当事者から共事者へ(1) 障害と共事|小松理虔

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初出:2019年09月27日刊行『ゲンロンβ41』
 拙著『新復興論』がゲンロンから刊行され、間もなく一年。相変わらず、ぼくはいわき市小名浜に暮らす在野の活動家である。カツオやサンマの水揚げがあれば港に写真を撮りに行き、ある日はコミュニティ食堂の手伝いに出かけ、またある日は高齢者の集会所に顔を出し、地元の中小企業のパンフレットやウェブサイトを作ったりしている。本が賞を頂いたとはいえ、福島県内のどこぞの大学からお呼びがかかるわけでもないし、自治体のナントカ委員のポストに就くわけでも、新しい本の執筆依頼があるわけでもない。

 いや、それで当然なのだ。大佛次郎論壇賞の過去の受賞者を見てほしい。ほとんどが東京大学、京都大学、一橋大学といった大学を卒業し、研究者・専門家として活躍している方ばかり。ぼくは論文を出しているわけでもないしアカデミズムの人間でもない。なんというか、ぼくだけが場違いなエラーなのだ。けれど、その「場違い感」こそがぼくの取り柄なのだろうということは、この一年でかなり再確認できた気がする。いつだって、ぼくは何かの領域の「ではない側」に立っている。

 


 いつ潰れても仕方がないフリーランス稼業。なんとか口に糊すべく色々な仕事を引き受けてきた。依頼はどれもなんらかの課題を抱えていて、その課題はどれも地域や社会と地続きだった。地元の幼稚園のウェブサイトを作ったときには、単にウェブサイトを作るだけでなく、地域の少子化や都市部との教育格差の問題を考えずにはいられなかったし、水産加工業者のオンラインショップを作ったときには、当然売り上げ増を目指すけれども、原発事故後の流通形態の変化や汚染水の問題にも思考は及んだ。最近増えている障害福祉や介護福祉の情報発信の仕事では、社会の包摂力のようなものを育んでいくことが求められている。依頼主が福島県内の企業や法人の場合は、やはり原発事故後の社会設計というものを考えずにはいられない。

 そんな地域の課題に触れ続け、ぼくは「当事者」という言葉についてより深く考えるようになった。なんらかの課題には、それに直面する当事者がいる。当事者は、問題を解決すべく色々な策を講じる。その一方で、どうすれば多くの人たちに関心を持ってもらえるだろうか。どうすれば賛同者を増やせるだろうか。どうすれば関わりが生まれるだろうかということも考えている。どの課題も「それまではその課題を課題とは思わなかった人たちに理解を広めていきたい」という点で共通しているのだった。

 しかし、「当事者」という言葉を使って当事者の困難を外側に出すほど、同じ課題を抱える人たちの共感を生む一方で、「わたしは当事者ではない」という人、つまり「非当事者」を作り出してしまうようにも感じている。いわば「当事者のジレンマ」が生まれる。

 ぼくは『新復興論』のなかで、当事者についてそれなりの分量を割いて自分の考えをまとめた。課題が大きければ大きいほど、古今の知を参照し、当事者の外側にいる人とも意見を交わす必要がある。当事者性の高さを競い合うような言説は外部を遮断してしまうし、〝真の当事者〟などいないのだから、皆が当事者であるという意識のもと、外部を切り捨てない思考をしていくべきだと。今でも、その考えに変わりはない。

 しかし、ぼくの「当事者論」は批判も頂戴した。小松さんの論は、紛れもなく当事者と言わざるを得ない、困難さを宿命づけられた人たちを無視するような言動につながるのではないかと。逃れられない何かを抱えた当事者はいる。だから「当事者性なんて関係ないんだ」というぼくの論が暴力的に聞こえるのは当然かもしれない。決して当事者を無視していいとは思っていない。当事者性の濃淡で異論を排除するような言説はいけないと言いたかっただけだが、言葉が足りなかったのも事実だろう。

