日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(8) 未来の芸術と倫理の未来のため?──7月30日から8月27日|田中功起

初出:2021年8月30日刊行『ゲンロンβ64』

 連載をはじめてから1年がすぎた。

 その間ずっとコロナ・ウイルスは人びとのあいだで感染拡大し、変異し、世界はそれに翻弄されたままだった。ぼくは妻と育児をしながらこの1年をすごした。子どもが保育園に行くことでさまざまなウイルスや病気を持ち帰り家族で病気になってたいへんとか、でも離乳食めちゃめちゃ食べているよとか、そろそろ歩きはじめそう、みたいな話もある。それと、ここにきてなかなか精神的に不安定になり、男性にも産後鬱があるってことを知る。それについて書こうとも思っていたんだけど、時事問題でどうしても気になることがあってね……。ちなみに東京オリンピックのことではない。

 ぼくはそもそもあまりスポーツに興味がなく、スポーツ選手のこともよく知らない。オリンピックの開会式もいままで見たことがなく、今回ぐらいはしっかり見てみようと録画したけど、妻の早送りにより15分程度で見終わってしまった。そんなぼくに、開会式について批評する資格はないけど、早送りで見た限りでは、より貧相さが際だってしまっていたかな。いずれにしても、せつない、寂しい、悲しいという印象だった。

 オリンピックそのものよりも興味があるのは、文化庁がオリンピックに向けて数年前に提示した「文化芸術立国」実現に向けた文化プログラムの基本構想。5万人のアーティストが20万件のイベントを行い、5000万人の集客を目指すというものだ★1。これは2015年ごろの目標だから、それからオリンピックまでの5年間に達成されるはずだった。コロナもあってこの構想はあまり省みられなくなっているけど、実際はどの程度目標がクリアされたのだろうか。

 ひとつのわかりやすい事例は東京都が行っている Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)という数年前に新設された賞だ★2。中堅アーティストを支援する(特に海外発信を目指す)というプログラムだけど、毎回男性ひとり、女性ひとりが選ばれていて、しかもかならず社会批評性をもつアーティストが少なくともひとりは含まれているという印象がある。実は、ぼくもこれに応募したことがあるのだが、中堅であっても既に海外でのキャリアがあると判断されたのか、書類審査で落とされてしまった。

 この賞で気になるのは、社会批評性をもつアーティストがどのように立ち振る舞うのかという点だ。受賞すればオリンピック関連の国家予算を受け取り、小池百合子都知事と並んで授賞式の写真に収まることになる。読者は疑問に思うかもしれない。例えばオリンピック批判の作品を作っているアーティストがいるとして、どのようにダブルスタンダードな自分を納得させて受賞するのだろう。ぼくはそれがどのように解消できるのか、自分が受賞することで考えてみたいと思っていた。

 以前、似たような疑問を友人に投げかけたときの一番納得のいく答えはこれ──相手がいやがるお金の使い方をすればいいんじゃない? これって、政権批判をするアーティストが公的助成金をもらう、という捻れた状況に対するひとつの回答でもある。アーティストと公的支援についての疑問は別の機会にもっと掘り下げて考えたいかな。あいちトリエンナーレ以降、ずっと気になっている。けど、なかなか難しい。

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1975年生まれ。アーティスト。主に参加した展覧会にあいちトリエンナーレ(2019)、ミュンスター彫刻プロジェクト(2017)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2017)など。2015年にドイツ銀行によるアーティスト・オブ・ザ・イヤー、2013年に参加したヴェネチア・ビエンナーレでは日本館が特別表彰を受ける。主な著作、作品集に『Vulnerable Histories (An Archive)』(JRP | Ringier、2018年)、『Precarious Practice』(Hatje Cantz、2015年)、『必然的にばらばらなものが生まれてくる』(武蔵野美術大学出版局、2014年)など。 写真=題府基之

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