つながりロシア(18)セルゲイ・ブルガーコフと西田幾多郎──歴史の意味へ|堀江広行

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初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
 夏目漱石の先生でもあった明治時代のお雇い哲学教師ラファエル・フォン・ケーベルの名前はよく知られている。帝国大学で彼に学んだ西田幾多郎や和辻哲郎などがそれぞれの思い出をつづった小文を残している。

 しかし、そこには不思議にケーベル自身の哲学思想についての述懐はない。ケーベルは自身を比較的前面に出さず、哲学教師の役割に徹し、日本に来てから哲学の著作らしい著作を残していないので、当然と言えばそれまでである。だが、日本でのエッセイや講演録などを読むと、ケーベルがショーペンハウアー、そして自身をその発展的継承者として捉えていたエドゥアルド・フォン・ハルトマンに絶大の評価を与えていたことが分かる。

 帝国大学にケーベルが招かれたということは偶然だったのだろうか。そうではないように思える。当時ドイツからの哲学教師の招聘を進めていたのは帝大助教授(当時)の井上哲次郎であった。この井上が留学時代に知り合ったハルトマンに人選を依頼し、そこでハルトマンが薦めたのがケーベルである。ケーベルは、ハルトマンの信任篤く、ハルトマンが自分の哲学の概説を書くことを依頼したほどの人物である。ハルトマンの愛弟子と言ってよい。井上自身がショーペンハウアーとハルトマンを特に評価していたらしいことを考えると、ケーベルはハルトマンにとっては自分の教えの東方への一種の「伝教者」として、井上にとっては、敬愛するショーペンハウアー、ハルトマン哲学の解説者を期待されて、来日したのではと疑いたくなってくる。

 ショーペンハウアーは、現象世界は盲目的な絶対意志のマーヤー(幻影)であると主張した『意志と表象としての世界』で有名な、少々厭世的な一元論的哲学者、かたやハルトマンは、ショーペンハウアーにおける絶対意志の盲目性を否定しながらも、やはり絶対から一元的に展開するその全体の構図を継いだ。ショーペンハウアーの方は、西欧哲学者ではめずらしく仏教にシンパシーを抱いていたことでも知られており、後に大乗起信論に基づく哲学体系を作る井上はこのような面からも共感をもっていたのかもしれない★1

 



 なぜこのようなことから書き始めたのかというと、ロシア近代の宗教哲学の祖と呼ばれるウラジーミル・ソロヴィヨフ(1853-1900)も、青春時代にはショーペンハウアーに熱中していたからである。ソロヴィヨフ自身の回想によると、ショーペンハウアーによってそれまでの実証主義的唯物論を脱却し、宗教的世界観に目覚めたのだという。この段階は「克服されより明確なキリスト教信仰にとって変わった」とのことだが、その影響の痕跡をソロヴィヨフの哲学に求めることは難しくない。

 ソロヴィヨフの哲学はひと言で言えば、神と被造世界の対話の哲学と言えるが、その基調に一元的な傾向があることは否めない。ソロヴィヨフによれば、被造世界は、神によりまさしく「意志」され「表象」され「感じられる」ことによって創造される。ソロヴィヨフはまた、この世界が、その背後にある圧倒的な神の「現実」に比べれば、まさしく「表象」としてある種の「仮現」のようなものであると感じ続けた哲学者であった。彼がこのことを「主張する」以前に、実際に「感じていた」ことは、哲学の著述のみならず、多くの詩が物語っている。彼は生涯、その哲学の最深層にこのような一種の現実の「仮現感覚」をもち続けていたように見える。なおソロヴィヨフは、初期の著作『西欧哲学の危機』などで、ハルトマンについてもヨーロッパの最新哲学で唯一見るべきところがあるという意の評価を与えている。
 同時に思い出されるのは、ケーベル自身が、ほかならぬロシアはニージニ・ノヴゴロドの出身で、青年時代にドイツに移るまでロシアで暮らしていたことである。ロシア嫌いで知られたケーベルがソロヴィヨフを評価したかは分からないが、少なくともその名前は知っていただろう。ケーベルは「文明国」ドイツを背負いながら、帝国ロシアでは少数派のドイツ系であった。そんな彼にとって、帝国の国教の地位にあったロシア正教に依拠しようとするソロヴィヨフへの目は嶮しいものであったかもしれない★2