 障害の世界では「当事者研究」が盛んだ。当事者研究とは、当事者本人が自らの症状や不調、人間関係など固有の生きづらさ、ジレンマや葛藤を「研究」というフレームで見つめ直し、仲間や関係者の経験も取り入れながら、自分らしいユニークな発想で自助を創造していくアプローチであるとされる。最近では、障害だけでなくLGBTなども含めたマイノリティ当事者が自分の生きづらさを持ち寄り、発信するメディアやイベントも増えてきた。当事者同士だからこそ分かり合え、共感が生まれる。そうしたチャンネルが、少なくない人たちに希望を与えているのは事実だし、ぼくもこうした動きを陰ながら応援したいと思っている。

 当事者同士で課題を持ち寄り、自己を肯定しながら課題と向き合おうというチャンネルには賛同できるし、その局面で「当事者」という言葉は連帯を生むだろう。けれど、その当事者の声を広く伝え、社会を巻き込んでいこうというときには、当事者という言葉が逆に障害になってしまうのではないか。なぜこのようなジレンマが起きるのかといえば、「当事者」という言葉が、やはり当事者「だけ」を指す言葉だからだ。例えばぼくがイメージする「社会の一員としてのわずかな当事者性を付与されている外側の人」を「当事者」という言葉は説明することができない。課題解決のカギを握っているかもしれない人たちなのにだ。

 ならば。当事者の存在を肯定・尊重し、当事者同士が語る場を守りつつ、外側の人たちが自分にもあるわずかな当事者性を自覚し、課題解決にゆるっと参画できるような〝立場〟も肯定的に捉え、そのゆるい〝関わり方〟そのものをポジティブに示す言葉があればいいのではないか、とぼくは考えた。宙ぶらりんな自分のスタンスを探したかったのかもしれない。
 そこでぼくが思いついたのが「共事者」という言葉だった。当事者ではない。当事者を直接的に支援しているわけでもない。研究者でもなければジャーナリストでもなく政治家でもない。プロフェッショナルでも専門知識を有しているわけでもない。けれど、当事者性はゼロではなく、社会の一員としてその物事を共にし、ゆるふわっと当事者を包み込んでいる。そんな人たち。あるいは、専門性も当事者性もないけれど、その課題と事を共にしてしまっている。そのようなゆるい関わり方。それが現段階でぼくがイメージしている「共事者/共事」だ。

 ゲンロンの読者なら察しがつくように、この「共事者」という言葉は、東浩紀さんの「観光客」の概念を、より「課題」や「現場」や「地域」、つまり「ローカル」に引き寄せた言葉でもある。当事者か否かという二項対立をずらして、課題をふまじめに楽しみ、そのくせ社会課題解決のカギを握ってしまうような人たちをイメージしている。

 ただ、ぼく自身まだ「共事」という概念を固められているわけではない。例によってぼくは思想・哲学の専門家でもなければ社会学の研究者でもないので、現場から言葉を拾い集めて考えていくほかない。けれども、連載を通じて読者の皆さんとも意見を交わし合うことはできるし、そうして磨かれていく言葉や思考もまた「共事」だと思うのだ。それに、ぼくのように「研究者でも専門家でもないけれど、考えたり動いたりするのは楽しいし、なんらかの課題に片足を突っ込んでいる」という人たちはかなりいるのではないかとも思っている。今後二カ月に一本のペースで、課題先進地福島から共事について考えるテキストを上げていく。ぜひ皆さんにも連載に「共事」してもらいたい。

レッツと共事



 より過酷な現場にこそ「共事」が必要とされている。そんなエピソードを紹介すべく、この連載最初のテキストを、「フクシマ」ではなく「フクシ」から始めたいと思う。

 ぼくは、今年の六月から静岡県浜松市の認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ(以下、レッツ)の活動に参加している。レッツが運営するスペースを取材し、その活動の模様をアーカイブするためで、毎月一度、一泊二日ほどで施設を観光し、そこで感じたものをウェブマガジンなどに書き連ねている。

