辺境から見える世界──長沼毅×茂木健一郎「生命の神秘と平和を求めて」イベントレポート

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webゲンロン 2023年3月2日配信
 2023年1月27日、ゲンロンカフェの大人気トークイベントシリーズ「モギケンカフェ」の第5弾が開催された。その名の通り、脳科学者の茂木健一郎氏がホストを務めるシリーズで、第1弾に元内閣総理大臣の鳩山友紀夫氏、第2弾に為末大氏、第3弾に羽生善治氏、第4弾に養老孟司氏と、各回、錚々たるゲストが名を連ねている。今回のゲストは辺境生物学者の長沼毅氏。茂木氏との対談本『科学と宗教の未来』(第三文明社)の刊行記念を兼ね、ゲンロンカフェに初登壇してくださることになった。
 本記事では、茂木氏があの手この手で「科学界のインディ・ジョーンズ」の生態を解明していくさまをレポートする。(ゲンロン編集部)
 
長沼毅 × 茂木健一郎「生命の神秘と平和を求めて──『科学と宗教の未来』刊行記念」【モギケンカフェ#5】
URL= https://genron-cafe.jp/event/20230127/

辺境生物学者と「生命の起源」


「生命の神秘と平和を求めて」という副題を掲げた本イベントは、両氏の挨拶もそこそこに、生命の起源をめぐる対話に突入した。3時間のイベント中、茂木曰くの「ガチ話と面白話」が常にくるくると入れ替わり、話題も急展開に次ぐ急展開だった。そのためこのレポートは完全な時系列ではないが、この皮切りはまず押さえておくべきだろう。

 共著『科学と宗教の未来』にも紹介されているとおり、ゲストの長沼は、高校3年までは文系に進もうと思っていたが、生物の教科書で読んだ「生命の起源」に興味を持って理系に転向したという。地球上の生命の起源をめぐる探究は、深海の海底火山付近で生まれたという説と、宇宙から来たという説に大別されるが、どちらも人間からすれば過酷な環境であることに変わりはない。長沼は、辺境生物学者という自称のとおり、深海や南極や砂漠などの過酷な環境に出かけて行き、そこに棲む生物を採集し研究してきた。そのさまを「科学界のインディ・ジョーンズ」と名付けたのは、誰あろう茂木であった。

 現在の長沼は生命の起源をどう考えているのか。曰く、生命の起源は昔話であるので、絶対に検証不能である。テストのしようがない。だとすれば、それぞれの仮説に基づいて、自分が考える初期生命の作り方で、自分が考える初期生命を作るしかない。
 茂木は、本イベント中に一貫して、辺境生物学者という立場から人間社会がどう見えるのか、という長沼の見方を引き出そうと試みた。長沼によれば、人間社会の特徴は「やたら発展していること」だと指摘する。哺乳類全体のうち、野生生物はたったの4%であり、人間が30数%、残りは家畜である。哺乳類バイオマスの96%を人間が仕切っている状況について、茂木が「それは生物学的に見るとそれはどうなのか」と問うと、長沼は「発展しちゃったのだから仕方ない。ただ、この結果をどう考えていくかはこれからのことだ」と答えた。

『科学と宗教の未来』の中で、茂木は「温かい気持ち」と「冷たい気持ち」、言いかえれば、素朴な感情とリアリズムについて述べている。本イベントの魅力のひとつは、まちがいなく、長沼が世界に対して抱く感情の「温かさ」と「冷たさ」、そのギャップが起こす対流の、思想としての面白さだろう。ホスト役の茂木の狙いも、きっとそのあたりにあったのではないか。

 モギケンカフェには、観客との質疑応答の時間も設けられている。最初の質問は、自然と人類との接点の未来についてであった。生物多様性が失われ、自然が破壊されていることの責任が人類にある、という事実の前で、未来をどのように考えているか。その質問を受けた長沼はきわめて穏やかに、惑星地球のハビタビリティ(居住可能性)を考える上で、生物多様性の問題のプライオリティは相対的に低い、と答えた。生物多様性はまだそこまで破滅的ではなく、農業における肥料のリンや窒素の枯渇などのほうが緊急性が高い。もろもろをリストアップし、ヤバイ問題をヤバイ順番に、あるいはできる順番に適切に対処していく、そうしないと文明が滅びるかもしれない。長沼のリアリズムはいっけん冷たいようにも聞こえるが、決してそれだけではないことが、イベントの全編を通じて、観客にはよくよく伝わった。

 
 

