つながりロシア(8) 親族制度のその先へ 初期ソ連のヒロイン達の冒険――家族の破壊から巨大な家族へ|北井聡子

初出:2019年06月24日刊行『ゲンロンβ38』

 1991年のソ連崩壊後の十数年間、ロシアは社会的な大混乱を経験したが、他方でジェンダー/セクシュアリティにおける多様な表象がメディアに溢れた創造的な時代でもあった。その一つに、ジェンダー研究者のI・ジェレプキナが「待望の国家的ヒロイン」と呼んだアニメ『マシャーニャ』が挙げられる★1

 O・クヴァーエフによるこの作品は、2001年からインターネットの配信が開始され、2002年にはテレビへと移行、放送は2006年まで続けられた。タイトルと同名のヒロイン、マシャーニャは20代の女の子とされるが、その体は凹凸がなく、丸く大きな顔に数本の髪の毛といった風貌で、青いミニスカートを履いている以外には男女の判別は付け難い。物語の特徴は、マシャーニャの辛辣なユーモアと、印象的なキーフレーズの狂気じみた反復、そしてお決まりの「ヒヒヒ」という笑い声。その笑い声の渦の中で、日常の諸問題は不条理にも霧散してしまう。彼女はパンクロックのボーカルでもあり、出産の直前に「妊娠したサイバ―・ゴシックロリータのダンス」を踊って男たちを失神させたりもする。そんな彼女のハチャメチャではあるが、全ての価値を転倒してしまうポジティヴな姿に当時の人々は魅了されたのだった。

 しかし現在のロシアでは、マシャーニャや、あるいは同時期に人気を博したレズビアンをコンセプトとしたデュオ t.A.T.u のような存在が、公的なメディアに登場することは難しくなっている。プーチン大統領は2006年あたりから、少子化対策のために伝統的な家族制度を強化する政策を推し進めている。2013年には日本でも大きく報じられた所謂「同性愛宣伝禁止法」が施行され、これにより非伝統的な性関係、即ち男女間の愛以外の関係をプロパガンダした場合は罰金が課される事態となっているのだ★2。西側から激しい非難を受けたこの法案を成立させた中心人物は、現上院議員のE・ミズーリナである。彼女は「子供を生んでいない女性は高等教育を受けるべきでない」等、時代錯誤的な発言を繰り返し、堕胎と離婚の規制の強化、多産の奨励などロシア正教の価値観に基づく超保守的な政策を次々に打ち立てている★3

 さて、1991年以降に起こったこの一連の動き、即ち、旧体制の崩壊と、それに続く家族やジェンダー規範がゆらぐ束の間のリベラルな時代の到来、そしてそれが過ぎ去った後に唯一の指導者に導かれる強力な家父長的秩序へと回帰していくというプロセスは、実はロシアにとっては2度目の経験だ。本稿が扱いたいのは、1度目の経験、つまり1917年の十月革命と、それに続く家族を巡る議論である。

 

 共産主義世界では家族制度は死滅する――この考えは、自明の真理として初期ボリシェヴィキに広く共有されていた。初期のソ連社会において、血縁ではなく、理念で結ばれた同志たちの共同体が待望された背景には、内戦と世界大戦による大量の孤児の発生など、現実に起こっていた家族制度の崩壊があったと言われる。そして十月革命後、ソビエト政権は国家による家族の破壊という人類史上類を見ない政策に着手した。1917年12月の政令で、宗教婚は市民婚へと移行し、離婚は夫婦のどちらかの申立によって許可されることとなる。翌18年の家族法においては同居の義務の撤廃(第104項)、財産の個人所有(第105項)が確認され、さらに将来全ての子供は集団で育成されるという前提の下、養子縁組が禁止された(第183項)。1918年以降も議論は継続され、1926年には事実婚が認定されるに至っている。しかし、1924年にレーニンが死去した後、社会は徐々に保守化しはじめる。1928年には農業の集団化と重工業を重視した第一次五カ年計画が開始されたが、これはスターリン体制の確立を告げるものだった。家族に関するラディカルな議論も、30年代には完全に否定され、1936年には家族強化キャンペーンが大々的に展開されることとなる。

 以下、激動の1920年代に生み出された二人の「新しい女」――A・コロンタイ『三代の恋』(1923年)の主人公ジェーニャとS・トレチヤコフ『子供が欲しい』(1926年)の主人公ミルダ――の像を比較し、初期ソ連の家族を巡る議論がどこまでラディカルなものだったかを振り返りたい。またこの動きは全体主義体制下の社会にどのような遺産を残したのかについても考察する。

