つながりロシア(3) 南極ビエンナーレの旅|鴻野わか菜

初出:2018年11月22日刊行『ゲンロンβ31』

 鴻野わか菜さんとアレクサンドル・ポノマリョフ氏に「南極ビエンナーレ」について紹介いただいたゲンロンカフェのイベント「南極ビエンナーレとはなにか──宇宙主義とユートピアと芸術の可能性」が、Vimeoにて全篇公開中です。こちらのリンクからご覧いただけます。ぜひあわせてお楽しみください。(編集部)

 

 

「南極ビエンナーレにあなたを招待します」というメールを、ロシアのアーティスト、アレクサンドル・ポノマリョフから突然受け取ったのは、2016年の暮れだった。ポノマリョフは、「南極でビエンナーレをやりたい。各国のアーティスト、作家、哲学者、研究者らを呼んで、皆で一つの船に乗り込んで、どんな国にも属さない南極へ共に旅をする。それは、環境や宇宙などの人類共通の問題について、国や領域を越えて多様な人々が対話する仕組みを作るための航海なんだ。アーティストはそのヴィジョンを表現する中心的存在だ」★1と12年に亘って語り続けてきた。ポノマリョフはその年、「瀬戸内国際芸術祭2016」の参加アーティストとして、丸亀市の塩飽本島に1ヶ月近く滞在して本島の住民と生活を共にし、漁師や住民への共感のうちにインスタレーション《水の下の空》を制作したところだった。本島を去る日、ポノマリョフは「多くの友人ができたこの島は、私にとってもう自分の島だ。私はこの島に自分の一部を残していこうとしている」と語って名残を惜しみ、いつまでも船に乗ろうとしなかったが、彼が島に残した岸辺で揺れる三隻の和船は、作家による本島への愛の形であると同時に、彼の新しい出発の象徴にもなった。この作品の制作以降、ポノマリョフは南極ビエンナーレの実現に向けてラストスパートをかけ、ようやくその夢を実現しようとしていたのである。

【図1】アレクサンドル・ポノマリョフ《水の下の空》 瀬戸内国際芸術祭2016 撮影=Alexander Ponomarev
 

 ポノマリョフは、私が1999年から2002年にかけて、第2次チェチェン戦争下の荒んだロシアで留学生活を送っていたころに親切にしてくれた古い友人で、尊敬するアーティストでもある。私自身も南極ビエンナーレの理念に共感していたことから、私はその年、南極ビエンナーレの日本事務局を引き受け、広報等のために奔走していた。

 ただ、ポノマリョフにはくりかえし、「きみは南極には連れていけないよ。選ばれた人だけが行くんだ。友達みんなを連れてったら船が何艘も必要になっちゃう」と言われていたので、自分が南極に行くことになるとは1ミリたりとも考えていなかった。だから、招待のメールを見た時は当惑のあまり、すぐにノートパソコンを閉じ、メールを見なかったことにしようと思った。その後も事務局としてはポノマリョフや他のスタッフと連日のように連絡を取り続けていたが、南極への招待については、半月近く、私からはメールで一言も触れなかった。ポノマリョフはかねがね、「南極ビエンナーレの船に乗る者は、作家も研究者も誰もが、制作、制作補助、研究、対話、上陸準備、運営など複数の役をこなさなくてはならない」と語っていたし、自分が参加しても、この大きな共同事業にどんなふうに貢献できるのか、答えが見えなかったからだ。
 
 
 だが結局、南極行きを承諾してしまった。理由は、自分の行き詰まった人生には南極の清冽な風景を見ることが必要だという身勝手なものだった。そのころ読んだ池澤夏樹の長編小説『氷山の南』の主人公の青年──氷山をひと目見るために南極へ向かう船に密航する青年──の姿に後押しされたのかもしれない。南極行きを決めてから出発まで、事務局の仕事に追われながら、南極ビエンナーレでの自分の役割について考えていたが、参加アーティストと研究者のリストを除けば、現地での具体的な活動内容も大まかな日程表すらも事前に知らされなかったこともあり、答えは分からないままだった。

【図2】船が南極圏に入るとすぐに、氷山が見え始める 撮影=鴻野わか菜
 

出港──旅立ちの熱狂


 2017年3月15日、3つの飛行機を乗り継いで、アルゼンチン最南端の都市ウシュアイアにたどり着いた。これから何が起こるのか、ほとんど何も知らなかった。私が知っていたのは、南極ビエンナーレの理念のほかには、世界各国から集まった約100名の参加者が共に旅をし、アーティスト達は南極大陸の岸辺、南極列島、南極海でアートプロジェクトを実施するという南極ビエンナーレの大枠のプログラムだけだった。

【図3】ウシュアイアの港に停泊する出港前のセルゲイ・ヴァヴィロフ号 撮影=鴻野わか菜
 

 そして翌3月16日、世界のあちこちから集まってきた人々と共に1艘の船に乗り込んだ。ロシアの研究船〈セルゲイ・ヴァヴィロフ号〉最上階のラウンジで開かれた顔合わせのパーティーでは、人が多すぎて、そして参加者リストもなかったので、誰が誰だか分からない。なお、参加者リストは結局最後までもらえなかった。

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1973年生まれ。早稲田大学教育・総合科学学術院准教授。共著に『イリヤ・カバコフ「世界図鑑」絵本と原画』(東京新聞)、『都市と芸術の「ロシア」 ペテルブルク、モスクワ、オデッサ巡遊』(水声社)、訳書にレオニート・チシコフ『かぜをひいたおつきさま』(徳間書店)、『「幻のロシア絵本」復刻シリーズ』(淡交社)など。

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