五反田アトリエから(36) コロナ禍から振り返るVOCA展|藤城嘘

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初出:2020年05月25日刊行『ゲンロンβ49』

 みなさまこんにちは、カオス*ラウンジの藤城嘘です。

 ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエでは、若手美術作家を紹介する展示を定期的に開催していますが、感染拡大防止の観点から4、5月には展覧会の開催を控えておりました。そこで、いつものレポートに代えて、3月に行われた「VOCA展2020」に出展した新作について書かせていただくことになりました。ほとんどの美術館やギャラリーが休館状態となってしまったこの数ヶ月でしたが、少しでもみなさまの目を楽しませることができればと存じます。

 3月に、今年で27回目を迎える推薦制の公募展「VOCA展2020」にヒエロニムス・ボス《快楽の園》のオマージュ作品《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》(2019)を出展しました★1。開催日程は3月12日から30日までで、オープニングにあたってレセプションとシンポジウムが予定されていました。しかし周知の通り新型コロナウイルス感染症の世界的流行により展示の自粛ムードが2月から高まり、感染拡大防止の観点から、オープニングレセプションとシンポジウムは出展者と美術館スタッフのみで行われる簡素な内覧会にとって代わりました★2

【図1】藤城嘘《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》(2019年)、2200×3900mm、木製パネルにアクリル・色鉛筆など 撮影=上野則宏


 本来は多くの美術関係者で賑わうと聞いていたため残念な気持ちはあったのですが、まずは美術館がなんとか策を講じて開場を続けてくれていたことをありがたく感じていました。しかし、26日の午後には東京都の自粛要請を受けて、「翌27日をもって開催中止」とメールで通達されました。私自身も3度ほどしか会場を訪れないうちに、フェードアウトするように閉幕を迎えることとなったのです。会期最終日予定だった3月30日は私の30歳の誕生日であったため、開催できたことへの感謝の気持ちの一方で、この展示を節目のように感じていた私の気分は宙ぶらりんな状態になってしまいました。しかしだからこそ、この展示は私にとって不思議な意味を持つものとなりました。制作時にまったく思考していなかった出来事が、作品に宿る経験となったのです。

【図2】「VOCA展2020」開催中の上野の森美術館外観。 撮影=筆者
《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》について話していきましょう。私は今まで「キャラクター」を絵画制作のメインテーマにし続けながら、「天使」のようなファンタジックなモチーフや、「太陽」「青空」といった、大きく括れば「天界を司る」モチーフを多数描いてきました。「キャラクター」は肉体を持つ私たちとは違い、神仏のように超越的な存在ととらえることもできます。一方、「廃仏毀釈」をテーマにした2017-18年の「カオス*ラウンジ新芸術祭 百五◯年の孤独」では、「地獄絵図」を描くことに挑戦しました★3。「地獄」に対する想像力は、日本はもちろん、世界中で様々なキャラクターと物語を生み出してきました。それを一度、自分の手で描いてみようと思ったのです。