 しかし、実証主義や社会哲学全盛の19世紀後半のロシア思想界にあって、なにかしら深く内面的で宗教的なものを求めるケーベルとソロヴィヨフの二人にとって、一種の一元論哲学を展開するショーペンハウアーとハルトマンはおなじ共鳴を起こしたのだとは言えまいか。のちに日本における近代哲学のいとなみの最基層を用意したケーベル、そしてのちのロシア固有の近代哲学の礎を築くことになったソロヴィヨフ。日本とロシアはおなじく「先進的」な西欧哲学に学び、どちらも自国の宗教的伝統に基盤を置こうという意志のもとで、初めての国民的哲学を築くことになる。この二つの国の哲学の出発点に、二人の共鳴によるこのような隠れた「選択」があったと言ったら言い過ぎだろうか。

 



 しかし、以下に比べてみたい二人は、さらにその次の世代にあたる20世紀初頭のロシアの哲学者セルゲイ・ブルガーコフと日本の西田幾多郎である。セルゲイ・ブルガーコフは、ソロヴィヨフの強い影響の下で誕生した、ロシアで「全一哲学」と呼ばれる国民的な宗教哲学学派のリーダー格の人物である(念のため記すが、よく知られた文学者ミハイル・ブルガーコフとは別人である)。西田がケーベルの弟子の世代と言うならば、このセルゲイ・ブルガーコフもソロヴィヨフに続くのれん分けの世代である。

 二人はおそらく互いに名前すら知ることがなかったと思われるが、この両者はまず生没年が似ている。ブルガーコフは1871年から1944年、西田は1870年から1945年を生きた。

 ほぼ同世代なので論じている西欧の哲学思想傾向も似ている。両者ともに初期の著作にはリッカートやコーエン、ラスクなど、我々がもう忘れてしまった新カント派の哲学者の名前が散ばる。さらに彼ら新カント派への距離の置き方も似ている。日露で同時代にいち早く新カント派を支持する人々がいたのにたいし、二人とも彼らに関心をもちつつも距離を置き、その用語と概念を駆使し、独自の哲学を構築していった。両者ともに宗教的な内面的深化への強い志向をもち、それを実践しつつ──西田なら禅の実践、ブルガーコフならのちに司祭となる──社会の現実的な要請に応えるという、当時のマルクス主義のドラマチックな挑戦と対峙した。ここでは、両者の比較的初期の歩みを中心に眺めてみたい。

セルゲイ・ブルガーコフ──人間の労働と神の世界


 ブルガーコフは将来を期待されたマルクス主義経済学者としてそのキャリアを始めている。しかし、マルクス主義の認識論にカントを接ぎ木しようという短期間のカント主義マルクス主義者の時代を経て、早くも1901年前後にソロヴィヨフ、ドストエフスキー、ゲルツェン等の読書を通して無神論に疑問を抱く。そしてキリスト教信仰の立場に立つことを明確にし、翌年には、彼と同様にマルクス主義的革命主義の立場を棄てたニコライ・ベルジャーエフ、セミョーン・フランク等の知識人たちと共に論集『観念論の諸問題』を刊行した。この論集は、当時ロシアのインテリゲンチャのあいだで流行していた実証主義的唯物論における哲学と倫理の実証科学への還元の試みに反旗を翻すもので、当時のロシア思想界においてエポックメイキングな事件となった(後にソ連体制で目の敵とされることになる無神論的社会主義批判の多くの論文が、この時期ブルガーコフによって書かれている)。

 他方、興味深いのは、ブルガーコフを含む『観念論の諸問題』周辺に集まった思想家たちが、いわゆる反動的な帝政擁護の立場に立ったわけでもないことである。逆に、彼らの多くが自身を1870-1880年代のナロードニキ派(あるいはルナチャルスキー、ボグダーノフ等のその後継者たち)、そして1890年代のマルクス主義者たちに代わるべき第三の解放主義的な左翼勢力とみなしていた。事実、1905年の第一次ロシア革命の時代にはブルガーコフ自身が、ロシア初となるキリスト教的社会主義政党の設立を試みている。

 1912年に発表された『経済哲学』は、ブルガーコフが観念論と宗教的立場に移行した後に発表したもので、彼が初めて包括的な世界観を表明した著作である。この著作の最初のモチーフとしてブルガーコフがあげているのは、現代人のエートス(社会の倫理的価値観や行動様式)としての「経済主義」(「エコノミズム」)である。ブルガーコフによれば、「経済主義」とは、経済と技術力の発達によって、歴史上ついに人間に固有の能力としての自然改造の能力を世界規模で発揮し始めた人類がもつ自己感覚である。世界は「労働経済的作用の対象」になった★3──そうブルガーコフは記す。

