展評――尖端から末端をめぐって(7) ステージの上の彫刻たち──小谷元彦「Tulpa –Here is me」展によせて|梅津庸一

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初出:2019年07月19日刊行『ゲンロンβ39』

はじめに

 今回は小谷元彦(1972-)の個展「Tulpa –Here is me」を取り上げる。小谷は90年代末に東京のアートシーンに突如現れた新星だった★1。デビュー以来、リヨン・ビエンナーレ(2000年)、イスタンブール・ビエンナーレ(2001年)、光州ビエンナーレ(2002年)などに立て続けに出展しており、2003年のヴェネチア・ビエンナーレでは日本館代表に選出されている。2010年には六本木ヒルズの森美術館で大規模な個展も開催している。また現在は東京藝術大学で准教授を務めるなど日本の現代アート界の中で確固たる地位を築いてきた作家と言って間違いない。しかしながら、これほどのキャリアを誇る小谷のことをしっかりと論じたテキストは意外なほど少なく、社会的プレゼンスの高さに反して全貌が掴みにくい作家の一人である。しかし小谷をめぐる考察はそのまま「現代アート」の根本的な問題を考えることにつながりうると筆者は考えている。

小谷元彦の歩み

 まずは小谷のこれまでの歩みを簡単に振り返っておきたい。小谷の最初期の代表作《Phantom-Limb》(1997年)は少女を被写体にした写真作品である。少女の両手は、すり潰した木の実の果汁で真っ赤に染まっている。しかし作品自体は、ファッション誌に掲載されそうなほどに洗練されており、芸術写真のような重苦しさはない。タイトルの通り、ここでは腕や足が切断された後もそれがまだ存在しているような感覚、それに伴う痛みと快楽が主題になっている。この「痛み」や「痛覚」はその後も小谷が追求していく主要なテーゼとなる。  その後、小谷は1999年に椹木野衣のキュレーションによる「日本ゼロ年展」に出展する。この展覧会で椹木はハイカルチャーとサブカルチャーの境界を無効化し旧来の鈍重な日本の美術史観の「リセット」を試みた。小谷が「日本ゼロ年展」に出品した作品は《Air “Gust”》(1999年)という木彫作品だった。女性の立像の表面には様々な模様が彫り込まれ、手から手品のように水が流れ出す様子が木彫で再現されていた。この作品は、大正から昭和初期の彫刻家である橋本平八の《花園に遊ぶ天女》(1930年)★2を着想源のひとつとしている。日本は明治期に西洋から入ってきた「彫刻」という概念・制度を早急にインストールしようとしたが、しかし様々な理由によりしっかり根付くことはなかった★3。橋本はそんな中で独自に仏教彫刻と西洋の彫刻の融合を模索した数少ない彫刻家だった。小谷はそんな一種のマニエリスムというべき橋本のDNAを一部で引き継ごうとしていた。椹木はこの時点での小谷作品を「「彫刻」であることの不自由さ、どうしようもなさ、融通の効かなさを正面から受け止め、その重力を思いもつかないやり方で脱臼させてしまう軽やかさもかさねもっている」★4と評している。
 2003年のヴェネチア・ビエンナーレに出品した《ロンパース》(2003年)は木の枝に座る異世界の少女が登場するファンタジックでエロティックな映像作品だが、この作品はスイス人のアーティストであるウーゴ・ロンディノーネ★5の《I don't live here anymore》(1995年)から少なからず影響を受けていると思われる。このシリーズはロンディノーネがファッション広告の女性モデルのグラビア写真の顔をデジタル技術によって自分の顔に置き換えるというものだが、そのシリーズのうちの1点が《ロンパース》と同じように裸足で木の枝に座っており、構図もシチェーションもほとんど同じなのだ。とはいえ、ここで指摘したいのはイメージの類似性ではなく、むしろ小谷が当時欧米の作家を丹念にリサーチし、影響を受けていたのではないかという点である。ロンディノーネは現実と空想の間の境界を探るために写真、彫刻、絵画、映像、インスタレーションを横断し組み合わせるが、小谷もまた様々なメディウムを同時に使うことを特徴としていた。つまりこれは当時の海外アーティストの最新のトレンドをなるべく早く貪欲に吸収していた小谷の勤勉さを物語っている。それによって当時の日本ではまだ珍しかった多ジャンル性を小谷はいち早く実装することができたというのはあながち間違いではないはずだ。

セルフプロデュース力と震災と


 他にも狼の毛皮を使った《Human Lesson (Dress 01)》(1996年)★6や髪の毛を使った《Double Edged of Thought (Dress 02)》(1997年)といった作品もあるが、小谷という作家を簡単に説明すると、東京藝術大学美術学部彫刻科出身であり「彫刻」を主要なメディウムにしながらも、それと同時に海外のアートシーンの動向とも同期した多ジャンル性を持ち、「痛み」や「痛覚」を主題とする優秀なアーティストという認識でひとまずは問題ないだろう。しかし、小谷には別の側面があることを忘れてはならない。それはブランディングの力である。小谷はデビューした90年代からの現代美術のシーンの中で、美術の外の同時代の空気を積極的に纏い、自分を他のプレーヤーから差別化することに成功していた。もちろん、作品と作者は分けて考えるべきだという考え方もある。しかしながら、作品が公開される場である展覧会が、自然発生するわけでなく作家自身の社交や交渉なくしては生まれない以上、両者を完全に分けることはできないのではないか。

 美術作品、ことに現代アートにおける「作品」は実体のあるオブジェのみとは限らず、非物質的領域こそが作品本体であることは全く珍しいことではない。それはつまり、作品の持つ文脈や物語、タイミング、そして作者自身のブランディングなどが複合的に作品を形成し、左右するということだ。場合によっては、マテリアルとしての作品以上に説話やコンセプトのほうが重要だったりすることも多々ある。さらに言えば「作品」と「作家」を厳密に区分する標自体も存在しない。ましてや、今回取り上げる「Tulpa –Here is me」という個展は小谷のセルフポートレートがテーマである。作家自身の立場や背景の物語は積極的に参照されるべきだ。前述したように、小谷は同世代のアーティストの中では飛び抜けて自己プロデュース力が高かった。雑誌の表紙を俳優さながらのポーズで飾り、また過去のインタビュー記事などを読み返してみても、適度な深度で真面目なことも言えば、自身の本音や欲望をちらつかせもする。それはアーティスト小谷と普段の自然体の小谷の高低差を利用した一種のファンサービスでありそれ自体が小谷にとって重要な表現媒体だった。実際、同時代のトレンドに目を向けつつイケメン俳優然としたアーティスト像を作り上げていく様は見事だったし、そのブランドイメージ自体が、彫刻家である小谷にとってのもうひとつの「人体塑像」であったとは言えないだろうか。

梅津庸一

1982年山形生まれ。美術家、パープルーム主宰。美術、絵画が生起する地点に関心を抱く。日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像、自身のパフォーマンスを記録した映像作品、自宅で20歳前後の生徒5名と共に制作/共同生活を営む私塾「パープルーム予備校」の運営、「パープルームギャラリー」の運営、展覧会の企画、テキストの執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に『梅津庸一個展 ポリネーター』(2021年、ワタリウム美術館)、『未遂の花粉』(2017年、愛知県美術館)。作品論集に『ラムからマトン』(アートダイバー)。作品集『梅津庸一作品集 ポリネーター』(美術出版社)今春刊行予定。
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