ヒップホップ・シミュレーショニズム再考──さやわか×荘子it×吉田雅史「キャラクターから考えるヒップホップ」イベントレポート

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ゲンロンα 2020年8月24日配信

 いま、ヒップホップが話題だ。即興力を競うMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」を皮切りに日本語ラップブームは急速に高まり、声優によるラッププロジェクト「ヒプノシスマイク」によって、その人気はより幅広い層へと拡大している。  今回はそんなラップミュージックについて、「ゲンロンβ」でヒップホップ批評を連載していた吉田雅史、楽曲制作経験もあるさやわか、そして最新作『Dos Siki』も話題になっているヒップホップクルーDos Monosのメンバー、荘子itという3MCに「キャラクター」や「シミュレーショニズム」という切り口で5時間たっぷりと語ってもらった。今回のイベントでは、使うのもヒップホップマナーにのっとってピンマイクからハンドマイク。さらに途中、新刊『キャラがリアルになるとき』を刊行したばかりのマンガ研究者・岩下朋世にもリモートで議論に参加いただき、議論はますます盛り上がった。(ゲンロン編集部)
 

ラッパー、SNS、ヒプノシスマイク


 イベントは「ゲンロンβ」の創刊号より吉田が断続的に連載してきた論考「アンビバレント・ヒップホップ」を踏まえたプレゼンから始まった。吉田は、ラッパーは作品世界(歌詞=リリック)と作品外世界が重なる部分が「リアル」かどうかをヘッズ(熱心なファン)によって測られ、さらにそのリアルをラッパーがエンターテインメントとして「盛る」ことでキャラクターが立ち上がるのだと、図を用いながら説明する。
 
 また、SNSや映像コンテンツの急速な浸透によって、ヒップホップ界のキャラクタートレンドが変化していると言及。吉田によると、いまやラッパーの作品外世界の話題はゴシップに支配されているが、他方でYoutuber的なラッパーが拡散力を生かし、強烈な個性によってのし上がる現象も起きているという。これに対して荘子itは、ヒップホップにおけるキャラクターについて考えるうえでは、MCの人間性だけでなく、「サウンドのキャラクター性」にも注目すべきだと強調した。後述するように、「サウンドのキャラクター化」は、本イベントの中心的なテーマとなった。
 
 吉田は、70年代から現在にいたるまでのアメリカンヒップホップの歴史を、キャラクターの変遷を通して読み解いていった。プレゼンでは、90年代を代表するキャラクター性の強いクルーであるウータンクランや、ネットカルチャー世代のオッドフューチャー等が紹介され、『キャラの思考法』の著者であるさやわかからは、アメリカのマーベル的想像力と日本のキャラクター作りの違いについて興味深い指摘がなされた。    さらには、キャラクターが特異なラッパーの例として、先日アメリカ大統領選に立候補を表明したカニエ・ウェストや、ヒップホップのリリックにたびたび引用されてきたドナルド・トランプのキャラクター性についても解説され、議論が白熱した。    岩下朋世がスカイプで加わってからは、話題は声優ラッププロジェクト『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』(以下『ヒプマイ』)へ。実写ドラマ・映画の『HiGH&LOW』シリーズや、テレビ番組の「フリースタイルダンジョン」が『ヒプマイ』のヒットにつながっていると整理したうえで、『ヒプマイ』におけるキャラクターの可能性について踏み込んでいった。  岩下は新著『キャラがリアルになるとき』で、『ヒプマイ』コミカライズ時の「公式との解釈違い」騒動を考察しており、そこが議論の焦点となった。この「解釈違い」とは、『ヒプマイ』のマンガ化に先立つドラマトラック上のキャラ設定と、講談社『少年マガジンエッジ』でのコミカライズ時のキャラ設定が著しく異なることがファンたちを戸惑わせ、ネットで炎上した騒動のことである。さやわかは、岩下の分析は現実のヒップホップ業界にも通用すると指摘し、岩下もファンが自分の望むような「リアル」を一方的に対象に投影するのではなく、人をキャラクターとして捉えるリテラシーがより必要になるだろうとコメントした。  声優たちによるクリアで聞き心地のよい歌声を聞いたとき、さやわかが感じたものは声の「ジャスト感」だったという。ラップの本質のひとつである、恣意的な汚しやヘタウマ、マンブルラップといった声の変成が、『ヒプマイ』にはほとんどみられない。声優たちの「聞き取りやすいラップ」は、むしろヒップホップの歴史を転倒させるもので、新しいキャラクターのあり方につながるのではないか。この点で岩下と吉田の意見は一致した。  議論のなかでは、さやわかによる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(押井守監督)と『ヒプマイ』の比較考察のアイデアも披露された。この話は「ゲンロンβ」で連載している「愛について──符合の現代文化論」で今後展開していく予定だそう。そちらもぜひチェックしてほしい。
 

