記憶とバーチャルのベルリン(1) 移動できない時代の「散歩の文学」――多和田葉子『百年の散歩』を読む|河野至恩

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初出:2021年5月21日刊行『ゲンロンβ61』
2012年から13年にかけて、ゲンロン友の会の会報誌である『ゲンロンエトセトラ』にて「ライプツィヒから〈世界〉を見る」と題したエッセイを連載した。在外研究で1年間滞在したライプツィヒでの経験をもとに、ドイツの文化や日常生活、また、ドイツの日本学など、多岐にわたるトピックを扱った。今回より、その8年越しの続編として、「ベルリンをたどる」ことをテーマにエッセイを連載する。「ゲンロンα」に数ヶ月ごとの掲載、そのうちの一部は『ゲンロンβ』にも掲載される予定だ。現在、日本からは訪ねることのできないベルリンを、時には2019年-20年冬のベルリン滞在の記憶をたどりながら、時には書物やインターネットの媒体を通して探っていきたい。



ミュンヘン→羽田、2020年2月


 2020年2月3日、私は2ヶ月余りのベルリンでの在外研究を終え、帰国便の出発するミュンヘン空港で、洋服、生活の道具、本などの詰まったスーツケースなどの荷物の預け入れを済ませ、出国手続きを終えて、空港のカフェでドイツ最後の食事をしていた。

 帰国の少し前に、中国の武漢で新種のウィルスが猛威をふるっているというニュースを耳にし始めていた。日本の両親からは、マスクを確保したという連絡が届いていた。一方、ドイツではミュンヘン近郊で数人の感染者が確認されたという報道があったものの、空港で感染者に出くわすことはないだろうと思っていた。むしろ、ヨーロッパ各地で既にアジア人が差別的な言葉を投げかけられたという報道の方が、差し迫った危険に感じられた。

 搭乗した全日空の飛行機は、日付が変わって4日、無事羽田空港に到着し、私は特に大きな問題もなく入国審査を済ませ、久しぶりに帰宅した。

 

 その後、一ヶ月ほどの間に、新型コロナウィルスは、中国の一都市のローカルな事象から、世界的なパンデミックへと進展していった。私の帰国も、一ヶ月遅れていたら、ヨーロッパでの感染リスクだけでなく、搭乗する空港で、また日本の入国審査で混乱に巻き込まれていただろう。

 そして、国境を越えることの難易度が数段階上がった。

 予定されていたフィリピンへの講演旅行は中止となり、慌ただしくオンライン授業への移行が始まった。世界史的ともいえる情勢の変化の荒波に、私の仕事や生活も巻き込まれていった。海外出張もすっかり途絶え、次に出張できる日はいつになるか想像することもできない状況となった。パスポートは期限が切れたが、更新する必要もない。

 帰国して数ヶ月後、振り返ると、ベルリンで過ごした2ヶ月ほどの日々がひどく遠い日の出来事のように感じられた。

バーチャルな旅行と移動への欲望


 パンデミックが一向に終息する気配のない2021年の春、実際に移動することに大きな制約がかかっているいま、「旅行」の意味が変化している。

 2020年、コロナ感染の拡大と時を同じくして、Zoomなどのビデオ会議アプリが急速に普及し、対面での会議や集会はオンラインに移行した。同様に、実際に観光地を訪ねることが不可能になり、ビデオ会議アプリなどを活用した「バーチャル旅行」の試みが始まっている。現地ガイドの協力により、観光地に同時双方向的にネット接続し、その土地を体験する疑似ツアーは、海外旅行が不可能な現在、人気を集めているようだ。

 そのようなバーチャル旅行ツアーに参加しなくても、インターネットの地図アプリさえあれば、もっと簡単に世界中どこの街をも訪ねることができる。例えば、Googleマップのストリートビュー機能を使えば、小さな街の路地に入り、周りを見回し、と思いのままに「歩く」ことが可能だ。ビデオ通話を用いた疑似ツアーのような同時性はないが、これもバーチャルな旅行体験の一形態といえるだろう。

 移動したいという思いが満たされない現在、その欲望はテクノロジーにより様々な形で具現化している。

『百年の散歩』における歴史の重層性


 さて、実際に行けない場所に行きたいという欲望を満たしてくれるメディアとして、文学を挙げることができる。文学テクストは、インターネットのようなテクノロジーよりはるか前から存在していたが、こうしたテクノロジーが多様な「バーチャル旅行」の経験を生み出しているいま、テクストが生み出す「経験」について再考することには大きな意味があるように思われる。