 ブルガーコフは、この新しい経済主義の時代の到来を、物質に自由と生命の原理を導き入れることによって、人類の本来的な自然改造者としての姿勢が発揮される宇宙的な時代であると解釈する。この理解は、自然を人間以前の無意識的な人間とし、人間を意識化した自然とするシェリングの理解によって補足されている。すなわち、自然にたいする人間の加工行為は、「まどろみの状態」、「仮死状態」にある物質に生命を導入することであり、これによって自然は人間の生命の延長、拡大として「人間の体」になる。また同時に、この人間の活動は、一層の自由と生命へ向かおうとする自然そのもののなかに太古より含まれていた巨大で自発的で一元的な運動の継続と拡大だということになる。
 ブルガーコフはさらに、この自然改造の行為の「主体」を「超越論的経済主体」と定義する。おもしろいのは、この主体を具体的個人の背後に想定される抽象の産物ではないとすることである(ブルガーコフは大胆にもカントの「超越論的主体」は個的なものとして解釈されるべきではないとする)。この超個人的主体は、現在のあらゆる個人を超えて超個人的に拡がるばかりでなく、さらには過去の全個人を含むという意味で時間的にも拡がる実在なのである。言ってみれば、労働する個人の背後にこれら個人をすべて含み、過去の個人の労働を記憶する一種の超歴史的な主体があるというイメージである。

 また付け加えれば、この「超越論的経済主体」は、ソロヴィヨフ言うところの「神人的過程」(神と人類が対話的に不離不融の統一に導かれる歴史的過程)によって神との理想的な結合に導かれていくという「世界魂=人類」にほかならないとブルガーコフは主張する。言い換えれば、ソロヴィヨフと同じようにブルガーコフも、人類は神が世界を創造したときに与えられたイデア、すなわち神的な秩序による自然の改造という使命を、いわば神とのパートナーシップのなかで、自発的な自由な意志によって進めていくのだと信じたのである★4。しかし、あくまで物質は人間の一方的な加工と進出の対象であり、全体の世界像は、生命主義的と言ってよいほどで、人間の世界にたいする無限の進出と能動性を高らかに歌い上げたものであるかのように見える★5

 このような人間と自然の理解が、どれだけブルガーコフのマルクス主義者としての過去から来るものなのか、あるいはどれだけソロヴィヨフの「神人的過程」、あるいはシェリングの自然概念に由来するものなのかを一概に判断するのは難しい。しかし、ブルガーコフ自身が、それがある程度初期マルクスの実践の概念と重なることをはっきり認めているのは事実である。

 ブルガーコフが実際に引用する──わずか1頁未満だが──有名な「フォイエルバッハについてのテーゼ」におけるマルクスの立場に依拠すれば、ブルガーコフの「自然改造」の概念は、環境に積極的に働きかけるものとしての人間の労働の本来的な性格をかなり汲みとったものと言えるかもしれない。ブルガーコフの場合にせよ、このテーゼにおけるマルクスにせよ、労働は、本来的には単に個人の生存に必要な経済行為ではない。人類の共同の労働によって、環境は人間にとっての障壁であることを止めて、人間の表現となり、それによって人類は自身を人間的労働の産物にする──ブルガーコフによれば「世界は人類の体になる」。どちらも人間本来の特徴を、反自然的な性格、あるいは自然からの精神的な分離に見るのではない。両者にとって、物質的で社会的で積極的な行為の主人としての性格、つまり、感性的な自然の身体をもち、自身を自然に交え、自然を自身の表現として加工する主人としての性格こそが人間本来の特徴なのだと言えそうである。

 しかし、そこには大きな異質な要素も見え隠れする。自然を加工するという人間の活動は、たしかに自然を道具に変え、人間を世界のより自由な主人にするかもしれない。だが、そもそも自然改造は人間に与えられた自明の権利の単なる合法的行使ではない。ブルガーコフにとって改造の意味があきらかになるのは、人類の活動が、自由な意志による神的な秩序の拡散として実現するような、宇宙創造論的な枠組みのなかで検討される場合だけである。
 だから人間の実践は、ブルガーコフの思想のなかでは、神という他者を前にしてのこの自然改造の意義と成果についてのより明瞭に反省的な問いを人間から要求している。言うなれば、実践と労働は、人間こそがすべての尺度であり、あらゆる価値を自己産出するという一元論的な基盤から、他者としての神を前にした問いという対話の基盤、良心の基盤に移されたと言うことができよう。

 この対話的な次元を反映するブルガーコフの概念設定は、むしろ『経済哲学』よりも、それ以降の作品で強調されるものであるが、上記の人類の「超越論的経済主体」が同時に不可知のもの、つまりカント言うところのヌーメノン(経験的観察のできない思考対象)的だという設定である。