【図3】「VOCA展2020」展示会場の様子。 撮影=筆者

 そして今回、新作に取り組むにあたって、天国と地獄、その境界が曖昧に混ざった世界を描いてみたらどうなるだろうと考えたのです。

【図4】藤城嘘《地獄幻姿図》(2017年)、3枚一組・各825×1685mm、キャンバス布にアクリル 撮影=中川周


「天国と地獄」といえば、19世紀のオペラッタであるジャック・オッフェンバックの鋭い風刺作品『地獄のオルフェ Orphée aux Enfers』の別名でもあります。この作品はギリシア神話のパロディで、ユリディスとオルフェの夫婦仲が悪いという設定に変更されており、オルフェは“世論”に従うかたちで渋々と死んだ妻を冥界から取り戻しに向かうストーリーになっています。しかも、結局は夫婦は「見るなのタブー」のセオリーを破ることなくそのまま決別し、それぞれの自由を獲得することとなる。世論だけが不満を抱き、狂乱のなか幕を閉じるというこの演出は、SNS社会である現代からとらえ直しても面白く思えるでしょう。今回の制作にあたってまずこの作品が念頭にありました。
 ほかにも、世界の写し鏡のような名作、たとえばパブロ・ピカソ《ゲルニカ》や岡本太郎《明日の神話》のように、現在の世界の様子を風刺的にとらえた絵が描きたいと思っていました。制作に着手した2019年の秋、オリンピックという大きな祭りに向かって様々な問題を置き去りにし、歯止めのきかぬまま突き進む日本の空気は、見かけ上は平和で緩慢な時間の流れる、地獄のように感じられました。天界の底が抜けたような、あるいは地獄のような状態が視界になだれ込んでくるような、両者が混ざってしまった絵。参考にしたのは、上記の作品のほか、ミケランジェロ《最後の審判》など、ある種終末を描くような絵画だったのですが、なかでも決定的だったのがヒエロニムス・ボス《快楽の園》との出会いでした。

【図5】ヒエロニムス・ボス《快楽の園》推定制作時期1490年頃 板に油彩 所蔵:マドリード プラド美術館
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:El_jard%C3%ADn_de_las_Delicias,_de_El_Bosco.jpg Public Domain


【図6】ヒエロニムス・ボス《快楽の園》外翼の絵


 ボスは15紀後半にネーデルラント地方で活躍した画家。日記や手記などが一切残っていないために来歴調査は困難を極め、あまりにミステリアスな作品群は今でも人々を魅了してやみません。《快楽の園》は現在プラド美術館に所蔵されていて、推定制作時期は1490年前後とされ、トリプティーク祭壇画(三つに連なった祭壇画)の形式をとり、観音開きとなっています。閉じた状態の外翼パネルには、透明な球体のなかに水に浸された世界がモノクロームで描かれ、天地創造三日目ともノアの洪水とも受け取れることができます。それを開くと、500を超える裸体の男女がひしめきあい、無数の動物や幻獣や魔物が蠢く姿が目に飛び込みます。左翼パネルは神がアダムとイブを引き合わせる場面、つまり「エデンの園」です。中央のパネルがもっともスペクタクルで、幾何学的な構成の舞台を若き男女が駆け回り、果実を食らい、集団で好き放題しています。右翼パネルはまったく毛色が変わり、どす暗い画面のなかで怪物や、楽器などの日用品などがひしめき、人々は様々な目にあっているという、地獄を思わせる世界です★4
 そもそも描かれている個々の建造物・生き物・怪物、どの造形も有機的かつ珍奇なのですが、この絵はあくまでキリスト教に基づいた「祭壇画」であるため、いたずらに描かれている訳ではありません。たとえば、どの位置に誰が何人いるのか、どんなポーズをとっているのか、どんな行為に及んでいるのか、モチーフがどの方向を向いているか、どんな種類の生き物や静物が描かれているのか……そのすべてに文脈があるように分析できるところが驚異的なのです。描かれている対象には道徳的な意味が含まれると考えられますが、過去の宗教画や版画や挿絵を参照にしている一方、もしかすると時事ネタやローカルな流行や身近で聞いた他愛もない冗談すらも描きこまれている可能性があります。つまり、何重もの意味のレイヤーを持ちながら、図像たちは複雑なネットワークを結んでいるのです。

 これを見て私が思い出すのは、ニコニコ動画などに投稿される目まぐるしく場面転換する「MAD動画」です。さまざまな文脈を持った複雑なレイヤーが、作者の手によって再構成され新たなネットワークを構築する様子は、まさに『二次創作的』と感じたからです。15世紀のMAD制作者ヒロニムス・ボスは、ある種の“オタク”であったに違いありません。

