つながりロシア(11)インタビュー 極東の「右」ハンドルとポスト帝国の想像力|ワシーリイ・アフチェンコ 聞き手=東浩紀+上田洋子

初出:2020年2月28日刊行『ゲンロンβ46』

東浩紀 ぼくは最近、極東ロシアを含む満洲と日本の関係について考えています。そんなとき、アフチェンコさんの『右ハンドル』(2009年、邦訳2018年)に出会いました。ソ連崩壊後の混乱期に、ウラジオストクが中古自動車を通じて日本と親密な関係を築いていたことをこの本で知り、興味深く感じました。
 ウラジオストクは、シベリア鉄道の終着点でもあります。ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世は、皇太子時代、シベリア鉄道の起工式のためにウラジオストクに行く前に日本に立ち寄っています。日本では大津事件★1で有名です。

ワシーリイ・アフチェンコ 地理や気候の観点からすると、ウラジオストクも広義の満洲に含まれますね。ぼく自身は二度ほど日本を訪れています。東京、横浜、京都、奈良、大阪、それに淡路島の洲本にも行きました。こんどは北海道に行って、日本の北方を探ってみたい。サハリンや沿海州と似ているのではないかと思っています。

極東の右ハンドル、モスクワの左ハンドル


 『右ハンドル』に書かれている歴史的・社会的なできごとはすべて事実なのでしょうか。

アフチェンコ はい。その部分はドキュメンタリーです。『右ハンドル』は複数のジャンルが交わる作品です。ドキュメンタリーであり、創作でもある。数字や社会学的な部分とは別に、叙情的な部分があります。登場人物としての「ぼく」が一人称で日本車やウラジオストクの街に関するエピソードを語る。そこで語られるのは個人的なエピソードであり、個人の人生の物語です。編集者はこの作品を「ドキュメンタリー小説」と規定しました。

右ハンドル(群像社、2018年)

 作品内では車は「日本娘」と呼ばれ、女性として扱われています。車を意味するロシア語の「マシーナ машина」という単語が女性名詞なので、女性が連想されたのかなと思いました。もし主人公が女性だったならば、車は男性になるのでしょうか、それとも女友達になるでしょうか。

アフチェンコ 主人公をだれにするかは作者の欲望の問題でしょう。ぼくの場合は自分に似た人物を描くほうが簡単だった。けれども主人公はもちろん女性でもありえます。車を表す男性名詞「アフトモビーリ автомобиль」もありますしね。そもそもいろんなバージョンがありえるでしょう。たとえばシベリアのクラスノヤルスクの作家ミハイル・タルコフスキーは『トヨタ・クレスタ』(2009年)という小説を書いています★2。この小説では『右ハンドル』とはすこし異なり、男女の愛が主題になっている。そこではトヨタ・クレスタは主要登場人物のひとりとして、車を超えた役割を担っています。タルコフスキーと会ってみて、極東やシベリアにおいては車が特別なものであることを再確認しました。

 『右ハンドル』の「右」に政治的な意味は込められているのでしょうか。

アフチェンコ もちろん政治的な意味はあります。

 世界の交通を考えると、ふつうは左側通行なら右ハンドル、右側通行なら左ハンドルになりますよね。右側通行で右ハンドル、というのは極東特有でしょう。この、「右側通行右ハンドル」は、政治的にどういう意味を持ちえるのでしょうか。

アフチェンコ ロシア語の「右」(プラーヴイправый)という言葉にはふたつの意味があります。「右側にある」ことと、「正しい」ことです。「左」(レーヴイ левый)も「左側にある」というだけでなく、「非正規の」「正しくない」といった意味を持っている。
 車が右側通行のロシアでは、もちろん左ハンドル車が主流です。モスクワの中央政府は90年代、極東で右ハンドルの日本車が増えていくと、繰り返し不満を表明しました。右ハンドルは危ない、追い越しの際に相手が見えないし、そもそも対向車の運転手が見えないじゃないかと。けれども、これまで極東で右ハンドル車が運転されてきたなかで、とくに困難が生じたことはありません。人々は右ハンドルに慣れて、運転を楽しんでいます。右ハンドル車には、道路から路傍に出るのが楽、といった利点もある。だから、極東で右ハンドル車に乗っているひとにとっては、右でも左でもどちらでも問題ない。他方、左ハンドルでしか運転したことのないひと、たとえばモスクワのひとは、右ハンドルなんてとんでもないと思っているのです。