 議論に入る前に、もう一点確認しておきたいのは、スターリン体制下の家族制度における特殊な要素である。K・クラークによれば30年代中頃のソ連は、個別の核家族への回帰が見られると共に、スターリンを族長とする国家全体のシンボリックな家族が併存した時代であったという。そこでは後者への帰属が強く求められる一方で、実際の血縁家族もそれを強化するものとして奨励されていた。ただし国家の利益と血縁者の利益が衝突した場合には、後者、即ち血縁の絆は破棄されるべきものとみなされていた。そしてそれを象徴するのが、実の父親が反革命分子に援助を行っていると密告し強制収容所送りにしたパブリク・モロゾフ少年である★4。モロゾフ少年の国家への忠誠は、英雄的行為として顕彰されていく。彼の物語は教科書に載り、小説や詩、オペラ化されてプロパガンダに利用された。

 つまり全体主義体制下のソ連とは、スターリンを唯一の父とした国家全体の大家族が出現した時代であったのだ。家族を破壊しようと血道を挙げていた国家が、前代未聞の巨大な家父長的家族を形成するまでの間に何が起きたのか、その連続性を考えてみたい。

ジェーニャとミルダ


 では、2作品を簡単に紹介しよう。一つ目は、革命政権において唯一の女性閣僚となったコロンタイの短編小説『三代の恋』である★5。『三代の恋』は、母娘三代の恋愛遍歴の物語である。彼女たちはそれぞれ、時代の規範から逸脱した恋をしてきたが、ここで問題となるのは孫娘の「新しい女」ジェーニャである。ある日彼女は、妊娠したが時間がないので堕胎したいと母オリガに相談を持ちかける。「お腹の子の父は誰か?」という母の問いに、ジェーニャは「分からない」とだけ答えるのだが、その後、母の新しい夫アンドレイを含む複数人との間に恋愛感情抜きに乱交関係を結んでいることが判明する。苦悩するオリガに対し、ジェーニャはアンドレイを愛している訳ではないので、母の気持ちが理解できない。彼女は、母親のような「愛し方」では仕事はできないと言って、革命を遂行すべく家を出ていく。

 続いて取り上げるのはフォルマリズムの作家で詩人マヤコフスキーらと雑誌『レフ』を刊行した男性作家トレチヤコフの戯曲『子供が欲しい』である★6。ヒロインのミルダは恋愛に無関心であったが、ある日、自分に「子供を持ちたい」という気持ちが芽生えていることに気づく。そこで彼女は共産主義的な観点から見て理想の子を産む為に、「優生学」に従って祖父の世代から100%プロレタリアートの男性を探しはじめるのであった。そして建設工のヤコブを相応しい相手であると一方的に決めて「あなた自身はいらない。精子だけが必要だ」と、子供ができるまでセックスしてくれるように頼み込む。彼はこの突拍子もない申し出に驚き、またリーパという恋人がいるために当初はまともに取り合わないのだが、次第に誘惑に屈し、結局ミルダは妊娠に成功する。時は移って1930年。作品執筆時からすると近い未来にあたるこの年、健康的な子を競う「子供展覧会」が盛大に開催されている。この品評会でミルダとヤコブ、そしてリーパとヤコブの両方のペアの子が同点で1位を獲得し、物語は祝祭的な雰囲気で幕を閉じる。

★1 Жеребкина, И. Гендерные 90-е или Фалоса не существует. СПб. 2003. С.9. 後述するとおり、現在は公式 youtube チャンネルから動画をみることができる。
★2 同性愛宣伝禁止法を巡る状況については、次の文献に詳しい。安野直『ロシアの「LGBT」性的少数者の過去と現在 ユーラシア文庫12』、群像社、2019年。
★3 URL=https://roissya24.net/news/russia/elena-mizulina-proposed-to-ban-access-to-higher-education-for-nulliparous-women/ (2019年5月30日閲覧)
★4 Katerina Clark, The Soviet Novel: History as Ritual. Third Edition. (Bloomington: Indiana University Press. 2000), pp. pp.114-15.
★5 『三代の恋』の引用はКоллонтай А. Любовь трёх поколении // Любовь пчел трудовых. М., «Государственное издательство», 1923. により、引用箇所は本文中に(頁数)で記す。
★6 『子供が欲しい』の引用はТретьяков С. М. Хочу ребенка // Современная драматургия. 1998. №2. С. 206-243. により、引用箇所は本文中に(頁数)で記す。この戯曲は、当時は検閲や舞台装置の問題があり、結局上演されることはなかった。作品の成立に関しては次の文献に詳しい。伊藤愉「現実を解体せよ――討論劇『子どもが欲しい』再考」、『メイエルホリドとブレヒトの演劇』、玉川大学出版部、2016年、247-280頁。



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兵庫県出身。2014年、東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学、2018年、博士号取得(学術)。東京大学教養学部、早稲田大学文化構想学部非常勤講師、日露青年交流センター若手研究者等フェローシップなどを経て、2019年からは、大阪大学大学院言語文化研究科講師。

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