 モチーフだけでなく、絵のサイズも重要でした。「VOCA展」の出品サイズ上限は250×400×厚さ20センチ。一方、《快楽の園》はというと、かなり近しい220×389センチ。サイズが大きいほど良作となり得る訳ではないのですが、展示でインパクトを発揮するにはサイズいっぱいに制作したほうが良いでしょう。たかがサイズと思われるかもしれませんが、常に無数の可能性のある制作の中では、地に足をつけていくように、テーマや描きこむモチーフ、サイズや色彩まで、決断を積み重ねて作品を完成に近づけていきます。この運命的といえるサイズの近似は、私のなかでは作品全体のテーマの決定打でした。そうだ、私が現代日本の《快楽の園》を描くのだ……! しかし、これが悪夢のはじまりでした。先述したように、《快楽の園》は混迷を極める絵画で、今でも幾多もの論文が書かれているほどなのです★5

【図7】神原正明の作成した構図分析に基づいた藤城嘘自作の《快楽の園》見取り図。制作時、参考にしていた。 撮影=筆者
 はじめ私は描かれている図像を現代の「キャラクター」や「ネットミーム」にひとつずつ置き換えていこう、とぼんやり考えていました。しかし、実際そのモチーフの持つ意味について調べたり考えたりしていくと、すぐにその無謀さを悟りました。すでにある研究を参照するだけで何年もかかりそうで、「これは一生モンのやつだ!」と私はぶるぶると震えました。結果としていつまでもモチーフの置き換えに着手することができず、私は制作をはじめてからの2週間ほどを、背景を模写した下地づくりだけに費やしてしまったのです。このままでは、「ただの《快楽の園》のヘタな模写」になってしまう……。危機感を覚えた私は、制作に対するアプローチを変更することにしました。

《快楽の園》を下敷きにした上で描きたいテーマを見直すうち、まず自身が生真面目に大人の裸体を描き続けることに違和感を抱きました。美少女イラストやマンガ的なキャラクターの人体は今までも描いてきましたが、大半は描線や絵具のタッチを利用した抽象的な姿で描画しており、曖昧な存在として演出してきました。あるいは、顔のパーツだけを描き入れることによって、風景や無機物さえもキャラクターに変えてしまうような操作を行ってきました。とくに東日本大震災以後に私が積極的に「キャラクター化」して扱ってきたモチーフのひとつは「太陽」です。人類にとって普遍的でありながら猛烈なエネルギーの塊である球体、そして日本人はつい「日の丸」をも思い出してしまう象徴的存在。私は「太陽」をあえて分裂させたり重複させるような絵をいくつも描いていました。そうだ、今回も人体を太陽に、つまり球体にデフォルメし、星のようにも卵のようにも見せてしまおう。増殖する球体の世界にしてしまおう。私は原作をある程度無視し、コミカルに、ときにグロテスクに、次々と球体のキャラクターを描き込んでいきました。

【図8】藤城嘘《此方、来迎》(2014年)、F100号、キャンバスにアクリル 撮影=水津拓海 / rhythmsift
 もともと、《快楽の園》にも活き活きとした球体がたくさん描かれています。それはフルーツであったり木の実であったり、なにかの皮膜だとかガラスのように見えるものです。私自身も、今までも球体や円、原始的なかたちとしての「丸いもの」については関心を寄せてきました。星空のような輝きと細胞のような表層を持つ「アニメアイ(強くデフォルメされた美少女・美少年キャラクターの眼)」も、おおよそ丸く描かれることが多いでしょう。輝く瞳は、天体というマクロと細胞というミクロを繋ぐモチーフであるし、絵のなかから我々を眼差してくる神秘的な存在です。原作の絵画上の円と呼応するように、ラクガキをするように次々と円相を描いていくと、次第に描画は楽しくなっていきました。建造物や風景のなかには、私が影響を受けている過去の美術作家の作品イメージをたくさん引用し、置き換えていきました。クレー、バスキア、ガストン、元永定正……それ以外にも様々なパロディを絵に忍ばせていきます。人間が支配していた空間を、抽象的なキャラクターたちで埋め尽くしていく。キャラクターたちの復讐です。