 政治的な寓話のように聞こえます。ロシアに右側通行で右ハンドルの地域はほかにもありますか。それとも極東という地域に特有な現象ですか。

アフチェンコ 極東では右ハンドル車が過半数を占めている。つい最近までは90パーセントが右ハンドルでした。いまは減少傾向にあるとはいえ、乗用車はまだ右ハンドルが多いです。ロシアを西に行けば行くほど、右ハンドル率は減っていきます。シベリアでは半々くらい、ウラルではさらに減って、モスクワではほとんどいない。あたりまえですが、日本から遠ざかるにつれて少なくなるのですね。

 なるほど。

アフチェンコ モスクワは1990年代半ばから2000年代にかけて、右ハンドルの禁止を試みていました。けれども毎回反対運動が起こり、禁止はできなかった。数百万人が右ハンドル車に乗っているので、そう簡単にはいきません。そこでモスクワはやり方を変えた。車の関税を大きく引き上げたのです。もちろん反対運動は起こりましたが、税金は容赦なく上がった。こうして右ハンドル車の市場価格も上がることになりました。
 「右」や「左」という言葉にはもちろん複数のメタファーがあります。それこそぼくの『右ハンドル』の軸にあったものです。ウラジオストクではもともと左ハンドル車だったのが、右ハンドルになる。住民はその状況を客観視している。それに対してモスクワは右ハンドルで運転したこともないのに、問題視して、禁止しようとする。するとこんどはモスクワの態度が問題となり、モスクワと極東の関係における火種となる……。
 右ハンドルは自由の試みであり、ステレオタイプの克服なのです。ロシアは大きな国で、地方はそれぞれ異なっていて、それぞれ固有の特色を持っている。中央政府は本来、すべての地方が多かれ少なかれ満足している状態を保たなければならない。ところがモスクワは、そうした地方ごとの特色を理解できない。こうして、右ハンドルは経済的、技術的な問題だけでなく、政治的な問題になった。
 それどころか、右ハンドルは文化的な事象にもなりました。車についての新しい特殊用語(ジャーゴン)が生まれています。日本にはなかった言葉が、ロシア語と日本語の名称との相互作用のなかで育まれていくのです。トヨタ・ソアラは極東では「サイラ сайра」(サンマ)と呼ばれています。ランドクルーザーは「クルザーク крузак」、ハリアーは「ハリョーク харёк」(イタチ)、日産ウイングロードは「ヴィノグラード виноград」(ぶどう)。つまり、日本語の響きがロシア語にうまくフィットした言葉がいくつもあったんですね★3。こうして、車は車以上のもの、極東の生活様式になりました。

 今後ロシアにおいて、極東とモスクワの関係はどのように変化するべきだと思いますか。

★1 1891年5月11日、来日中のロシア皇太子ニコライが、京都から琵琶湖に観光に行く途中、警備を勤めていた巡査津田三蔵に切りつけられ、負傷した事件。津田はニコライが日本侵略の準備のために来日したという噂を信じていた。
★2 ミハイル・タルコフスキー Михаил Тарковский は1958年生まれの作家、詩人。映画監督のアンドレイ・タルコフスキーの甥にあたる。モスクワで生まれ、大学卒業後にシベリアのクラスノヤルスク地方に移住した。『トヨタ・クレスタ』とアフチェンコの『右ハンドル』は同じ2009年の刊行。いずれもシベリアや極東の車文化を詩的に描いた作品である。
★3 『右ハンドル』(河尾基訳、群像社ライブラリー、2018年)に収録されている「沿海地方自動車用語集」に、莫大な数の日本車の愛称が列挙されているので参照されたい。


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