 すなわち、それは自然改造の一種の超個人的な主体として私たちの根源的な主体でありながらも、他方で、私たちにとって、少なくとも悟性(あるいは知性)の目にとっては不可知であり、したがってその動きも予想できない(この意味でその位置づけはカントの超越論的イデーの概念にも少し似ている)。ブルガーコフは、現象的な歴史の背後で進行するというこの主体の運動を「形而上的歴史」と呼ぶ。それは人間の知っている歴史の進歩とはほとんど無縁であり、あるいはときには抗うかのようになにか別の原理によって進行しているもので、いわば、我々が知る経験的な歴史にたいして並行している。ただ歴史には、この形而上的歴史が経験的な歴史に噴出する「時期」がある。このような噴出は、黙示録的な事件として人に受容され、その圧倒的な顕れを前にして、人は己が無力であるかのように感じる。

 ブルガーコフは、同時期に書かれた論文「黙示録と社会主義」で、このあたかも盲目的で蠢くかのような不可知の形而上的歴史が出現する時期──ここでは「場所」──について次のように書いている。

結局のところその全体像が示す意味とは、根源的で神秘的な自然力(スチヒヤ)が相争い、荒ぶっている場所では人間的な手段は無為だというものである。世界のヌーメノン性は、活動的な人間的意志が、そこに礎と踏み台を見つけるあらゆる現象的な歴史よりも深い。世界はその意志にかかわらず成熟する。★6


 このような歴史主体のヌーメノン化は、先の本来の労働のマルクス的な理解の上に立つと、それこそ人間的本質の外在化としての疎外(マルクスがヘーゲルを参照し用いた語で、自己の生産物が自己によそよそしく敵対するものになること)だとされるかもしれない。我が物となっていない人類の労働行為とその成果が神話化され独立し、人間に歯向かうように見えているのだと。たしかに、そのような危惧はなりたつかもしれない。

 しかし、ブルガーコフにおける超越論的経済主体の運動の概念は、単に人を怖がらせるための試みではない。それがヌーメノンとされるのは、それがただ予測できない荒ぶる蠢きのようであるからなのではなく、世界についての人格的な神の意思としての「ソフィア」★7を反映しているからである。つまり、超越論的経済主体はこのようなヌーメノンと呼ばれるレベルで神と向き合っており、対話者という意味では、対話相手である「ソフィア」をその身に映し、すでに体現している。そして、歴史の終末に向かって「成熟」していくのである。

 したがって、このヌーメノン的な形而上的歴史は、人間にたいする人格的な神の意志を、経験的な歴史への突然の断絶的「介入」によって知らせるものである。そして、人格的な神の意志を反映するものだからこそ、この形而上的歴史はけっして客観的法則によって記述されうるようなものではない──法則が立てられるならそれは人格の仕業ではあるまい。こうしてブルガーコフの思想では、歴史は内発的発展ではなく、神の人格的な「介入」による断絶とそれにたいする人類の応答の歴史となる。

 ここで重要な意義をもってくるのは、神の介入を解釈する上での個人の役割である。このような形而上的歴史の認識は、客観と法則性、普遍性を目指す知性にとっては閉ざされているが、あくまで主観に立つ姿勢によっては知られうる。それは、主体として歴史の事象に「神の言葉」を読み取る旧約の預言者のような態度によって知られるもの、もっぱら個人的に人格的に知られるもので、精神生活の限界的な緊張を必要とするものだという。別言すれば、歴史の意味は、もっぱら個人による人格的な問いにたいしてだけ開示されうるのである。

西田幾多郎における純粋経験から「汝」へ


 さて、舞台は変わって、日本の西田である。おなじく時系列的にその発端から始めよう。

 西田幾多郎の『善の研究』のメッセージがこれほど日本人に訴えたのはなぜだろうか。

 独断に過ぎないのだが、理由の一つはそれが単なる認識論ではなく倫理的な哲学であり、日本人の生活の理想とされてきたものに西欧哲学の用語による表現を与えたことにあったのではないか。

 たとえば「純粋経験」の概念である。純粋経験の一つの意味は、あらゆる普通の認識作用一般において、認識主体としての人間主体ではなく、通常ならその認識の対象であるはずの「直観」を第一の疑いえない事実として、そこから主体による認識や判断を二次的なものとして考えるというものである。これは哲学的には、認識論の一種の転倒として興味深い。リッカートら新カント派が、カントの認識論から物自体を取り除いて意識内容から出発したことにも似ているが、西田の思考の広がりはずっと大きい。

