東浩紀『テーマパーク化する地球』を読む|辻田真佐憲

初出:2019年07月19日刊行『ゲンロンβ39』

 六月の刊行以降、多くの反響を集める東浩紀『テーマパーク化する地球』。本書に収められた四七のテクストは、震災以降の東が辿った思索と実践の軌跡を示しており、読み手に応じた多様な解釈の可能性が開けている。そこで今号では、近現代史研究者の辻田真佐憲氏と、メディアアーティストの江渡浩一郎氏のおふたりに、それぞれの『テーマパーク化する地球』評の寄稿を依頼した。まったく違ったバックボーンと関心を持つ二人は、本書をどう読んだのか。新たな読解の可能性のヒントに満ちた二つの評をお楽しみいただきたい。(編集部)※江渡浩一郎さんによる書評「組織運営と『書く』こと」はこちらから

 

「自由な議論とはこうやるのだ」辻田真佐憲


 今日、歴史はたいへん語りにくくなっている。とくに近現代史はそうだ。SNSで少しでも「間違った」ことをいえば、「お前はレイシストか?」「歴史修正主義と戦っていない」「最新の研究を読め」「素人は黙っていろ」などとリプライが飛んでくる。もちろん大本にはデタラメな右派論者の台頭があるのだが、その反動で行われる批判も、いささか教条主義的で排他的な嫌いがないではない。

 歴史との付き合い方は、もっと自由かつ柔軟であるべきではないか? 一介の歴史好きとして、評者は今日の風潮を息苦しく思っていた。だから、本書を読んで「あっ」と驚き、爽快な読後感を味わった。ここでは、満洲の建築遺産も、ソ連の宇宙開発も、じつに縦横無尽に語られているからである。
 すでに白眉と名高い「ソ連と崇高」では、哲学的な美と崇高の違いからはじまり、チェルノブイリの原発やモスクワの宇宙航空学記念博物館に話が転じ、最後には共産趣味や工場萌えなどのサブカルチャーにまで広がる。本来つながらないはずのものが、あれよあれよとつながっていく愉悦。その展開は、本書でしばしば使われる「アクロバティック」ということばがよく似合う。

 それが本書の狙いであることは、梅原猛を追悼する「哲学者は自由でいい」を読んでもわかる。アリストテレスが性の話ばかり書いていてスケベだという冗談が、「つぎの瞬間に日本神話の多神教的性格の考察へ変わり、デカルト批判につながる」。梅原のこのようなアクロバティックさこそ、哲学者の本来のあり方なのだと著者は指摘する。

 しかし同じ追悼文で、著者が「事実の集積は歴史にならない」といい、さらに進んで「ひとは過去を物語に変えてはじめて未来に進める。そしてその物語の創出は哲学者の責務である」と力強く主張するとき、そうだと同意しながらも、一抹の不安を感じないではなかった。それは、右派論者のデタラメな歴史観と隣り合わせにならないか、と。

 いやむろん、著者はそんな問題など織り込み済みである。「哲学や批評を『書く』という営みは、あくまでも、そのテクストをそれ以降どんなふうに読まれるようにコンテクストを作っていくかという、テクスト外の営みとセットになっている」「哲学的知性は人格抜きには定義できない」(「職業としての批評」)。哲学と、その日本的なあらわれである批評は、属人的であるがゆえに、さまざまな制度や方法論などで守られた学術研究にくらべて、かならずしも客観的でも安定的でもない。

 だからこそ、自由な展開にはつねに緊張感がともなう。とくに今日においてはそうだ。炎上は日常茶飯事。批判しようとするものは、「エビデンスは?」「個人の感想では?」などとお決まりの文句を揃えて待ち構えている。そして一歩間違えれば、並みいる歴史修正主義者と同じトンデモという奈落の底に落ちていってしまう。
「批評とはなにか」でより明確に述べられているように、「哲学はゲームにすぎない」。では、そのなかを絶妙なバランス感覚をもちながら駆け抜けるには、どうすればよいか。

 著者は、ゲームに不可欠な観客を生み出すため(同上)、哲人王ならぬ哲人経営者として、ゲンロンやゲンロンカフェという場所を作り、育てようと悪戦苦闘する(「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」)。これら「テクスト外の営み」はいうまでもなく、すべて先述の哲学・批評観と対応している。

 かかるスリリングな実践がまたとあろうか。自由な議論とはこうやるのだ。今日に東浩紀なかりせば、SNSで猖獗をきわめる、優等生的な糾弾や、枝葉末節に拘るオタク的な指摘、また冷笑的な衒学趣味や、アカデミズム至上主義などで日本の知的な空間は覆われていたであろう。それに加えて、「日本スゴイ」「GHQの洗脳工作」などとボットのごとく繰り返す右派論者の跳梁跋扈? なんと暗澹たる平行世界! 本書はその闇を切り裂く一閃の刃である。爽快な読後感と述べたゆえんだ。

 本書に収められた紀行文の数々が、したがって、ただの旅行記でないことはもはや説明を要すまい。「テーマパークと慰霊」に続く満洲紀行は書かれるとしても、そこでは満洲だけが問題なのではない。満洲がどのような文学に、哲学に、コンテンツに結び付けられるのか、その思いもよらぬ展開こそ問題なのだ。著者は、紀行文を書きながら、読者を哲学・批評の世界に連れ出そうとしているのだから。

 それゆえ、本書を読み終えたとき、読者ははたと気づくだろう。世界の観え方が大きく変わっていることに。なおも実証主義とのみ連呼することの虚しさよ。アクロバティックな知的展開の魅力を知ってしまったわれわれは、もはや哲学・批評なき世界に戻れない。

 良書とは、読者の価値観を揺るがし、新しい視野を与えるものだという。本書がすなわちそれである。


世界がテーマパーク化する〈しかない〉時代に、人間が人間であることはいかにして可能か。


ゲンロン叢書003 東浩紀『テーマパーク化する地球
2019年6月5日刊行 四六判並製 本体408頁
 ISBN:978-4-907188-31-3

ゲンロンショップ:物理書籍版電子書籍(ePub)版
Amazon:物理書籍版電子書籍(Kindle)版

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1984年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科中退。著書に『日本の軍歌』、『ふしぎな君が代』、『大本営発表』、『天皇のお言葉』(以上、幻冬舎新書)、『文部省の研究』、『古関裕而の昭和史』(以上、文春新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など。

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