イスラエルの日常、ときどき非日常(2) 共通体験としての兵役(1)|山森みか

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初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
 
 9月17日発売の『ゲンロン12』。そこで第1回が掲載された山森みかさんの連載「イスラエルの日常、ときどき非日常」が第2回より『ゲンロンβ』で掲載になります。掲載はほぼ3ヶ月にいちど。日本では一時、ユダヤ人と日本人は「似ている」といった奇妙な日本社会論が盛んになりました。他方でイスラエルには戦闘的な軍事国家との印象も強くあります。この連載では、現地在住で、大学で日本語・日本文化を教える山森さんの視点から、マスメディアではあまり伝えられないイスラエルと「ユダヤ」の複雑な現実をご紹介していただきます。ご期待ください。(編集部)

1 東京2020五輪とイスラエル



 東京2020五輪(以下東京五輪と記す)は、イスラエルにとっては「歴史的」という形容詞が繰り返し用いられるほど意味のあるイベントだった。そしてイスラエル人のアイデンティティはどこにあるのかを改めて考えさせられる機会となった。今回明らかになったいくつかの点について、述べていきたい。

 開幕前のイスラエルの報道では、開催の是非を問う日本の世論調査で多くの人が反対と回答していたのに加え、連日の反対デモが映像と共に伝えられた。そのため、イスラエルでは「直前に中止になるのではないか」「選手団が行っても歓迎されないのではないか」という懸念があった。イスラエルでは市民デモには一定の政治的影響力があるので、その懸念は尤もであった。

 開会式の直前に起きた、過去のホロコースト・ジョークによる演出家の解任については、字幕つき当該動画と共にイスラエルでも報道された。だが背景も詳細も分かりにくく実害を被ったわけでもないため、それほど注意を惹くものではなかった。しかし開会式の黙祷において、追悼すべき人たちの中に1972年のミュンヘン五輪で殺害されたイスラエル選手団の名が挙げられた瞬間、イスラエルにとって東京五輪は決して忘れることができない歴史的なものになった。

 ミュンヘン五輪事件というのは、1972年9月、パレスチナ武装グループ「黒い9月」が警備の隙をついて五輪選手村に侵入し、まず二人を殺害した後9人のイスラエル人を人質に取り、イスラエルに収容されていたパレスチナ人や日本赤軍の岡本公三らの解放を要求、その後の交渉及び救出活動の失敗で、結局イスラエル選手団合計11人と西ドイツ警察官1名が犠牲になった出来事である。この事件を扱うものとしては、必ずしも史実そのものを描いたものではないが、スピルバーグの映画「ミュンヘン」(2005年)が有名だ。

 この事件における西ドイツ政府の不手際は、イスラエル人に自分たちの身の安全は結局自分たちで守るしかないことを再認識させた。また、IOCが取り続けた不誠実な対応は、とりわけ遺族たちにとっては許容できないものであった。遺族たちは再三IOCに対し、開会式で追悼を行うよう求めてきたがかなわず、今回ようやくドイツ人のバッハ会長が「必ず何らかのことをする」と約束してくれたのだという。それを受けて東京五輪の開会式には二人の遺族が出席していた。彼女たちはインタビューで「イスラエル選手団の名前がアナウンスされた時には鳥肌が立った、涙が止まらなかった」と語っている。その後の追悼ダンスの踊り手は森山未來で、これは多くのイスラエル人には知られていないことだが、彼が2013年から1年間文化庁によって派遣されてイスラエルのダンス・カンパニーで活動していたことを考え合わせると★1、まことに感慨深いプログラムだった。

 



 東京五輪がイスラエルにとって歴史的だったのは、ミュンヘンで殺害された選手たちへの追悼だけではない。金メダル二つと銅メダル二つの獲得、それも五輪の主要な競技種目と見なされる体操での金メダルは、イスラエルにとって大きな意味を持つものであった。

 そもそもイスラエルが五輪でメダルを取ったのは1992年のバルセロナが最初である。バルセロナ五輪では、まずヤエル・アラド(女子柔道)が銀、その翌日オレン・スマジャ(男子柔道)が銅を獲得し、それは建国後44年経ってようやくイスラエルが五輪でその存在を示すことができた快挙だとされた。イスラエル念願の初めての金メダルは2004年になってから、ガル・フリードマン(男子セーリング)によってもたらされた。イスラエルを国家と認めず、正常な国交を持たない国の中には、スポーツ大会でもイスラエルをボイコットする国々が存在するのが現状である。そのような状況において、五輪の表彰台にイスラエル人が立ち、イスラエル国旗が掲揚され、ハティクヴァ(国歌)が流れることにイスラエル人は特別な感慨を抱く。それは「私たちは生きて、まだここに存在している」ことを世界に示すまたとない機会だと考えられるのだ。

 東京五輪までにイスラエルがオリンピックで獲得したメダルの総数は9個(5個が柔道、残りはセーリングとカヌー)にすぎなかった★2。「イスラエルのメダルは常にタタミか水の上」と言われる所以である。今回の東京五輪ではそれに金二つを含む四つが加わったのだから、その意義は大きい。

2 兵役に就いていた選手たち



 よく知られているように、イスラエルでは国民皆兵制度が取られている。16歳半になると軍の部署への選抜や振り分けが始まり、18歳からは男子約3年、女子約2年の兵役に就く。その後は一定年齢に達するまで予備役兵として登録され、定期的あるいは非定期的に召集される(所属する部隊や状況によって異なる。女性は現役でも予備役でも結婚すると除隊)。国籍を持っていながら兵役に就かないのはアラブ人やユダヤ教の超正統派の人たちだが、国籍を持たない永住者でも兵役義務が課せられる場合がある。最近は兵役義務が課される立場の人であっても、様々な理由で兵役に就かない、あるいは途中除隊する人も多くなってきたが、それでも大多数の人にとって兵役時代をどう過ごすかは人生の重大事だと考えられている。

 スポーツや音楽に格段の才能がある場合は、その活動が続けやすいような部署に配置されることもある。たとえば音楽に才能がある場合は、軍の音楽部門やラジオ局などの道がある。スポーツ選手の場合は、軍に籍を置いていても練習や国際大会に参加することができたりもする。以下、東京五輪で卓越した成績を残したイスラエル人選手3人を取り上げる。彼らの歩みを紹介するイスラエルの報道では、兵役における彼らの様子が必ず取り上げられていた。一躍イスラエルの英雄になった彼らに対して、多くのイスラエル人が抱いた思いを紹介したい。

山森みか

大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書『古代イスラエルにおけるレビびと像』、『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルにおける日常生活』、『ヘブライ語のかたち』等。テルアビブ大学東アジア学科日本語主任。
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