 たしかに純粋経験はつねに存在している。しかし、純粋経験の「倫理的」な醍醐味とは「例えば一生懸命に断岸を攀づる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き」★8と西田が描写するような、一種の「入神の境」の体験の説明ではなかろうか。西田によれば、そこでは「知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起し其間に思惟を入るべき少しの亀裂もない」★9。西田の考えでは、主観の内部と外部は、本来一つの一元的で内発的な「統一力」の現出の結果なのだが、このような純粋体験の出現の際には、その二つがふたたび一致するのだという。熟練あるいは必死の状態にあるときに出現する、人が自己意識を忘却し、その動作が意識的というよりは、なにか内部から突き動かされるような衝動によって行われる時間。いっさいの迷いがなく主客を忘れ、それが一つの根源的な衝動によって動かされるような瞬間。こうした動中の静のような刹那ほど、日本の近代の生活経験のなかで敬われてきたものはなかろう。私自身が西田に最初に心打たれたのもこれである。そして、西田がこのような経験に西欧哲学の表現を与えたことにこそ、当時の青年たちが喝采したのではないかと空想する。

 何はともあれ、主客の対立の根底に、西田が、なにか魅入られるような根本的な世界構成的で統一的な一つの力を見ていることは間違いない。西田によれば、主客意識が生じる前のあらゆる認識の瞬間にあるような純粋意識も、そしてこのような動中の静のような瞬間も、さらには新カント派が問題にするいわゆる判断意識も、すべて彼言うところの内発的に展開する「統一力」のさまざまな段階の現れなのである。この「純粋経験」あるいは「統一力」は、『善の研究』に続き書き溜められたという『自覚に於ける直観と反省』では、自己が場所という「自己のなかに自己を映」しながら発展する「自覚」が形づくるものとして定義しなおされる。続く『働くものから見るものへ』では、場所、あるいは述語面として捉えられた「絶対的無」からの段階的発達論が展開される。

「有の場所」に立つ表層的判断から「無の場所」に立脚する直観、あるいは意志のレベルへ、これでもかとばかり掘り下げる描写は、西田のこの意識の階層論の一つの真骨頂に見える。この「絶対的無」への立脚に達した段階では、「述語面が無になるとともに対立的対象は無対立の対象の中に吸収せられ、すべてがそれ自身に於て働くものになる」★10。これは、あきらかにいっさいの細工なしに無からの個物の発生を見るような意志のレベルである。これをなにかの動作の場合に当てはめれば、意識に入ってくる身体的な指示のすべてが恣意的なものでなく、必然と理解されるような状態であろう。まさに「一生懸命に断岸を攀づる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時」の新たな表現であるように思える。また西田にとってこのような領域は「全然己を空うして、すべてのものを映す」★11とか「単に映す鏡となる」★12と描写される、多分に倫理的連想を呼ぶ表現によって形容される状態であり、それが深く求道的ないとなみの末に位置づけられていることが感じられる。
 こういった西田における意識の止むことのない掘削の姿勢には、外に向かうより内に向かうことによってこそ真理に達することができるという極めて強靭な確信があるように見える。つまり、内在的に見出されていないものはすべて一種の仮象であり、真理への接近は「客観的知識」の収集や分析ではなく、内在的な深化によってのみ開かれるという深い確信である(個人的にはこの姿勢は私にはベルジャーエフを思い起こさせる。彼もまた真理が内在でなければならないことを確信した哲学者であった★13)。

 有名な論文「私と汝」(1932)が「西田哲学」にとって一つの転機であったことは多く指摘されている。たしかに、そこにはそれまでの一元論的な内発的展開論には収まらないものがある。

 四部構成のこの論文の出発点における基本的設定は、一見それまでの姿勢と似ている。主観である我もその対象となる環境もひとしく、終局的にはやはり一元的な「無の一般者」の一種の顕れである。しかし、西田の関心は、まずは「我における無の一般者の顕れ」と「環境における無の一般者の顕れ」を区別し、しかも、世界の構成における前者の基本的な優位を確立して、個人格にこそ歴史を構成する力を確保する社会学的課題に向けられている。言うまでもなく、これは、生産関係が個人意識を規定するというマルクス主義のテーゼによって当時巻き起こった歴史における個人の役割の議論を反映したものであろう。

 しかしそれだけではない。この多分に社会倫理的な課題は、論文前半では、基本的には真の個性をもたない「物」の世界が表層的な「有の一般者」という環境からもっぱら限定を受けているのにたいして(これは過去が現在を限定するとも表現される)、個人格にほかならぬ「真の個物」だけは、外部環境からの限定に加えて自己限定を行うことができるという図式によって解決されている。

