制することは、人間の社会生活において、人と会うことからもたらされる快楽を抑制することにつながる。その顕著な例が、夜の街への注意喚起や飲食店に対する酒類の提供禁止要請だ。

 非常時にあっては、快楽の抑制を求められても強く反対することが難しい。むしろ人は積極的に他人の欲望を制限したがる。しかし、人びとがそんな要求に従わないと、社会はかえって混乱してしまう。そのモデルケースとして速水が挙げたのが、かつてアメリカで制定された禁酒法だ。

 



 禁酒法は制定こそ1920年だが、議会で最初に可決されたのは1917年、つまりアメリカが第一次世界大戦へと参戦していくタイミングだった。背景には、キリスト教の一部宗派による禁酒運動や、飲酒による労働者の生産性の低下などがある。しかし、さらに根底にあったのは、「戦争を前に酒を飲んでいる場合ではない」という、人の欲望を制限しようとする欲望だった。それゆえ人びとは禁酒法を守らず、むしろアメリカ社会は大混乱に陥った。

 だから、戦争や災害が起こったときに現れる「欲望を制限することで社会は良くなる」という言説には注意が必要だ。禁酒法の例は、道徳的な「おねがい」が続く日本のいまを考えるにあたって示唆に富むように思われた。

 
 
 

スナックが担う公共性


 続いて谷口は「夜の街」の公共的な役割について説明した。一例として挙がったのが、神奈川県横須賀市にある介護スナック「竜宮城」だ。

「竜宮城」は「要介護の人が気軽に飲みに行ける場所がない」という問題意識から始まったスナック。入店できるのは65歳以上の要介護者。お店で働くスタッフはみな介護のプロで、送迎や酒量のコントロールまで異色のサービスを提供している。「竜宮城」では、要介護の高齢者たちが、健常者と同じようにリラックスしてカラオケや飲酒を楽しむことができる。

 要介護の高齢者が、「外食へ行きたい」「お酒を飲みたい」と思っても、一般の飲食店では対応に限界があり、また家族など介助者の協力が不可避となる。他方、福祉施設でそのようなサービスを提供するのも現実的ではない。「竜宮城」はそんな彼らの需要を満たすだけでなく、さらにコミュニティとしての機能も果たしているのだという。

 



 コミュニティとしてのスナックの役割は、なにも「竜宮城」に限ったことではない。

 スナックには必ず「ママ」がいる。その名付けからもわかる通り、客とスタッフはいわば擬似的な家族なのだ。店と客を家族のような閉じた関係性に見立てることで、スナックはコミュニティとしての機能をより強く発揮できる。スナックのママが、自宅で亡くなった高齢者の第一発見者になることはよくあることだそうだ。常連だったお客が店に来なくなったから、様子を見に行ったら亡くなっていた、というように。

 スナックは職場や家族を持たない高齢者と地域社会の接点になっている。高齢化が進む社会の中で、こうした場所が果たす公共的な役割は、ますます大きくなるのではないか。谷口はそう指摘した。

 
 
 

都市に地元をつくり直す


 スナックは、地元の人しか知らない、外から来た人には入りにくいなど、閉鎖的な側面がある。だが、その閉鎖性こそが公共的に機能する場合がある。飯田は創価学会を例に、閉鎖性が担保する公共性について語った。

 創価学会は研究者のあいだで「東京にできた新しい村」と呼ばれているという。創価学会は高度経済成長期に地方から出てきた若者を引き入れることで、会員数を飛躍的に伸ばした宗教組織だ。彼らにとって、創価学会の相互扶助的なコミュニティは地元のクローズドな文化の代わりとなった。創価学会は、都市部に地元(=村)を創出することで大きくなっていった組織なのだ。飯田は、自身が埼玉出身であることをふまえて、都市の中に地元を見出そうとする気持ちに共感するところがあると述べた。

 
 
 

 これに対して速水は、地元にも東京にも深く馴染めなかったと述べ、そのような地元論は彼や東浩紀が論じたショッピングモール論(『思想地図β』Vol.1の特集「ショッピング」、速水健朗『都市と消費とディズニーの夢』、東浩紀・大山顕『ショッピングモールから考える』などを参照)と対立するのではないかと指摘する。スナックや創価学会の例は、都市部に地元をつくり直すことで確保される公共性だ。他方で、ショッピングモールの公共性は、そもそも地元に馴染めない、あるいは地元を持たない、いわば地域社会から浮遊している人をも包摂することで確保される公共性とはいえないか。スナックの公共性とショッピングモールの公共性、それはつまり地元をつくる公共性と、つくらない公共性なのではないか。

 



 スナックはいっけん閉じている。でもそれが開かれた公共性につながることがある。そんな逆説をめぐって議論は多岐にわたった。イベントではほかにも、谷口流スナックの見つけ方や、二次会の起源など、興味深い話題がたくさん語られているので、ぜひアーカイブをご視聴いただきたい。

 緊急事態宣言下の東京・五反田、観客のいないゲンロンカフェ。これ以上この議論にふさわしい場所はないようにも思われた。(江上拓)

 
 
 

 シラスでは、2022年2月8日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。


飯田泰之×谷口功一×速水健朗「夜の公共圏はコロナでどう変わるのか」(番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20210811/
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