つながりロシア(15) グルジアでゴッドファーザーになった話|外薗祐介

初出:2020年12月25日刊行『ゲンロンβ56』
 好評連載「つながりロシア」、12月25日配信予定の『ゲンロンβ56』より第15回を先行公開します。
 今回はグルジア(ジョージア)のトビリシ在住の外薗祐介さんにご寄稿いただきました。地元の男たちの「兄弟」となっていった、トビリシでの6年間。新型コロナウイルスの感染拡大下で、仲間たちの子の「ゴッドファーザー」となるべく、洗礼式に臨みます。温かなひとのつながりをたどるエッセイを、どうぞお楽しみください。(編集部)

 

 グルジアはトビリシに住み始めて丸6年★1。その前に住んだ台北での生活も6年だったのだが、トビリシでの6年は随分早く過ぎたように感じる。歳をとるにつれ、体感する時間の経過速度が増してきたように感じられることも1つあるけれど、ここでの6年間は未知の体験が多かった。この国を知った気になるにはまだまだ早いというのが率直なところだ。

 異邦人がその土地を発見、理解する手がかりは十人十色。ひたすら歩いて見て回る人もいれば、歴史や政治経済の本を読んで知ろうとすることもあるだろう。さらに、小説や映画でイメージをかたどっていくこともできる。

 僕が以前住んでいた台湾、台北を知る手がかりとなったのは「食」だった。たとえば日本でもよく知られた滷肉(魯肉)飯。豚の挽肉のような脂身のようなとろとろしたものが白ごはんにのっていて、かたわらにはまっ黄色のたくあんが一切れ。思い浮かべるだけで唾がたまる。あれがかつて台湾が貧しかった時代に生まれた食べ物だということを知ったのは、台北に住みついて数年経ってからだった。とはいえ、僕が食いしん坊なだけで、食をベースに台湾をはかろうと意図したわけではない。けれども台湾で食べるいろいろな料理から、自分なりの台湾像ができ上っていったのだ。

 ほかにも台湾料理の代表とも思われているものに小籠包や牛肉麺があるが、これらも実は台湾発祥ではない。戦後、中国国民党が台北に遷都し、外省人と呼ばれる中国大陸出身の人々が台湾に移り住んでくるとともに持ち込まれたもので、そのような料理はほかにもまだある。豚足や山羊鍋など、沖縄と済州島の離島同士で共通する食文化もあったりと、食を糸口に僕が見た台湾には、テレビや雑誌のグルメ特集には出てこない面白さがあった。

 そのようなわけで今回、グルジア料理からグルジアを語ろうと書き始めてみたのだけれど、どうもうまくいかない……ヒンカリの起源、シュクメルリの定義、ハチャプリの種類などグルジアの特徴的な料理について僕なりの解釈を加えながらグルジアを説明しようとしても、どうも冗長で、料理の話に終始してしまう。

 グルジアの食は興味の尽きない対象なのだけれども、振り返ってみると僕は「食」より「人」を手がかりにグルジアへ踏み入っていったのかもしれない。この際グルジア料理の話は放棄して、僕が深く付き合ってきたグルジア男たちの話をシェアしてみたいと思う。

 なお、グルジア社会の在り方は今も保守的なところが根強く、このエッセイで取り上げた僕の体験や見聞もマッチョなものにだいぶ偏ったと思う。その点は批判的な材料として、グルジア理解の一助としてもらえたらうれしい。

旅人は神からの授かりもの

 グルジアにはこういうことわざがある。”სტუმარი ღვთის საჩუქარია ストゥマーリ グヴティス サチュカリア”★2。英訳すると “Guest is a gift from God” となる。客人を神様からの授かりものとして情熱的に遇するのが古来グルジアの倣いであり、今もそれが実践されている。ここでいうGuestとは招待客という意味より広く、外地から来た見知らぬ旅人、Strangerをも含む。

 実際、旅先で思わぬ親切や歓待を受けた旅行者の話はよく聞くし、グルジア人自らがそれを国の美徳として自慢する。が、ここで注意したいのは日本の「おもてなし」と違って、グルジアのホスピタリティがもっぱら無償の厚意として市井の人々から発せられるものだという点である。したがって、店での接客や公共のサービスにそれを期待するのはお門違いということになる★3

 

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1978年神奈川県生まれ。現在グルジア(ジョージア)はトビリシ在住。ツアー手配・ガイド、メディアコーディネート、現地調査など自由業。趣味は旅行、漫画、料理、ダンスミュージック。

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