 しかも、この自己限定は、唯一深層の「無の場所」に直接に基づいたものである「永遠の今」による限定であり、それこそが創造的行為であると定義されている。そして、このような自己限定によって構成される世界こそが、「単なる環境的限定としての物質」ではない「真の物質」であり、かつ「歴史的物質」だというのである。この個人格による自己限定は、「永遠の今」における瞬間瞬間の絶え間ない自己の死と再生によって「非連続の連続」としての時間を創り出すような「死即生」のような覚悟を要求するものである。これは、平たく社会的な視点から言えば、そのような個人の覚悟に基づいて言動のみが歴史を作るというようなことを指しているのであろう。だが、この無の限定のレベルに基づいた言動が、ふたたび、私心を完全に滅し「ただ映す」こととしての「働くこと」であり、「表現」だと定義されているのは、『働くものから見るものへ』にあったそれまでの述語的主体論との繋がりを強く感じさせる。

 しかし、「私と汝」の後半に入ると、無の場所における個人格の自己限定が自己の底で出会うものとしての「汝」の概念が登場する。つまり、この無の場所で我々が出会うのは、さまざまな環境的な事象や事物としての「他」だけでなく、「汝」としての「他」であるというわけである。この「汝」は、論文の第三部では、どうやらあらゆる具体的な人間的他者のことのようであり、個人格は、この自己の底で真に「他」たる「汝」を自己において見ようとするとき「自己が他の内に没し」、そこで「汝の呼声」★14を耳にするという。ここでこれが「汝」ではなく、あえて「汝の呼声」と表現されていることに注目して欲しい。つまり「汝」は直に「映る」ことはなく、内在的に我に知られることはないが、応答のような「声」として我に迎えられ知られるという意味である(そして、このような我の自己否定によって聞こえた「汝」との出会いこそが我をも成立させる)。

 さらに最後の第四部では、事実上の無の場所そのものであるような「汝」としての、絶対的な「汝」の概念が登場する。これはそれまでの最深層の場所としての無の場所が、我にとって絶対的な他者としての「汝」──事実上の人格神としての絶対者──として捉えなおされたことを示している。そして、この「汝」は歴史のなかにその顕れを我が見きわめるべきであるようなもので、前半では、どちらかというともっぱら過去から我を限定する「死の面」としてみられていた環境による限定そのものが、実は「汝」の顕れの性格を帯びており、そこに絶対的な「汝」を見出さなくてはならないことが説かれる。

 このあと西田は、個物と個物が関係しあう世界にたいする世界そのものの運動の論理の議論を「弁証法的一般者としての世界」などで展開していくことになるが、このエッセイではこれで十分であろう。

ブルガーコフと西田はいかにして出会いうるか


 ブルガーコフと西田、二人の歩みをここまで見てきたが、この二人は異なった言葉や概念を使いながらも、互いを案外理解しあえるのではないだろうか。

 これは、二人の思想が似通っているということではなく、両者に似通った精神の動きが認められるのではないかという意味である。両者は、表面的にはこれほど異なる精神文化に生まれながら、共に内発展開的で一元論的な世界理解から出発し、対話的世界観へ、ついには歴史のなかに顕れる他者としての事実上の絶対者の概念に達したように見えるのだ。

 ブルガーコフの場合、それは無限に物質に進出していく一元的な生命の力としての人類の経済力の概念に始まり、ついには形而上的歴史における他者として神の介入との対話の理解へと進化した。西田の場合、それは主客の根底にあり世界構成を行う一元的な「統一力」の発見に出発し、やはり歴史や環境のなかにその顕れを見出すことのできる「汝」としての絶対者という概念に至った。

 西田において、たしかにこの絶対者の形象はそれほど明示的ではなく、黙示録的な歴史への人格的な「介入」のような概念も「私と汝」では現れていない。しかし、ブルガーコフにおいて個人のみが対話としての形而上的歴史を知ることができるのであったように、西田においても個人だけが「永遠の今」において「汝」とその環境に向き合うことができるのである★15

 また、個人が聞く「汝の呼声」という西田の表現は、深く絶対者の他者性、そしてそれが「他者」でありながら私に手を差し伸べる人格的存在であることを示しているように思われる。神はまさしく「燃える柴」(出エジプト記)でモーセが出会った者のように、隠されて見えず、その「声」だけを聞いて知ることができる「他者」である。この西田の「呼声」を、たとえばあくまで他者ではなく自身の声とするハイデッガーの『存在と時間』における無神論的な「良心の呼声」の姿勢と比べれば、西田のそれがどれだけ神の「声」に近づいたものであるかが分かる。

