つながりβ(4)「思想」は「治療」に使えるか?|斎藤環

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初出:2017年7月21日刊行『ゲンロンβ16』
 巻頭リレーエッセイ「つながりβ」は、ゲンロンカフェにお迎えしている多彩なゲストの方々に、日々の興味関心事、イベントへの意気込みなどを自由に寄稿いただくコーナーです。(編集部)
   昔々、「精神病理学」という学問があった。何をしていたかというと、うつ病や精神分裂病(統合失調症)の心理メカニズムを解明して、その知見を思想や哲学、あわよくば自然科学にも敷衍し活用しよう、という試みのこと。成功例としてはベイトソンのダブルバインド理論(ちょっと違うが)や木村敏の「あいだ」理論などが知られる。ちなみにラカン理論も、日本では精神分析ではなく精神病理学のコンテクストで輸入されたという経緯がある。  さて現在、精神病理学はゆっくりと衰退しつつある。精神分析については言わずもがな、だ。日本は南米と並んで、世界的にも「なぜか精神分析がとても人気」という珍しい地域だったのだが。この二つの領域を延命させてきたのは、高度な理論は質の高い治療につながる、という期待だった。しかしフロイトよりもユングが、ラカンよりもウィニコットが良き治療者であった(実証はできないが断言はできる)ように、この期待はやはり幻想である。  最近私がなりふり構わず推しまくっているケア技法「オープンダイアローグ」がその典型だ。この手法が臨床上はきわめて有効で、いまだ未知のポテンシャルを秘めていることにもはや異論は少ないだろう。エヴィデンスを疑うものは、私が『精神科治療学』二〇一七年五月号に投稿した原著論文(事例報告)を一読すべし★1。しかしまあ、対話によって目の前の患者の幻覚や妄想が消えていく様を繰り返し経験してしまうと、精神病理学や精神薬理学の営々たる蓄積は一体何だったのか、という思いに駆られることも否めない。  オープンダイアローグを支える「思想」はかなり素朴だ。システム論的家族療法、ナラティブ・アプローチ、あとバフチンの対話主義。ポストモダン的ではあるが、デリダもドゥルーズも出てこないし、あえて出す必要もない。つまり、こういうことだ。世界最先端の精神療法を支える思想は、けっこう緩くて素朴なものだった、ということ(今後は分からないが)。  ここで大きなヒントになるのは國分功一郎の『中動態の世界』(医学書院)だ。本書の冒頭は依存症者との対話から始まる。受動態と能動態で依存症を考える限り、自己責任論から逃れられないし、それでは治療にならない。依存を誰のせいにもしない中動態の視点から考える必要があるのだ。  実はオープンダイアローグの対話空間こそは、まさに中動態的なのである。そこでの発言は、「自分が言った(能動)」とも「場に言わされた(受動)」とも言えるからだ。いきなり結論に飛ぶと、多かれ少なかれ、良い精神療法の“雰囲気”は中動態にきわめて近い。中井久夫や神田橋條治の著作を読めば、そのあたりの感覚が良く分かるはずだ。  なぜ中動態空間は治療的なのか。一つには、動機づけとして優れているからだ。ひきこもりを例に取ろう。彼らに「働け」と言っても動けない。かといって「働くな」といっても同じことだ。しかし働いても働かなくても良いような言説空間でひたすら対話を続けていると、彼らは勝手に就労動機を発見してくれる。中動態から受動と能動が生まれる、とは文法に限った話ではない。  問題があるとすれば、思想として「中動態」を深めることの難しさだ。國分によれば、デリダは「受動と能動が区分されて哲学が生まれた」と述べたという。思想的な洗練と先鋭化のためには、受動—能動の二元論が要請される、ということだろう。  その意味で「中動態」が、ただちに新しい思想をもたらしてくれるかどうかはわからない。ひょっとすると、その先は袋小路かもしれない。むしろこの「思想」こそは、臨床実践からのフィードバックを受けながら発展していく最初の思想になるのかもしれない。そのとき「オープンダイアローグの思想」もまた、大きくアップデートされることになるだろう。

★1 斎藤環、森川すいめい、西村秋生「オープンダイアローグ(開かれた対話)による統合失調症への治療的アプローチ」、『精神科治療学』二〇一七年五月号、星和書店。URL=http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo01/bo0102/bn/32/05index.html

 

 ■イベント動画情報
これまで斎藤環さんにご登壇いただいたカフェイベントはVimeoにてご視聴いただけます。

 


 



さやわか×斎藤環×東浩紀
「【さやわか式現代文化論 24】オタクの時代は終わった――『おたく神経サナトリウム』『キャラの思考法』刊行記念鼎談」
https://vimeo.com/ondemand/genron20160127



井庭崇×斎藤環
「認知症と新たなアプローチ――パターン・ランゲージを応用する」
https://vimeo.com/ondemand/genron20151001



斎藤環×東浩紀

「批評の精神分析2015――ラカン、ヤンキー、ノーラン」
https://vimeo.com/ondemand/genron20150422



海猫沢めろん×斎藤環
「生き延びるための精神分析――『頑張って生きるのが嫌な人のための本』発売記念トークイベント」
https://vimeo.com/ondemand/genron20140420

斎藤環

1961年、岩手県生まれ。1990年、筑波大学医学専門学群環境生態学卒業。医学博士。爽風会佐々木病院精神科診療部長(1987年より勤務)を経て、2013年より筑波大学社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。著書に『「自傷的自己愛」の精神分析』(角川新書)、『映画のまなざし転移』(青土社)など。2013年、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川書店)で第11回角川財団学芸賞を受賞。2020年、『心を病んだらいけないの?』(與那覇潤との共著、新潮社)で第19回小林秀雄賞を受賞。
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