 本稿では、その観点から、ベルリンを舞台にした「街歩き」の小説、多和田葉子の『百年の散歩』を読んでみたい。
『百年の散歩』は、2014年から2016年にかけて『新潮』に連載。単行本として2017年に刊行されている。その10の章には、それぞれベルリンに実在する、歴史上の人物の名を冠した通りや広場の名前が付けられている。この小説の語り手である「わたし」は、これらの場所を舞台に、謎の多い「あの人」を求めて街を歩き続ける。 

 この作品においては、ベルリンという街を歩く体験そのものが中心的なテーマとなっている。作者の多和田葉子は、近年ベルリンを活動の拠点としており、そのローカルな場所の描写はきめが細かく、多彩だ。しかし、そうした描写を超えてなお魅力的なのは、この作品の「歴史性」である。各章で描かれる通りや広場の空間に刻まれた歴史はもちろんのこと、通りや広場の名前のもととなった作家や思想家などの人物の歴史、その人物が生み出した言葉、作品が何重にも重なって、歴史的文脈を構成し、作品に厚みを加えている。小説の題名に「百年」とあるが、これも、ドイツ革命から、ナチス体制、第二次世界大戦、冷戦と東西ドイツの対立、そしてベルリンの壁の崩壊とドイツ統一、という、ベルリンが通ってきたこの激動の1世紀を示していると考えると、重みのある数字である。

 第1章「カント通り」を例にとってみよう。この章は、「わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。」という、多和田らしい言葉遊びのある一文で始まる。語り手は喫茶店の暗い店内に入っていき、二人がけの小さなテーブルに座る。

ジャケットを椅子の背にかけ、また腰をおろしたが、細身の木の椅子がぐらぐらする気がして、左の肘を煉瓦の壁に押しつけた。まるでそうしなければ、背後の別宮、別宮浮かん、別空間に落っこちてしまうとでもいうように。かつては煙草の自動販売機と公衆電話が置いてあったに違いない空間がぽっかり背後にあいている。背後に壁がないと気持ちが落ち着かない。ベルリンの壁がなくなってもう四分の一世紀がたってしまったのに、まだ壁にもたれようとする背中には学習能力が欠けているのか、もたれようとして後ろに傾き、壁がないのでもんどりうって、東の世界に転がり込む。あこがれの、焦がれの、焦げついた、じりじり燃える、燃えつきた、熱い、輝くポーランドへ、ベラルーシへ、チェコへ、ロシアへ。(7頁)


 ここで描かれているのは、冷戦期から存続してきたカフェの内装が、かつての様子をとどめているというだけではない。「背後に壁がないと気持ちが落ち着かない」「まだ壁にもたれようとする背中」という表現は、語り手のその時の身体や心の状態だけでなく、ベルリンの壁が崩壊して四半世紀が経過したいまも「壁」の存在を懐かしむ心理のあり方がほのめかされている。

 東西ドイツが統一されて30年近くが経過した現在、特に旧東ドイツ地域は、経済的には大きな発展を遂げた。しかし、人々の心には依然として東西を分かつ「壁」があり、その心理的な壁が本当の意味での統合を阻んでいると指摘されている。語り手のこの表現は、「壁」のあった時代へのノスタルジアについてよく語られる言葉と重なる。

「壁」へのノスタルジアというと、旧東ドイツ側の住民の心理を指すことが多いが、ここでは、旧西ドイツ側の「東の世界」への思いを感じ取ることができる。「ポーランドへ、ベラルーシへ、チェコへ、ロシアへ」向けられた、「あこがれの、焦がれの、焦げついた、じりじり燃える、燃えつきた、熱い、輝く」思い……。語り手がいる「黒い奇異茶店」は、Sバーン(近郊鉄道)のサヴィニープラッツ駅の近くにあるシュヴァルツェス・カフェをモデルにしていると思われる。この近辺はベルリンの東西分割の時代には西ベルリンに属した。
 これはひとつの例に過ぎないが、この小説には、現代のベルリンの日常の表層の背後に潜む、そうした歴史的な文脈を感じさせる記述が多く埋め込まれている。ちょうど「マルティン・ルター通り」の章で、「わたし」の視界に突然入ってきてその脳内の話題を一変させてしまう、ナチス時代に殺された人物の名前と生没年を刻んだ「つまずきの石」のように。