 レッツの事業所のひとつが、浜松市連尺町にある。「たけし文化センター連尺町」と呼ばれている文化拠点だ。重度の知的障害など様々な障害を持った人たちが日中の時間を過ごすデイサービス事業所「アルス・ノヴァ」も、このたけし文化センターに入っており、さまざまな人たちが、日々ここを利用・訪問している。

【図1】たけし文化センター連尺町。福祉施設というよりアートスペースだ
 

 



 法人を立ち上げたのは、重度の知的障害のある息子、壮(たけし)君の母、久保田翠さん。食事やトイレがひとりではできないほど重い障害のあるたけし君を育てるなかで、本人がやりたいと思うことを思い切りできる場所を作ろうと法人を立ち上げた。レッツの一番の特徴は、支援なのかアートなのか定かではない、人間の根源に迫るところから場づくりを行なっていることだ。二〇〇〇年の団体設立以降、先進的な取り組みや企画を行い、久保田さんは平成二九年度の「芸術選奨文部科学大臣新人賞」を受賞している。

【図2】久保田壮君。代表の久保田さんの息子でもあり、重度の知的障害がある
 

 福祉施設というと、パンや手芸品などの商品を作ったりする施設や、教育プログラムを施して自立を促すような施設のイメージを持っていた。けれどもレッツではそれらを一切しない。通常の施設なら「迷惑行為」と捉えられそうな個人のこだわりを表現として守り、できる限り「いたいようにいる」ことを支えているのだ。

 利用者の一人に、水に触ったり、水を体にかけるのが大好きで、注意してもペットボトルの水を体や机などにかけてしまう利用者がいる。レッツでは、それを迷惑行為ではなく「表現行為」として捉える。何か根源的な表現欲求やこだわりがあるから水に触れていたいのだし、その行為こそ彼そのものなのではないか。それを奪ったら、彼の人格を奪うことになるのではないか、そう考えるのだ。だから、ここでは「利用者との水遊び」が支援として成立する。そのように重度の障害を、個性や表現として捉え、その人がいたいようにいられる場所を作る。それがレッツの支援の肝だとぼくは感じている。

【図3】水が大好きな土屋君。夏は晴れたら毎日のように水浴びをする
 

 では、そのようなレッツの障害福祉と「共事」はどう結びつくのだろう。一人の利用者の支援を紹介しつつ、考えていきたい。
 ぼくがレッツに通うようになって仲良くなったオガちゃんという男性がいる。機械や音楽にとりわけ強いこだわりがあるのだが、人が多い場所が苦手で施設の中に入ることができず、利用時間のほとんどを外で過ごす男性だ。夏の盛りの浜松。最高気温が三五度を超えることも多い。冷房の効いた部屋の中に入ってもらわないと困るところだ。

【図4】今回の主役でありレッツが運営する施設の利用者であるオガちゃん。機械や楽器が大好きな青年
 

 しかし、レッツの場合はそうならない。「部屋に入りたくない」ことが彼自身の特性なので、支援の方向性は「外に居場所を作る」ことに向いていく。真夏なので陽は当たらない方がいい。風通しも必要。ただ単に椅子を出して座っていたら熱中症になってしまう。ならば小屋を作ろう。そんなふうに支援の方向性が決まっていく。

 スタッフから「リケンさんもオガちゃんと小屋を作りましょう」と誘われて裏庭へまわると、オガちゃんが目を輝かせてインパクトドライバーを操っていた。オガちゃんは機械が好きなので電気工具を握るとテンションがアガるのをスタッフは知っている。金槌ではダメなのだ。オガちゃんはああだこうだつぶやきながら器用に釘を打ち、モリモリと小屋を建てていく。