 西田とブルガーコフにとって、世界はこのような人格と神との出会いによってこそ構成されるものであった。それは言うなれば人格同士の出会いであり、物質的な世界、生物的な世界は、むしろこの精神的な出会いの世界にたいする二次的な発展に過ぎない。両者において環境は、我のために「汝」によって与えられた場所である。

 このような二人の歴史への姿勢は、歴史にたいし、客観的認識によって知られるようないかなる内在的で法則的な展開をも見ることを許さぬ姿勢でもある。歴史は両者にとって「不連続の連続」として、人格的な、したがって非合理的で、おそらく盲目的なものとしてさえ見出される。これは、マルクス主義におけるような、得てして恣意的な歴史法則による歴史理解に対抗するものである(日露両国におけるマルクス主義への受容力の高さがこのような思考の動きを促したこともその一因としてあるかもしれない)。

 ただ、歴史の意味は主観的姿勢によってのみ知られうるという態度は、「歴史の真理」に肉薄する可能性をもっているのかもしれないが、同時にあやまちの可能性にも満ちている。二人の具体的な歴史判断にそのような錯誤を見出すことはあまりに容易である★16。もっともその判断の真の評価は「汝」によって下されるものであろう。

 



 ブルガーコフも西田も第二次世界大戦の終結の直前に亡くなった。ブルガーコフの死は解放を目前にした1944年7月のパリにおいてであり、西田の死はそのほぼ1年後、日本の都市が空襲で次々と焦土と化しつつあった6月の鎌倉においてであった。鳴りやまぬ砲声の下、二人は歴史になにを見つめ、なにを聞きながら亡くなったのであろうか。

 二人に通底する思考にかんしては、たとえば他者の出現論などまだまだ論じたい点があるのだが、稿を改めたい。

 


