日本でタイ文学を読むとは――『新しい目の旅立ち』刊行記念インタビュー|福冨渉 聞き手=東浩紀+上田洋子

初出:2020年1月24日刊行『ゲンロンβ45』

 ゲンロン叢書004、プラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』が2月7日より全国書店にて発売されました。本書は著者が「黒魔術の島」と呼ばれるフィリピンのシキホール島を訪れた体験を、哲学的な思索とともに綴った紀行文です。プラープダー・ユンはタイ・ポストモダンの都市文化を代表するカリスマ。その彼がなぜ、バンコクを飛び出し、「黒魔術の島」へ渡ることになったのか。その背景にあるタイの文化的・政治的背景や、そこから来るタイ文学の魅力、そしてタイ文学をいま日本で読む意味について、訳者の福冨渉さんにうかがいました。(編集部)

 

プラープダーという作家


―― 本日は『新しい目の旅立ち』の刊行を記念し、訳者である福冨渉さんにお話をうかがいます。まず著者のプラープダー・ユンについて、簡単にご紹介ください。

福冨渉 プラープダー・ユンは、1973年生まれのタイの作家です。2000年代初頭に文壇に登場したとき、彼は若手のホープとして、文学ファンのみならず、さまざまな方面から注目を集めました。小説家としてだけではなく、グラフィックデザイナーとしても活動していたこと、大手メディア会社の創業者を父に持つ御曹司であること、アメリカ帰りでルックスも端正なことなどさまざまな要素が相まって、社会現象になりました。
 当初のスター性は年齢とともに変化していきましたが、最近まで、タイ国出版社・書籍販売業者協会で役職を務めるなど、非常に活躍している作家です。刊行ペースにはばらつきがありますが、継続的に作品を出版しており、固定ファンもついています。
 プラープダーの作品の特徴として、孤独な都市住人にフォーカスをあてている点が挙げられます。グローバル化した現代において、タイでも日本でも共通する「寂しさ」を抱える人々の心に響く、新時代の小説として受け入れられてきました。作品はすでにいくつか日本語に翻訳されていますし、彼が脚本を担当し、浅野忠信が主演した映画『地球で最後のふたり』(2003年)も2004年に日本で公開されています。
 彼が生まれた70年代は、タイにとって、軍事独裁政権が終わった直後のタイミングでした。彼らが青春時代を過ごした時期にも再び民主化運動が活発になり、さらに作家活動を始めた2000年代からは政治の混乱がつづく。プラープダーはこうした時代を生きていた世代です。いまのタイでは、プラープダーと同じ1970年代生まれの作家が幅広く活躍しています。政治や社会を巡る経験を、さまざまなアプローチできちんと物語に落とし込んでいる作家が多い、非常に面白い世代だと思っています。

―― 『新しい目の旅立ち』はどのような作品ですか。

福冨 プラープダーは小説家ですが、『新しい目の旅立ち』は小説ではありません。プラープダーがフィリピンのシキホール島へ旅したときの思索を辿る記録です。
 ぼくはこの作品を読んですぐに「これは翻訳しなくてはならない」と思い、ゲンロンさんにご相談しました。というのも、『新しい目の旅立ち』は、タイ・ポストモダン文学を象徴する従来のプラープダーの作品とはちがい、むしろそこからの転回が刻まれている、自然を巡る哲学的なエッセイだったからです。
 この作品でプラープダーが、自分を都市に生きる中間層だととらえていることはとても重要です。彼は自分がインテリであることを否定したいと思い、悩みながらも、同時にそのこと受け入れざるをえないという結論にいたっていきます。その立場の良い側面も悪い側面も認識し、そこから自分の新しいスタートを切っていく意志を表明していることが、とても大事だと思ったのです。
 単純にプラープダーの自然に対するアプローチや考え方を辿っても、知的な冒険として楽しい本です。また、環境問題についての考察は、日本の読者にも関心が持たれると思います。しかしそれだけでなく、「なぜ彼は考えるために旅をしたのか」を考えることが大切です。知識や思索が軽視されがちな日本の社会において、こうしたアプローチの本が読めるようになることはとても意義があると考えています。また、「旅」と「思考」の関わりという点で、ゲンロンと近いところで仕事をしている作家とも感じました。ぜひ広く読んでいただきたいと思います。

プラープダーの世代


―― プラープダーのような作家が登場した背景をお聞きしたいと思います。同世代にはどのような作家がいるのでしょう。

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