『哲学の誤配』日本語版刊行によせて|安天

初出:2020年03月30日刊行『ゲンロンβ47』

 ゲンロンは2020年4月で創業10周年を迎えました。これを記念し、ゲンロン叢書006『新対話篇』、ゲンロン叢書007『哲学の誤配』を5月1日に発売しました。『新対話篇』は『ゲンロン』掲載のものを中心に、哲学と芸術の役割を主題とした対話を集めて編んだ本格的な対談集。『哲学の誤配』は東が韓国の読者に向けて語ったふたつのインタビューと、中国で行なった講演を収録した書籍です。『哲学の誤配』は日韓並行出版で、韓国では『哲学の態度』というタイトルで出版されました。
 以下に『哲学の誤配』に安天氏がよせたエッセイを公開いたします。安氏はふたつのインタビューの聞き手であり、『一般意志2.0』などの韓国語訳で知られる翻訳者です。本稿では、東浩紀の著作が韓国でいかに受け入れられたのか、その思想的・社会的な背景が著者自身の境遇と重なりつつ明快に解説されています。(編集部)

 

 東浩紀という批評家がいることを知ったのはいまから18年前の2002年だった。場所は韓国のちょうど中央に位置する都市、清州市の近くにある空軍士官学校で、当時の私は兵役に服していた。軍に入隊したのは2000年。徴兵で軍人にされるのがとにかく嫌で、さしたる展望もなしに大学院の修士課程を終えるまで軍隊に行かずにズルズルねばっていた。

 韓国の男性のほとんどは大学の一・二年生のときに入隊するので、大学院の修士課程まで軍隊に行かないのは相当無謀なことだったのだが、人生というものはわからないもので、思わぬ幸運に恵まれた。韓国では士官学校の教官職に人員が足りない場合は、当該分野の修士学位をもっている者が将校試験に合格すれば、その人を義務服務の間に教官職にあてる制度がある。空軍士官学校の日本語教官職がたまたま空いていたことを知った私は入隊を決め、結果的に空軍士官学校の教授部の第二外国語科に配属された。士官生徒に日本語を教える教官として兵役に服すことになったのである。

 2002年の1月か2月だったと思う。同じ第二外国語科のフランス語教官(この人も私と同じく職業軍人ではなく徴兵で教官をしていた)が韓国のある季刊文芸誌を私に見せながら「ここに書かれている日本の批評家、すごく面白そうだから読んでみて」と興奮気味に勧めてきた。ロラン・バルトで修士論文を書いたそのフランス語教官は映画理論を専門としていて、戦後の日本文学・批評を専攻していた私とは現代思想を共通の話題として雑談を交わすことが多かったので、彼はそこに書かれている、今まで目にしたことのない名前の若い日本の批評家について私が興味をもつに違いないと思ったのだろう。そして、それは的中した。

 その文章は東氏の『存在論的、郵便的』について触れていた。直接読みたくなり、すぐに韓国のネット書店を通して日本から取り寄せ、読み始めた。東氏の文章を目にしたはじめての瞬間だった。そして、2002年3月には、『存在論的、郵便的』に関する要約文(韓国語)の一部を、自分が運用するブログに掲載した。

 『存在論的、郵便的』が日本で刊行されたのは1998年だから、私は刊行から四年後にそれを読んだことになる。当時の韓国の人文学界隈では、柄谷行人が並々ならぬ注目を浴びていた。1997年に『日本近代文学の起源』の韓国語版が刊行されたことで韓国に知られるようになった柄谷行人は、それからさまざまな著書が翻訳されるようになり、後にはゼロ年代に韓国の人文学界隈でもっとも話題になった外国の思想家二人のうち一人になるにいたった(もう一人はスラヴォイ・ジジェクである)★1。韓国では昔から日本の本が多く翻訳されており、とくに小説の読者層は厚く、日本の小説は韓国の出版界において確固たる地位を築いている★2。しかし、日本の思想家の本がここまで読まれたのは前代未聞のことで、柄谷行人以降、より積極的に日本の人文社会学系書籍が韓国に紹介されるようになる(柄谷行人の著作はそのほとんどが韓国語に翻訳されており、再翻訳されたものも含め、翻訳本は現在少なくとも31冊にのぼる)。こういった動きが始まった時期に、その季刊文芸誌で柄谷行人に続く日本の若手批評家の一人として東氏を取り上げていたわけだ。では、当時の韓国の思想界が置かれていた状況を理解するために、現代の韓国における思想の軌跡を大まかに確認しておこう。

★1 これについてはゲンロン友の会(当時はコンテクチュアズ友の会)の会報『しそちず! #7』(2011年)の拙コラム「柄谷行人はいかにして韓国の知的スターになったか」で詳しく論じている。また、柄谷行人の韓国文学界隈での存在感を理解するには、2019年に日本で刊行されたジョ・ヨンイルの『柄谷行人と韓国文学』(高井修訳、インスクリプト)が大変参考になる。
★2 これについては『ゲンロン2』(2016年)の拙コラム「日本の本を読み続けてきた韓国」で詳しく論じている。