『百年の散歩』の読者は、語り手とともにベルリンの街を歩きつつ、ちょっとした描写や固有名のなかに、ベルリンという街のもつ歴史を感じることとなる。

移動できない時代の「散歩の文学」


 多和田葉子の作品は、「移動」「越境」というキーワードから語られることが多い。多和田自身の、大学卒業後にドイツに渡り、その後ドイツ語と日本語で創作を続けてきた経歴だけでなく、その小説には、国境を越えて生活する人々、外国語の環境のなかで生きる人々、母語を求めてさまよう人々などが登場する。また、この作品でも存分に発揮されている、複数の言語をまたぐような表現にも、「越境」性をみることができる。

 しかし、上にも述べたように、2020年のパンデミック以後、「移動」や「越境」という言葉のもつ意味、また、それらの言葉で示される体験自体が、大きく変わってしまった。このような現代において、「移動」の文学はどのように読まれるのだろうか。

 ここで鍵となるのが、題名にもある「散歩」という言葉であろう。

 この小説の語り手は、「トゥホルスキー通り」の章で、自らをベルリン生まれのユダヤ人作家であるクルト・トゥホルスキーと比較して、このようにいう。

トゥホルスキーは、子供の頃は自分がユダヤ人だということなど考えたこともなく、ドイツ語を話すヨーロッパ人として育った。わたしだって同じだ。たとえば散策者であることがわたしの国籍だと思っていた。(208頁)
 この小説では、この「散策者」というアイデンティティの意味についてこれ以上詳しく述べられることはないが、この一文をとっても、「散策」「散歩」という言葉には重い意味が込められていることがわかる。

 この小説の語りは、話題が連想のままにどんどん横にそれていくことが多い。時には言語の境界をまたいで、だじゃれのように言葉が変換される。言葉が連想の連鎖のなかで、横に滑り、ずれていく。そのような移動は、目的のはっきりとした移動というよりは、気ままな散歩というにふさわしい。

 そして、こうした「散歩」的なテクストを、読者はどのように読んでもよい。ベルリンの街を歩いたことがあり、ベルリンの歴史にも触れたことがある読者ならば、この作品のディテールは、さらに連想を広げていくきっかけにもなるだろう。例えば、コルヴィッツ通りの章を読んだとき、私は、この通りのあるプレンツラウアー・ベルク地区の雰囲気を思い出し、その描写を楽しんだりした。また、この通りの名前の由来である、ケーテ・コルヴィッツの描いたリアリズムあふれる絵画を思い出すこともできるだろう。ベルリンのクーダムの近く、文学館のレストランの隣にある、ケーテ・コルヴィッツ美術館を歩きながら、画家の激烈な表現のあふれる作品のひとつひとつを見て20世紀前半の歴史について考えたことを思い出した。

 また、もしベルリンに行ったことのない読者でも、このテクストを前に、立ち止まって考え込んだり、辺りを見回したり、早足で通り過ぎたりと、どのように読んでも自由だ。

 なにより、このようなテクストのあり方は、「散策者」が、基本的にとても自由な存在であることを、思い出させてくれるのではないだろうか。

『百年の散歩』を読むという経験は、「時差」と「ずれ」に満ちている。それは、例えばビデオ会議アプリを使ったバーチャル旅行によって「生きた経験」を再現する、というよりは、例えば、本を読みながら、Googleマップをひらき、気の向くままにストリートビューで画像を見ながら、情報の断片から、記憶をたどったり想像を働かせたり、という経験に似ているのかもしれない。ビデオ会議アプリによる疑似旅行のような同時性・直接性には欠けるものの、「旅」という経験のもつ多面性・多様性をより豊かに再現してくれるのは、文学テクストなのかもしれない。

 



 移動が大きく制約され、かつてのように思い通りに旅行することも難しくなってしまった現在。移動への欲望を直接満たすことが難しい、現在のような状況にあっても、「散歩」をすることにより、心を文化や歴史のひだへとひらき、言葉のもつ意外な意味に立ち止まらせ、また沈黙のなかに置くことができる。『百年の散歩』を読むという体験は、「散歩」のもつ精神の自由を思い出させてくれるのではないだろうか。

写真提供=河野至恩



○『百年の散歩』の引用は多和田葉子『百年の散歩』(新潮社、2017年)によった。
 

河野至恩

1972年生まれ。上智大学国際教養学部国際教養学科教授。専門は比較文学・日本近代文学。著書に『世界の読者に伝えるということ』(講談社現代新書、2014年)、共編著に『日本文学の翻訳と流通』(勉誠出版、2018年)。
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