 ぼくもスタッフも特別なことはしない。もちろんトイレや水分補給を促したり、危ない操作をしないように見守ることはするけれど、基本的には、大工仕事を手伝いつつ、こんなふうに立てるといいよとアドバイスしながら、オガちゃんの「やりたいようにやる」に付き合うだけ。それでいて、この数時間、オガちゃんの「部屋にいたくない」という思いは尊重され、機械を使って楽しく過ごし、なおかつ通所している状態にもなっていて、誰もがハッピーなのだった。

 


 レッツでの日々はいつもそんな調子だ。散歩したい人に付き合う、ゆっくり歩きたい人とゆっくり歩く、折り紙したい人を見守る、そんな感じである。リケンさんのやり方は間違っているとか、最低限この本は読んでほしいとか、そんな気持ちで福祉に関わるなと言われることもない。だから、ここに来ると、自分にも支援ができそうだし、自分にも大事な役割があるのかもと勇気をもらえる。

 きっとスタッフの皆さんは、夜な夜な支援についての会議を開いたり、家族とのセンシティブな対話や体力を使う介助の仕事もやったりしているはずだ。ぼくがやっていることは支援とは言えないだろう。けれど、ぼくは彼らに「共事」している、となら言えると思った。オガちゃんと一緒に小屋を作る。共に時間を過ごす。関わりは確かに生まれていて事を共にしている。オガちゃんも、ぼくの存在を受け入れてくれている。

 いや、むしろレッツの支援そのものが共事的であると思う。レッツの支援には、弱い人たちを助けるというイメージがあまりない。もっとフラットで、人と人との付き合いというイメージをぼくは持っている。話を伺うと、レッツのスタッフには、地域づくりやアート、音楽などに関わってきた人、他業種で仕事をしてきた人が多いそうだ。だからだろうか、なんとなくぼくにも関われるかもしれないという〝取りつく島〟を感じるのだ。

 ぼくのような関わりを、プロの支援者が「支援か否か」でぶった切ってしまったら、ぼくの関わりは支援ではなくなる。それと同じように「当事者か否か」で考えたら、当然ぼくは当事者ではない。けれど、「支援か否か」「当事者か否か」の間にはグラデーションがあるはずだ。共事という言葉は、そこで振るい落とされた人を拾い上げることができるような気がする。

 そして共事は、そのような余白のある状態だからこそ思考を生み出す。ぼくたちはプロとして専門家として関わっているわけではない。だから心の余裕がある。その余裕、余白のなかで、なぜこの人はこれにこだわってしまうんだろうとか、なぜこんな表現をするんだろうとか、障害ってなんだろうとか、そういうことを考えることができる。その思考こそ共事者の役割だろうし、そこで生まれる言葉には、次なる共事を生み出す力が宿ると思う。

外部への発信



 オガちゃんが小屋を作り上げたその日、レッツのツイッターアカウントには「オガ小屋」というハッシュタグがつけられ、その日の写真が投稿されていた。レッツが面白いのは、こんなふうに支援そのものや障害者本人を「企画」化し、映像にまとめたりワークショップにしたりしてコンテンツを作り上げ、支援のあり方、障害者の日常を社会の側に投げかけるところにもある。そのうち「オガちゃんと小屋を作るワークショップ」とかが始まったりするのかもしれない。常に外へアンテナを向けているのだった。

 こうした組織のあり方には、代表の久保田さんの思想が強く反映されている。障害を表現と捉え、それを社会にぶつけて波を立たせることによって、健常者に考えさせる場をハプニング的に作ろうとしているのだ。久保田さんの講演で実際にぼくが伺った話のなかから、印象に残っている部分を引用する。


 レッツでは、利用者がどんどん街に遊びに行きます。街のなかに行かないと社会は変わりません。問題が起きないと社会は変わろうとしないんです。健常者とは違う目線や感じ方を持っている彼らが街に出ることで、あちこちに波が立つように問題が起きる。それによっていろいろな人が考えたり、見え方を変えたりする。だから問題を起こすのが彼らの仕事です。



