北のセーフイメージ(3) 物語支配論|春木晶子

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初出:2020年08月21日刊行『ゲンロンβ52』

第1回
第2回
 
 本論では松前藩士蠣崎波響はきょう(1764-1826年)による12枚のアイヌ★1の肖像画《夷酋列像いしゅうれつぞう》【図1】を見てきた。描かれた12人は、寛政元年(1789)蝦夷地東部でアイヌが蜂起した事件で、蜂起したアイヌを説得して戦いをおさめた者たちとされる★2。その、勇壮なアイヌの肖像という表層の下には、いくつもの物語を複雑に織り込んだタペストリーが隠されていた。

【図1】下段3枚目の乙箇律葛亜泥以外は蠣崎波響筆《夷酋列像》(1790年、ブザンソン美術考古学博物館所蔵)。乙箇律葛亜泥は小島貞喜筆《夷酋列像模写》(1843年、個人所蔵)
 

 ここまで、12枚のうち5枚に言及しながら、その物語を紐解いてきた。大国主神おおくにぬしのかみや聖徳太子、蘇我馬子といった記紀の登場人物たち。牛頭天王ごずてんのうや毘沙門天、黄帝や門神、鐘馗しょうきといった和漢の神仙たち。それに関わる魔除けの儀式や慣わし。『三国志』の「桃園三傑」。浦島太郎、金太郎、桃(太郎)というお馴染みのお伽噺の英雄たち。絵の半分も見ないうちに、実に多様な和漢の神話伝説や物語と、そこに登場するキャラクターに言及することとなった。

 それら物語の断片たちを、アイヌの姿に重ねて織り直すことに、いったいどんな意味があるのか。疫病や悪鬼を除けようとする辟邪へきじゃの願い、鬼門(北東/蝦夷地)の守護、さらには古代の蝦夷征伐の物語までもが導かれることを、明らかにしてきた。どうやらこの絵は、古代以来の蝦夷地/鬼門へのおそれに応じた物語を内包する。先述の蜂起は、かの地とそこに暮らす人々へのおそれ──畏怖と恐怖──を増幅させたに違いない。それゆえに、蝦夷による蝦夷の征伐、鬼門の住人による鬼門の守護がもとめられた。この絵は、おそれの対象を守護者に反転させる「恐怖と安心のリバーシビリティ」を利用した防御壁であった。というのが、ここまでの小括である。

 しかしそれだけではすまない。12枚すべてを見渡すと、この絵の防御壁が北東/鬼門のみならず、南西/裏鬼門にも向けられていることがわかる。すなわちこの絵が天皇を中心とする国家=日本一円の守護、そしてその繁栄を寿ぐものであることが、見えてくる。

アイヌに重ねられた朝鮮征伐(1)乙唫葛律と神功皇后


 先に、本作のうち3図が、『三国志』の「桃園三傑」と「黄帝と門神」、いずれも北東/鬼門守護を担うものに重ねられることを見た。これと同様に、右から7番・8番・9番目となる、乙唫葛律イニンカリ卜羅鵶ポロヤ訥膣狐殺ノチクサの3図【図2】は、南西/裏鬼門の守護を担う。そこに重ねられるのは朝鮮征伐の神話だ★3

【図2】《夷酋列像》より、乙唫葛律、訥膣狐殺、卜羅鵶
 

 乙唫葛律イニンカリ色の着物をまとい、片手に槍を持ち、もう一方の手で子熊の縄をひいている。子熊★4を縄でひき連れる姿は、他に例がない。本図の範として考えつくのは、黒と白の犬を連れる姿で知られる狩場明神★5である。アイヌとは無縁と思われるこの神は、高野山を訪れた空海を一帯の地神・丹生都比売神にうつひめのかみのもとへ案内し、空海の高野山開山を助けたという。

 他方で、乙唫葛律イニンカリの持つ槍の先端にある赤い毛の房の装飾は「赤熊しゃぐま」と称される。子熊の姿に加えて、ここにも「熊」が見出せる。「赤」は丹生都比売神の「丹」に通じ、それは乙唫葛律イニンカリの着物の色でもある。「熊」と「丹」。ここから導かれるのは、やはり「熊」の字を含む大和朝廷に抵抗した集団「熊襲くまそ★6の征伐で知られる記紀の女傑、神功皇后じんぐうこうごうの物語である。

春木晶子

1986年生まれ。江戸東京博物館学芸員。専門は日本美術史。 2010年から17年まで北海道博物館で勤務ののち、2017年より現職。 担当展覧会に「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―」展(北海道博物館、国立歴史民俗博物館、国立民族学博物館、2015-2016)。共著に『北海道史事典』「アイヌを描いた絵」(2016)。主な論文に「《夷酋列像》と日月屏風」『美術史』186号(2019)、「曾我蕭白筆《群仙図屏風》の上巳・七夕」『美術史』187号(2020)ほか。株式会社ゲンロン批評再生塾第四期最優秀賞。
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