《快楽の園》は15世紀末、魔女狩りや「最後の審判」による終末思想など、迷信や噂話が蔓延る不穏な時代に描かれました。それは新しい時代への転換点でもあったのでしょう。異様な説得力をもつボスの描写は、世界を見つめる確かな批評精神によるものであることが、この作品の観察を通して感じられます。途方もない知の力と遊び心を感じながら、それを脱臼させるかのように脱力した描画を続け、作品の集荷日になり、私は筆を置きました。なお、キリスト教的主題にギリシア神話のパロディを更にパロディしたタイトルをつけてしまったことには、作品の完成後に気がつきました。作品タイトル《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》は《快楽の園》と《地獄のオルフェ》をパロディしており、日本語では「快楽のラウンジ/地獄のおるやんけ」となります。前半分では「園 garden」をカオス*ラウンジの名前にもある「lounge(待合室、ボーッとする場所)」に変え、後半分では「オルフェウス Orphée」を「キャラクターの存在を発見した」ことを表すネットミームである「おるやんけ!(Oruyankéeは原題に合わせた造語)」に変えているというわけです。仏教的なモチーフすら内包するこの絵画は、私らしくといえば私らしく、ペイガニズム的に換骨奪胎したものですが、ヒエロニムス・ボスも面白がってくれるような気がしてします。

【図9】藤城嘘《19》(2020年)、270×315mm、ベニヤ板にアクリル 撮影=水津拓海 / rhythmsift
 この作品を完成させたあと、冒頭で書いたように、展示開催前からCOVID-19の流行の影響により、世の中の様子は刻々と変化していきました。結果としてその二ヶ月で、「VOCA展2020」に展示した作品についての私自身のとらえ方も、変化を被ることになります。私は前号の『ゲンロンβ48』でレポートしていたように、ゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエで今年3月に行われた「3月の壁――さいのかわら」展でも新型コロナウィルスを題材にした作品を展示していました。「コロナウイルス」の名前の由来は、電子顕微鏡で観察したとき、ウイルス粒子が太陽コロナを思わせる姿に映るからだといいます。「コロナ」はギリシア語で王冠(crown)、そして光の冠のこと。ウイルスにも様々な姿かたちがあるものの、コロナウイルスの造形が恒星のような姿で観察されることは興味深いことです。コロナウイルスも、マクロとミクロを繋ぐモチーフであったのです。

 そうすると、《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》がまるで「ウイルスの饗宴」に見えてきます。抽象的な円形を散りばめたラクガキのような絵は、完成後に「ウイルスの絵」に成り代わってしまったかのようです★6。もともと、生きているようで物質である、生き物でないが生きている「キャラクター」を含めて、生物と無生物の両義性には一貫して関心を持ってきましたし、私の絵画にはそういった要素を(モチーフレベルではありますが)常に内包させてきました。今回その生物らしさと無生物らしさの撹拌を加速させてくれたのは、生と死のエネルギーに溢れたボスの絵でした。

 コロナ禍において感染症との「闘い」はしばし「戦争」に例えられ、ウイルスは「敵」対視されます。確かに懸命な治療を行う病院や対策を迫られた現場やでは「打ち勝つ」という意思でしか乗り越えられないほど逼迫した状況でしょう。しかし、一般にウイルスを正しく理解したり眼差すことをせずに「勝ち負け」で形容したり、「根絶」という100かゼロかといった表現で、人間の領分でのみ思考することは正しいのでしょうか。私はこれからも「キャラクター」を描くなかで、「ウイルス」のことを、人間の領分の境界や外側のことを、考え続けることになるのでしょう。人通りがだんだんとまた増えてきた街のなかをぶらぶら(lounge)しながら、私はそう思ったのでした。