 彼らのこだわりや行動がなんの役に立っているのかと言われれば、立たないですよ。けれど、どうしてもやってしまう水遊びや階段を下りること、石を箱に入れてカチカチ鳴らすことを表現だと思わねば、表現なんてないのと同じです。その人となりを表すものが表現であるはずです。自分を表す方法としての表現を大切にしていこう。そのことが、その人の存在を認めていくことになる。レッツは、そんな考えを大事にしています。



 本人と向き合い、本人がやりたいこと、心地よいこと、こだわってしまうことを、迷惑行為ではなく表現として捉え、施設の内側にこもるのではなく外へと開き、障害を面白がって伝えることで、福祉の外の人たちの関わりしろや社会との接点を作る。その結果、これまで障害福祉とは無関係だと思っていた人がこの場所に惹きつけられ、利用者との新たな関わりが生まれる。新しいスタッフがやってきたり、担い手が育ってきたりもする。その根源には、障害を表現と捉えて面白がる「ふまじめさ」がある。

 


 こう書いてみると、久保田さんがやろうとしていることと、ぼくが福島でやろうとしてきたことはとても似ていると感じた。そのどちらも「共事」的であると思う。

 福島を楽しみ、味わい尽くし、その土地の歴史をふまじめに楽しむうち、震災や原発事故に接続してしまい、結果的に、その被害の大きさを知り、犠牲に対する慰霊や供養につながり、社会を見る目が変わったり、ライフスタイルを改めるきっかけをつかんでしまったり、復興の今を知ることにつながってしまう。物見遊山だったのに、その人の人生を変えるような何かを受け取ってしまう。そんな回路を、小さくてもぼくは作ろうとしてきた。

 久保田さんも同じではないかと感じた。障害を楽しんでしまう。彼らの表現を不謹慎なまでにイベント化して共事することで、彼らと接する機会を作る。結果的に、障害の先にある個性や個人に触れ、障害のある人たちの理解が進んだり、彼らと友人になってしまったりする。最初は興味本位や物見遊山だったのに、やはり、その人の人生を変えるような何かを受け取ってしまう。
 
 大きな困難にまともに向き合っていたら疲れ果ててしまう。久保田さんは、そうならないように、楽しさや面白さ、ぼくたちの社会を揺さぶる何かを「ふまじめ」に伝えていこうとしてきたのではないか。久保田さんは、ぼくとは比較にならないほどふまじめな方だと思う。困難の裏返しのふまじめさだ。

誤配を内含する福祉



 ここまで紹介してきたように、レッツは徹底して外に関わりを作ろうとしている。端的にその理念が集約されているのが、「タイムトラベル一〇〇時間ツアー」という企画だ。文字通りレッツの施設を一〇〇時間観光するというツアーなのだが、福祉関係者よりもアートや演劇、表現やクリエイティブに関わる福祉業界〝外〟の人たちの参加が多いという。

 では、レッツはなぜそこまで大胆に外に開こうとするのだろう。先ほどの久保田さんの言葉を借りれば「社会に波を立てる」ためだろう。個人に向き合うチャンネルだけでなく、社会に向けたチャンネルを持つことで、障害を知らない人が障害に触れる場を作り、社会を変える。その延長線上に、久保田さんの「芸術選奨」の受賞もある。

 それらの活動の末に、ぼくのような共事者も生まれる。福祉の専門家でも障害当事者の家族でもないくせに、ぼくはレッツと関わり、オガちゃんとも知り合えた。そして、勝手に「ぼくも障害福祉の当事者のひとりなのではないか」と考えるようになった。レッツの皆さんがそう言ったわけではない。勝手に、そう受け取ってしまったのだ。

