ロシア語で旅する世界(1)ウクライナのアトミック・ツーリズムとチェルノブイリ|上田洋子

初出:2013年10月1日刊行『ゲンロン通信 #9+10』

 まさか人生でチェルノブイリに行くことがあろうとは。そして、チェルノブイリの立入禁止区域、いわゆる「ゾーン」が、あんなに平和な、旧ソ連圏の田舎にありがちな光景を呈しているとは思ってもみなかった。たしかに、タルコフスキーの映画『ストーカー』(1979)で描かれるゾーンも、これまでロシアで見てきた野生の自然そのものだった。違っていたのは、『ストーカー』の風景が草木の青々とした初夏のそれであるのにたいして、わたしたちが訪れたチェルノブイリは雪どけの、白くて茶色くて、青空もみずみずしい季節だったことだろうか。ウクライナでは今年、もはや春のはずの3月末に異例の大雪が降った。四月半ばにもまだ雪は残っていて、氾濫している小川とともに、春の日差しの中できらきらしていた。嘘のような好天に恵まれて、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(以下、チェルノブイリ本)取材陣の見たゾーンは明るく美しかった。

 このウクライナ取材で、わたしは通訳・翻訳のみならず、現地との交渉のいっさいを引き受けていた。三月の大雪は、ちょうど取材陣のゾーン立入許可申請の時期と重なった。もしも雪の状況が落ち着かなかったら、ゾーンは閉鎖され、観光ツアーも中止になる。好天のおかげで悲劇は回避されたが、もしも天気が悪かったなら、チェルノブイリ本はまったく違うものになっていた可能性もあった。

 無事に本になったチェルノブイリの旅だが、読者の中には、チェルノブイリ本を手に取って初めてチェルノブイリ、ウクライナ、ロシアの文化や歴史に触れるという方もいるだろう。本コラム「ロシア語で旅する世界」では、チェルノブイリの情報、および巨大な隣国ロシア★1および旧ソ連圏の文化、社会、アートの新しい情報を、おもにロシア語の情報源から少しずつ紹介していきたいと思う。日本で抱かれているぼんやりとしたイメージが、ほんの少しずつでもくっきりとした輪郭を持つようになれば嬉しい。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

 初回はチェルノブイリの話を。とはいえ取材に関する話はチェルノブイリ本に満載なので、ここでは今回の旅では訪れることのできなかった、ウクライナの原子力に関するダークツーリズム・スポットを二つ紹介したい。チェルノブイリ立入禁止区域内の閉鎖軍事都市「第二チェルノブイリ」と、ウクライナ東南部にあったソ連時代の核兵器の保管所「戦略ミサイル軍博物館」である。どちらも、冷戦期の緊張の様子を今に伝えている。


1 第二チェルノブイリ
Чорнобиль-2


 第二チェルノブイリはゾーン内にある閉鎖軍事都市の廃墟で、冷戦期はソ連対空防衛の一大拠点だった。閉鎖都市とは、軍需産業や宇宙開発など、国家機密産業の研究開発に特化された秘密都市のこと。言ってみれば、筑波研究学園都市や種子島宇宙センターが、国民にも世界にも隠蔽されて、国家の利益と科学の発展のためだけに研究・開発を行なっているようなものだ。ユートピア国家ソ連では、この国で開発された最先端の技術が世界を救うといった幻想が社会に蔓延していたのだろうか。

 ともかく、ソ連にはこうした閉鎖都市がいくつもあって、それらは存在を隠すために、しばしば近隣の街の名前に番号を付して呼ばれていた。ここはチェルノブイリ市のそばなので「第二チェルノブイリ」。一般の地図にこの街は掲載されていない。

 第二チェルノブイリは立入禁止区域10km圏内ゾーンにある。現在、観光ツアーのルートには入っておらず、簡単に行くことのできる場所ではないが、注意していれば車道からも見えるらしい。第二チェルノブイリの現状については、ゾーン内の原子力発電所安全問題研究所に勤務する生態学者セルゲイ・パスケーヴィチが、自身の運営するチェルノブイリ情報サイトやゲーム『S.T.A.L.K.E.R』の関連本などで詳しく紹介している★2。チェルノブイリ本の資料集でも取り上げたが、パスケーヴィチのサイトはゾーンの百科事典的なもので、写真も満載、なによりゾーン内勤務の研究員が楽しみながらゾーンを紹介しているのが面白い。英語ページもあるので、興味を持たれた方は是非のぞいて欲しい。余談だが、チェルノブイリ本ではパスケーヴィチにもインタビューを申し込んでいた。しかしゾーン内取材では厳しい時間の制約があり、断念せざるを得なかったのだった。

 第二チェルノブイリには地対空ミサイルS-75や、OTH(超水平線)レーダーが配備されていた。そこにはインフラの整った居住区があり、軍関係者とその家族約1000人が暮らしていたという。OTHレーダーは短波を利用して何千キロも離れた飛行物を偵察するシステムで、1940〜50年代頃にソ連と米国で開発がはじまった、まさに冷戦の産物だ。第二チェルノブイリのOTHレーダー「ドゥガ(弧)1 Дуга-1」は、支柱の高さがおよそ140m、幅は300〜500mにもわたる巨大な鉄骨の構造物。1976年に建設がはじまり、開発と改良を経て、1982年に試運転が行なわれた。その後、さらに改良を加え、一九八五年に実用化された。ところが一年後には原発事故が起こり、莫大な投資も研究の成果も、すべてが無駄になってしまった。パスケーヴィチの情報では、このタイプのOTHレーダーが配備されていたのは旧ソ連に三ヶ所のみ、現存しているのはここだけという。こうしたレーダーは電力の消費量がものすごく大きいため、発電所のそばに建設する必要があった。

 現在は風力発電装置に転用する案が出たりしながらも、相変わらず活用も保存もされないまま放置状態のようだ。パスケーヴィチのサイトには、おそらく本人だと思われる人物とその「ストーカー仲間」たちが第二チェルノブイリに潜入し、ドゥガ1の上からパラシュート飛行を楽しむという、チェルノブイリのイメージをあまりにも覆すおふざけ動画すらアップロードされている(http://chornobyl.in.ua/stalkery-chernobyl-2.html)。迷彩服の五人の男たちが、ゾーンの入り口から28kmの道なき道を徒歩で進み、ドゥガ1のそばの廃墟で一泊して、早朝からパラシュート飛行に興じ、「アドレナリン出たぜ!」とか言いながら、もと来た道を帰って行くというもの。ホットスポットに行き当たってガイガーカウンターが鳴るというシーンもある。もっとも、ドゥガ1周辺の放射線量は危険値以下で、ストーカーにとって危険なのはパトロール員、そして野生動物との遭遇だそうだ。

 パスケーヴィチのサイトを見ても、チェルノブイリ本で取材をしたシロタやナウーモフの話を聞いても、立入禁止区域内で顔の利く土地勘のある人々は、ツアー客と違ってかなり自由にゾーン内を移動している。パスケーヴィチはゾーン内の生態系の調査をしている人物、シロタは元住民、ナウーモフは元警備隊長。それぞれ年季の入ったチェルノブイリ通だ。彼らにはいわば治外法権があるのだろう。ただ、観光客が真似をするのはちょっと厳しいかな。

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