機材のキャラ化とシミュレーショニズム


 イベントの後半では、ラッパーの人間性や声のキャラクター化に続いて、ビートメイカーのキャラ化、機材のキャラ化などが話題となった。  吉田は、特権的なビートメイカーとして、90年代からゼロ年代にかけて活躍したJ・ディラに注目。吉田によると、J・ディラの特徴は、従来のビートとは異なる規則的なリズムからわざと少しずらしたビートの「ヨレ」であり、ここには「機材というキャラ」が大きく影響している。さやわかからは、ビートメイクの機材はマンガ家におけるペイントツールに似ているのではと指摘があった。「機材というキャラ」については具体例を挙げて解説があったので、聞き比べてみるとおもしろいだろう。    トークの終盤では「シミュレーショニズム」の問題へ議題がうつった。椹木野衣『シミュレーショニズム』(1991)のパロディ/リミックス論をうけて、荘子itがDos Monosのリミックスプロジェクトを紹介。Dos Monosの新作『Dos Siki』をリリースする前に、収録楽曲を制作したDAW(Digital Audio Workstation)の画面だけを屋外広告として公開、その設計図を見た人に「まだ聞いたことのない音源」をリミックスしてもらうという、いわば「0次創作」のプロジェクトだという。提示されているのは音楽の構造、つまりデータベースのみで、音の素材そのものはわからない。その結果生まれたリミックス曲群は、必然的に原曲とは異なるものとなり、なおかつ、それらが事前にリリースされることで、原曲の価値やアウラは毀損されるより、むしろ事前に高められるというわけだ。  すべての価値がフラットになり、もはや本質的に新しいものは生まれ得ないという椹木のシミュレーショニズム的世界観でのコラージュ/カットアップ論や、作家性が喪失されると思われていたゼロ年代のデータベース論を経て、現在はむしろ、それらが前提となった中でも、特権的な(=キャラが立った)音楽や新しいサウンドキャラクターは生み出され続けており、その価値や創作の実情を正しく評価する言葉が、消費環境や作品の分裂性を指摘するばかりの昨今の音楽批評には足りていなかったのではないかと荘子itは語る。放送では実際にリミックス音源と原曲を流しながら解説しているので、ぜひ本編をごらんいただきたい。
 
 イベントは5時間を超え、質疑応答含め最後まで白熱したが、これ以上の内容は番組購入者のみが楽しめるボーナストラックとして伏せておくことにしよう。  最後に読者のみなさんにお願いしたいのは、イベントを聞いた後は、ぜひ紹介された音源を検索などして実際に聞いてみてほしいということ。荘子itが所属するDos Monos、話題にあがったなかではウータンクラン、カニエ・ウェスト、J・ディラ、アール・スウェットシャツなどはぜひチェックしてもらいたい。ラッパーやビートのキャラクターの変遷、そして『ヒプマイ』の特異性について理解が深まるはずだ。今回のトークをきっかけに、一人でも多くの人がヒップホップのファンになり、生の楽曲に触れ、コロナ禍明けのクラブやライブハウスに通いたいと思ってくれたのであれば、登壇者もみな喜ぶのではないか。(宮田翔平)
 
 こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。  URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200817
さやわか×荘子it×吉田雅史「キャラクターから考えるヒップホップ──トランプ・ヒプノシスマイク・シミュレーショニズム再考」 (番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200817/
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