 そしてぼくは今、勝手にこんなことを考えている。障害福祉というのものは、そもそも誤配を内包しているのではないか、と。

 レッツの施設に通うような重度の知的障害のある人は、こんな人に支援してもらいたいとか、こういう人なら合うとか、自分の希望を口に出して説明することができない。だから、彼らの人生は常に他者との関わりが前提になる。しかも、ひとりひとり特性が違うから、誰と誰がフィットするかは試してみないと分からない。誰かが誰かの居場所になってしまうかもしれないということだ。それはぼくかもしれないし、あなたかもしれない。

 レッツのスタッフに聞いてみると、たまたまレッツを訪問してきたアーティストと利用者がフィットしてしまったり、利用者同士が居場所になってしまったり、赤の他人が、利用者のこだわりを解きほぐしてしまったりすることが実際にあるという。

 誰が誰の居場所になるか分からない。それはぼくたちに大きな希望を与えてくれると思えた。特別な福祉のスキルがなくても、専門的な知識がなくても、素人であるぼくたちも、家族や支援の枠組みを超えて、困難を抱える誰かの居場所になれる可能性があるということだからだ。
 ぼくたちは、生まれながらにして誰かの居場所になってしまう可能性を有している。いわばその「誤配可能性」は、ぼくたちのような課題の外にいる人間にも、わずかばかりの当事者性を付与していく。いつそうなるかは分からないけれど、福祉の外側にいるぼくたちも、家族という枠を超えて誰かの居場所になる可能性を有しているからだ。福祉に無関係な人などいるだろうか。

 このような誤配を、当事者家族である久保田さんは排除しない。久保田さんは「障害者も自分らしく生きる権利があり、親にも自分らしく生きる権利がある」という。障害者の親は、自分が死んだ後のことを気にして障害のある子を守ろうとしてしまう。「障害者の親」を求め、求められるがあまり、自分の人生をなくしてしまう。家族の「外」を作らなければ、本人も家族も自分らしく生きられないというのだ。久保田さんは、家族の決定よりも、友人たちとの合意形成が大事であり、もう二〇歳をいくつか超えているたけし君のこれからを友人たちが決めるのは自然なことだという。それを親の無責任とは感じなかった。むしろそうあるべきだと強く感じた。

【図5】クリエイティブサポートレッツの代表を務める久保田翠さん
 

 たけし君が、まだ見ぬ友人たちと出会うかもしれない。たけし君を愛してくれる友人たちがやって来てくれるかもしれない。もっとベターな支援のあり方が見つかるかもしれない。そのたけし君は、話すことができない。母親である久保田さんすら、たけし君の意思を確認することはできない。だから、親が決定したところで、それはたけし君の声ではない。結局、そこには他者の合意形成しか存在しないのだ。そして、そもそも社会の側に理解がなければ、たけし君たちはずっと偏見にさらされてしまう。だから波を立て続けなければならない。このように、福祉とは、個人に向き合うにせよ、社会に向き合うにせよ、「他者との共事」抜きには成立しないものなのかもしれない。

 だからこそ、久保田さんたちは強く外に、家族や支援者の外に発信し続ける。当事者の親ゆえに、そうして家族や支援の外へ開こうという久保田さんの信念に、ぼくは毎回心を動かされる。そして、福島のことを重ね合わせてしまう。

 


 ぼくたちは、困難を抱えている人の居場所になる可能性を有してしまっている。当事者でも専門家でもないぼくたちの身のうちに、共事の種はすでに撒かれている。

 課題だらけの現代。当事(者)という回路だけでなく、共事(者)という回路を示すことで、当事者か非当事者かという区分けでは生み出すことのできない新しい関わりしろや思考の余白を作り出すことができるのではないか、とぼくは考えている。そして、それを考えることは、なんの専門性もなく、研究者でも何者でもない中途半端なぼくにお似合いだという気もする。いつまでこの連載が続くかは分からない。けれど、オガちゃんと小屋を作ってハッピーになったみたいに、ゆるふわっと「共事」と向き合ってみるつもりだ。

 

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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