科学と宗教は相容れるのか


 長沼の「温かい気持ち」や「素朴な感情」についても、ホスト役の茂木は丁寧に引き出していく。茂木が「人類はどれくらい真理を解明しているか」と問うと、長沼は「人類は、この宇宙のことをほんの少ししか分かっていない。ただ、そのことを自覚しているのは偉い」と答えた。長沼は、キリスト教的な創造主は否定するものの、どうしても人類にとってわからない、つかめない部分は残っていることを認め、インテリジェントデザインとしての神的なものは残しておいて良いのではないか、という意見を持っている。長沼にとっての神は「偶然とは思えない偶然を提供してくれる人」なのだった。

 創造主がいなかったとしても、たまたまこの宇宙が奇跡的な条件に当てはまったのだ、という点に呼応して、「シラス」には「ありがとう神様!おかげで面白いお話聞けてる!」というチャーミングなコメントが流れ、2人が思わず頬を緩める一幕もあった。

 茂木の質問は止まらない。死についてはどう考えるか、と問われれば、長沼は「死んだら無になるとも思っているけれど、死後の世界はあった方が楽しそうだ。極楽ではなく地獄に行くとしても、地獄で力一杯『ぎえー!』と、生き生き暮らしたい」と語る。「長沼さんにとって一番大事な問いは何か」という問いには、少し考え「科学も宗教も、個人の幸せ、周りの人の、みんなの幸せのためのものだと思っていたのだけど......」と少しだけ迷いを見せた。折しも本イベントの前日に、留学生とのディスカッションの中で「先生、それは違う。思考の目的は happiness ではなく peacefulness だ」と言われ、その通りだと思い直したという。ピースフルネス、平和、平穏、というキーワードは、その後、本イベントの中で何度かキーワードとして登場した。

 さて、科学と宗教は相容れるのか。茂木と長沼が出した結論は「相容れる」というものだ。とくに、キリスト教ではなく仏教の考え方を長沼は支持した。仏教の強みは、人の心の内部のことをよく分かっていることである。対して科学者は、人の心の外部のことをよく分かっている。宗教(仏教)も科学も、それぞれ理屈があって合理性があるのだから、方法論においてわかり合い、相補的に手を携えられる、というのが長沼の考えだ。茂木はこれを「人の心の中か外かということで分担できるということだね」とシンプルにまとめたが、それは、ここには書き切れない多くの問いと答えが積み上げた例示に支えられ、不思議なほどの説得力を持っていた。

 
 

僕ね、人間界いっさい無理。


 「ガチ話」のレポートが続いたので「面白話」にも言及しておこう。本イベントでは、観客席とコメント欄がなんども大きな笑いに包まれたが、とりわけ会場が沸いたのは、長沼の「僕ね、人間界いっさい無理」という発言だった。

 人間界が無理なのでチョウザメの研究をしているのだ、という長沼。聞けば、ひろゆきのことは「知らない」という。ネットはほぼ気象庁のアメダスしか見ない。ゲンロン界隈で著名な人物の名を茂木が列挙しても、ほとんど知らない。「ガーシーは?」→「菅前首相の愛称」、「落合陽一は?」→「戦場カメラマン」という応酬は、いささかサービスも入っていたかもしれないが、たいそう衝撃的だった。

 長沼の浮世離れした発言に、茂木は頭をかきつつ抱えつつ、増税について、ロシアとウクライナの戦争について、安倍元首相の評価について、統一教会について、AIについて、核武装について、と、人間界の世俗的な話題を問いつづけた。長沼はこれらの話題についてまったく無関心なわけではなく、独特の考えをもっており、茂木は最終的に「意外と考えているじゃないか」と笑った。辺境生物学者の「温かさ」と「冷たさ」から紡がれる思考は、私たちの固定観念を軽やかに打ち壊していく。

 人間界いっさい無理、な長沼だが、人類の未来には希望を持っている。3年前にはコロナが大流行していると思わなかったし、1年前にはウクライナ問題は予想できなかった、だから先のことは言わない、と断りつつ、しかしこの百年の歴史の中で、人類全体としての人間性は良くなっている、進化的になっていると思う、と語った。

 レポートに書き切れない、文字に起こすには少し憚られる話題も含め、感慨無量と抱腹絶倒が同居する稀有なイベントであったことを読者に伝えたい。まだご覧になっていない方は、ぜひ本イベントのアーカイブ動画で、モギケンカフェならではの3時間に魅了されてほしい。(加藤めぐみ)

 
 
長沼毅 × 茂木健一郎「生命の神秘と平和を求めて──『科学と宗教の未来』刊行記念」【モギケンカフェ#5】
URL= https://genron-cafe.jp/event/20230127/

加藤めぐみ

1989年生まれ。シラスの顧客担当スタッフ兼ゲンロンの編集。ふだんは別会社(Webメディア運営会社)にて会社員。
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