【参考文献】
VOCA展2020 公式webサイト
神原正明『『快楽の園』を読む――ヒエロニムス・ボスの図像学』、講談社学術文庫、2017年
神原正明編著『「快楽の園」――ボスが描いた天国と地獄』、新人物往来社、2012年
小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』、新潮社、2015年
 
五反田アトリエの次回展示予定や最新情報についてはカオス*ラウンジ公式webサイトをご覧ください。

★1 「VOCA(ヴォーカ》」は「Vision Of Contemporary Art」の略称で、副題は「現代美術の展望・新しい平面の作家たち」。日本全国の美術館学芸員、記者、評論家などにより、40歳以下の若手作家が推薦され、「平面」という制限の中で新作を提出。第一生命保険株式会社の支援を受けながら、上野の森美術館を会場に毎春開催され、専門家の審査の上で賞が与えられる。VOCA賞およびVOCA奨励賞受賞作品は第一生命保険株式会社に買い上げられ、同本社の1階ロビーで公開されるほか、全入賞者に対して第一生命南ギャラリーでの個展の機会が提供される。VOCA展は若手美術家の登竜門的な位置づけとしても名が知られており、1994年に開催された第一回には大竹伸朗、岡崎乾二郎、福田美蘭、村上隆など、その後も奈良美智、やなぎみわ、会田誠、小谷元彦、小沢剛、田中功起など、現在から振り返れば国際的に著名なアーティストが数多く参加している。今なお日本の美術界で存在感の強い公募展だが、その影響力ゆえ、偏りのある保守的な審査が初期から批判されるきらいもあった。しかし、2018年には審査員が一新され、近年では梅沢和木やKOURYOUなどのカオス*ラウンジ関連作家も選出されている。
★2 2月26日には安倍首相によりイベントなどの中止・延期要請があり、29日には国立西洋美術館・国立博物館・国立科学博物館・東京都美術館などの上野に存在するミュージアムは軒並み休館。「VOCA展2020」開催直前の3月10日には新型コロナウイルス感染症流行が初の「歴史的緊急事態」に指定された。
★3 「カオス*ラウンジ新芸術祭 百五◯年の孤独」は2017年12月から2018年1月にかけて福島県いわき市泉地区を舞台に行われた市街劇型の展覧会。泉地区ではかつて激しく廃仏毀釈運動が起こり、ほとんど復興がされなかった。そのためこの展覧会では、この地に新たに建立される寺院「密厳堂」の立ち上げにカオス*ラウンジが携わり、会場のひとつとして利用させていただいた。仏教の復活はすなわち地獄の復活をも意味する。藤城嘘の《地獄絵図》は密厳堂に展示していたもの。
★4 ボスおよび《快楽の園》についての記述は以下を参照した。神原正明『『快楽の園』を読む――ヒエロニムス・ボスの図像学』」、講談社、2017年。神原正明『「快楽の園」――ボスが描いた天国と地獄』」、新人物往来社、2012年。小池寿子『謎解き ヒエロニムス・ボス』、新潮社、2015年。
★5 作品制作も終盤に差し掛かった2019年11月22日にも、576ページにも及ぶ、神原正明による研究書『ヒエロニムス・ボス――奇想と驚異の図像学』が、勁草書房から発売された。
★6 《Lounge of earthly delights / Oruyankée aux Enfers》は、2019年の12月8日に完成している。「VOCA展」は、展示開始前に審査・図録制作が行われるため、作品の集荷は最も遅くとも開催前年の12月頭までに行われる。

藤城嘘

1990年東京生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。美術作家。作家活動に並行して、集団制作/展示企画活動を展開する。「カワイイ」・「萌え」などの日本的/データベース的感性をベースに、都市文化や自然科学的なモチーフから発想を得た絵画作品を制作。主な個展に「キャラクトロニカ」(2013年)、「ダストポップ」(2017年)、「絵と、」vol.2(2019年)など。音ゲーを趣味とする(pop’n music LV47安定程度の実力)。
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