チェルノブイリは観光地化を進めるべきか――観光客によるインタビュー|アレクサンドル・シロタ 通訳・翻訳=上田洋子

初出:2018年06月22日刊行『ゲンロンβ26』

 二〇一八年六月、五回目のチェルノブイリツアーを開催した。これはゲンロン企画、エイチ・アイ・エス主催による一般向けの観光ツアーである。ゲンロンでは二〇一三年の『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』刊行以来、実際に現地に観光客を連れて行くこうしたツアーを行ってきた。
 ツアーではチェルノブイリ原子力発電所や事故を記憶する場所、そしてキエフの博物館をめぐるだけでなく、元住民や事故処理作業員ら、現地の人々の話を聞く機会を設けている。なかでも原発衛星都市・プリピャチ元住民のアレクサンドル・シロタ氏には毎回かならずお会いしている。シロタ氏は現在、NGO「プリピャチ・ドット・コム」を主宰し、原発事故後に廃墟になってしまった故郷を記憶に残すための活動をしている人物だ。
 今回のツアーでは、シロタ氏が住んでいたプリピャチの街を見学したあと、チェルノブイリ・ゾーン[立入制限区域のこと]内のホテルで彼と会い、ツアー参加者からの質問に答えていただいた。シロタ氏はチェルノブイリの観光地化に備わる複雑な状況について率直に語ってくださり、質問は尽きることがなかった。実際はこの翌日もゾーンのそばのシロタさんのお宅を訪ね、さらに一時間近くの対話が続いたのだが、ここでは初日の対話を紹介したい。
シロタ氏には『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』でもインタビューをとっている。あれから五年のあいだに、チェルノブイリの状況やシロタ氏の心境はどう変わったのか、あるいは変わらないのか。できれば二〇一三年のインタビューとあわせてお読みいただけると嬉しい。(上田洋子)

 
アレクサンドル・シロタ みなさんこんにちは。アレクサンドル・シロタです。
 ぼくは元プリピャチ住民です。チェルノブイリ原子力発電所の事故が起こってプリピャチから避難したのは九歳のときでした。いまは「プリピャチ・ドット・コム」というプロジェクトを主宰しています。
 この二〇余年、チェルノブイリのことを考えつづけています。この問題がぼくを捉えて離さないのです。みなさんも今日、チェルノブイリ・ゾーンを見学して、多くの感想を抱いたのではないでしょうか。
 ぼくが事故後はじめてプリピャチに戻ったのは一九九二年、当時一六歳でした。このとき、もはや故郷で暮らすことはできないんだと悟りました。それまではいつか帰れると信じていたけれど、現実を理解した。いまの活動は、ぼくなりの帰り方です。
「プリピャチ・ドット・コム」というプロジェクトは、二〇〇四年、プリピャチの街を紹介するウェブサイトとして始まりました。二〇〇六年に、たんなるサイトから国際的な法人組織へと発展します。プロジェクトの第一の目的は、人々にプリピャチの街やチェルノブイリ・ゾーンの過去、現在、未来に関する情報を届けること。また、プリピャチを人類史上最大規模の産業災害のメモリアルとしていかに残していくかを考えることも重要な目的です。プリピャチの保存について考えていたのは、当時はぼくたちだけでした。

【図1】シロタ氏と日本人観光客との対話はチェルノブイリ・ゾーン内の宿泊施設「ホテル10」の食堂で夕食の時間に行われた。中央右がシロタ氏。左が通訳をつとめた上田洋子