★1 ケーベルと井上哲次郎については以下等を参照した。井上哲次郎『懐旧録』春秋社松柏館、1943年、316-319頁:ケーベル博士「エドゥアルド・フォン・ハルトマン(追懐)」『ケーベル博士小品集』深田康算、久保勉訳、岩波書店、1936年(第7刷)、61-102頁:和辻哲郎『ケーベル先生』、弘文館アテネ文庫、1948年、16頁:また井上哲次郎のショーペンハウアー評価については、井上克人「明治期におけるショーペンハウアー哲学の受容について」『ショーペンハウアー研究』(12)、2007年6月、44-69頁を参照。
★2 ケーベルの当時のロシア正教会にたいする言葉はまことに激烈である。「露西亜の国教会に対し私は心の底から、又何れの点に於ても敵意を抱いていた。所謂『神聖』(!)高等宗教会議の属しているこのビザンティン的奴隷的、涜神的ツェザレオパピズムス(皇帝の支配下にある教会統治制度)、及び魯鈍にして頑迷なる、形式的迷信に堕せる露西亜の僧侶をば、私は常に欧羅巴に於ける真実の反基督教的にして、光を怖れ、宗教と文化とに敵対する『邪悪なる主義の徒党』──それに対してはあらゆる武器を以て戦はなければならなかった所の──と做した」。『ケーベル博士小品集』、212-213頁。なおソロヴィヨフについて念のため記せば、ソロヴィヨフの生涯の信念の一つは、東西教会の合同、すなわち普遍公教会の理想であって、当時のロシア正教会の体制と教義を彼が全肯定していたわけではさらさらない。ただ正教会こそがキリスト教の真理をもっとも深く湛えていると信じていた。
★3 Булгаков С.Н. Соч. в 2 Т., Т.1, М., 1993. С.49. 翻訳は以下がある:ブルガコフ『経済哲学』島野三郎訳、改造社、1928年、5頁。
★4 生命と自由を物質に導入するという世界改造の行為の意義は、ブルガーコフによって、正教会における聖体機密の概念に反映された人間性と物質の神化の思想、つまり世界の「変容」(プレオブラジェーニエ)の理念とも重ねられる。聖体機密において聖パンがその物質的性質を残しながら聖化され変容するように、世界もこのような聖化を待っている。こうして「自然改造」は宇宙史的な次元を獲得する。
★5 もっともブルガーコフによれば、人間の労働行為は「原罪」による制限を受けた現在の世界では限定的だという。人間の体であるべき物質も人間に敵対しており、人間の労働は、自由な創造というよりも、「額に汗しての必然にかられた労働」になっており、それが現状の経済だという。
★6 Булгаков С.Н. Два града: исследования о природе общественных идеалов. М.,2008. С.375.
★7 ソフィアは、旧約聖書の箴言に見られる「智慧」の形象に発する非常に多面的なキリスト教的概念である。旧約聖書には、天地創造に際して神のもとにあってその創造を助けたり、イスラエルの神殿に臨在する「智慧」の姿が描かれている。ソロヴィヨフにおけるソフィアの理解もまことに多面的だが、これを神の対話者としての形而上的な人類だと考えると理解しやすい。それは神に「表象」されたものとしては、世界についての神の構想、あるいは摂理という側面ももつが、また生きたものでもある。ソロヴィヨフは、宇宙の歴史を神とこのようなその自由意志をもったパートナーであるソフィアの結合による神人体の形成の歴史として解釈した。ブルガーコフはこのソフィアを歴史の最高決定者という意味であきらかにマルクス主義の用語を用いて「最終審級」とも呼んでいる。
★8 「善の研究」『西田幾多郎全集第1巻』、岩波書店、2003年、8頁。
★9 前掲。
★10 「場所」『西田幾多郎全集第3巻』、2003年、473頁。
★11 前掲書、419頁。
★12 前掲書、426頁。
★13 ベルジャーエフの達した境地は、真の世界は精神(「霊」、ロシア語で「ドゥーフ Дух」あるいはドイツ語で「ガイスト Geist」)の創る世界だというものである。彼が「客観的世界」と呼ぶ世界、すなわち、精神によって創られたものでなく、精神を宿していないあらゆる概念、国粋主義、人種主義、全体主義、偽善的宗教といった、人格をばらばらにするすべての原理のいっさいは、彼によって排撃される。逆にベルジャーエフは、ある他者の行動や思想的行為がこの精神を宿らせるもので、この自由の精神の顕れだと見たならば、表面的にどのような陣営に表現されていようとも、それを擁護する。こうした態度はベルジャーエフにおける共産主義批判と第二次大戦における赤軍の欧州解放の擁護など一見矛盾するかのような言動に現れている。
★14 「私と汝」『西田幾多郎全集第5巻』、2002年、310頁。
★15 二人の違いの一つとして歴史あるいは時間の断絶のあり方を挙げることができる。『経済哲学』時代のブルガーコフの場合には、それはあくまで人類全体の道徳的行為にたいする神の反応としての介入であろうが、西田の場合には、やはり歴史的環境に汝としての絶対者の顕れを読むことができる一方で、個人が瞬間瞬間に行っているという「永遠の今」における我自身の死と再生が、時間の断続の第一の意味である。ここには、我がそこでつねに古いものを捨て、古い自分自身から自由になるという偉業を成し遂げなくてはならないという理解が感じられまいか。ブルガーコフには、このような時間の断続の概念はない。聖書学者ルドルフ・ブルトマンは、キリスト誕生以来、「古き世界」の廃棄としての終末論はつねに繰り返されているものとなったと指摘しており、西田の理解はこのようなブルトマンの終末理解に近いもののように思われる。信仰者ブルトマンによれば、このような古き世界からの解放は、人間の意志や力だけによっては獲得されない。参考:R・K・ブルトマン『歴史と終末論』中川秀恭訳、岩波現代叢書、1969年。
★16 西田におけるこのような姿勢が間接的に生んだ歴史理解の「錯誤」が何でありうるかについては、日本思想の専門家でない私は論評しない。ブルガーコフにおいては、このような形而上的歴史の「読み取り」の錯誤は、たとえば、第一次世界大戦におけるロシアによるイスタンブール(旧コンスタンティノープル)の「奪還」への期待として出現した。当時のブルガーコフは、ロシアの勝利によってコンスタンティノープルのソフィア寺院にふたたび十字架が立てられ、新しいビザンチンとしての正教帝国が復活し、キリスト教の新しい歴史が開かれると信じた。この期待がどれほど手ひどく裏切られることになったのかは、言うまでもない。

堀江広行

1971年生まれ。立命館大学産業社会学部卒、モスクワ国立大学哲学部大学院博士課程(ロシア哲学研究室)単位取得退学。専門はロシア思想史、特に近代の「全一の哲学」。現在は、研究のほかフリーランスとして翻訳、通訳、ロシア関係誌の編集、執筆などに従事。共著に『ロシア革命と亡命思想家、1900~1946』(成文社)ほか、訳書にセルゲイ・ブルガーコフ著『名前の哲学』(成文社)。近訳書に、アレクサンドル・シュメーマン『大斎』。
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