世界は五反田から始まった(04) 「Phantom of Gotanda」|星野博美

初出:2019年04月19日刊行『ゲンロンβ36』

 前稿では、自分の故郷範囲を「大五反田」、ゲンロンカフェを含む五反田駅界隈を「五反田中心」と勝手に命名した。

 この半径約1.5kmの「大五反田円」を、私はレーダーの感知範囲、あるいは猫のテリトリーのように認識していて、ここに何かが入ってきたり事件が起きたりすると、その地点がピコピコ点滅し、自動的に関心を寄せる精神構造になっている。ゲンロンカフェとの出会いにしてもそうだ。ゲンロンカフェのほうが、私のシマに入ってきたのである!

 2018年10月、東京都内のある土地をめぐって、地面師(土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金を騙しとる、不動産をめぐる詐欺を行う者)と呼ばれるグループが暗躍し、住宅メーカー大手の積水ハウスが55億5000万円もの現金を騙しとられた事件が報道されたのを覚えておいでだろうか。私がその大規模詐欺疑惑を知ったのは、犯行グループが逮捕される1年以上前、風呂につかりながら『週刊現代』を読んでいた時だった。その告発記事で舞台となった土地の場所を知り、驚きのあまり、雑誌をお湯の中に落としそうになった。

 五反田の、あそこではないか……。

「あそこ」とは、ゲンロンカフェの隣のファミリーマートから、目黒川沿いの道を川上、つまり目黒方向へ遡り、桜田通りを越えたところにひっそりと建つ、古めかしい和式旅館「海喜館うみきかん」である。

 界隈では昔から有名な旅館だった。私は泊まったことはないが、桜の季節に門から入って石畳を歩き、建物の入り口まで入ったことは何度かある。大正ロマン風の旅館本体が朽ちかけているのに対し、植木はきちんと手が入れられているのがなんともアンバランスで、目黒川沿いの桜から落ちた花びらが庭に舞い、それは美しかった。記憶にある限り、2010年にあのあたりで花見をした際にはまだ営業していたが、ここ数年は営業しているのかいないのか、判別できなかった。

 場所柄からして、かつては芸者などを呼んで遊興にふける旅館だったのだろう。池上線の終電を逃して深夜にここの前を通ったりすると、亡霊たちの奏でる三味線の音が流れてきそうな気がしたものだ。

 五反田駅から徒歩3分という好立地に、再開発されずにぽっかりと残された約600坪という広さ。庶民にはまるで実感がないが、アジアの富裕層による投機目的の購入もあり、23区内の新築マンション価格は高騰し続けている。この土地に高層マンションを建てれば、かなりの利益を上げられるだろうと、大手不動産業者や住宅メーカーには垂涎の土地に映っただろう。積水ハウスは、そこにつけこまれた。

 実行犯のグループが逮捕され、事件の概要は明らかになりつつある。逮捕直前にフィリピンへ高飛びした主犯格のカミンスカス操容疑者(当時58)が話を持ちかけ、土地の所有権者の知らない間に本人確認用の印鑑登録証明証やパスポートなどを偽装して、羽毛田正美容疑者(当時63)が所有者になりすまし、手付金をまんまと騙しとった。

 そう聞くと巧妙な詐欺のように思えるが、実際はけっこうお粗末な点が多かったことに、驚いてしまう。『地面師』の著者、森功氏がウェブメディア『現代ビジネス』に2018年12月8日付けで記した記事によれば、羽毛田容疑者が生年の干支を答えられなかったり、五反田が実家であるはずなのに「ゴールデンウィークは田舎に帰る」と答えてしまったり、肝心の土地登記証がカラーコピーであったりと、ふだんから怪しい人脈と付き合いの多い詐欺コンシャスな人間なら簡単に見破れるような致命的な失敗を、彼らはいくつか冒していた。実際、当初打診された複数の中小不動産会社や業者は偽装を見破り、詐欺には遭わずに済んだという。

 おかしな点はいくつもあったのに、後戻りできず、突き進んでしまった。利益や成績に目がくらんだ、大手企業のサラリーマンだからこそ騙された事件、と言えるかもしれない。

 私は海喜館が大好きだった。ここが五反田に残されている。それだけで、激変を遂げる五反田は、かろうじて記憶喪失から逃れられていた。

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1966年東京・戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『コンニャク屋漂流記』(文春文庫)で第2回いける本大賞、第63回読売文学賞「紀行・随筆」賞受賞。主な著書に『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『のりたまと煙突』(文春文庫)、『みんな彗星を見ていた―私的キリシタン探訪記』(文春文庫)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)など、写真集に『華南体感』(情報センター出版局)、『ホンコンフラワー』(平凡社)など。『ゲンロンβ』のほかに、読売新聞火曜日夕刊、AERA書評欄、集英社学芸WEBなどで連載中。

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