日常の政治と非日常の政治(2) 2016年参院選と現実味を帯びる憲法改正|西田亮介

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初出:2016年04月01日刊行『ゲンロン2』
 2016年は参院選の年にあたります。この選挙には、どのような意味があるのでしょうか。今回は今年の参院選と衆参同日選挙の可能性、さらにその先にある「憲法改正(発議)の現実味」を、具体的な数字と根拠をもとに考えてみることにしましょう。

 結論を先取りすると、これまで1980年、1986年の2度しか行われていない衆参同日選挙が現実味を増しています。敗戦後、憲法改正は政治的にほとんど現実味を持ちませんでしたが、昨今の与党優勢の情勢のなか、相当程度「現実味を帯びてきた」といわれます。それでは、ここでいう「現実味」とは、どの程度の数字のことを指しているのでしょうか。こう問われると、答えに窮する人は少なくないように思います。というのも、普段目にする新聞やテレビの報道では、政局解説とこうした具体的な数字は切り離されているからです。

 まずこの問題を考えるにあたって念のため、まず立法府と選挙の基礎知識を確認しておくことにしましょう。たしかに誰しもが中学校の「公民」や、高校の「政治経済」などで習ったことはあるはずなのですが、忘れている人も少なくないでしょう。参議院と衆議院の違いといった仕組みの話や、今年の選挙で何が争点になっていて、また実際の生活にどのように影響してくる可能性があるのか。そういった内容についてはあまり知られていないか、「受験の知識」として、生活とは無縁なかたちで学習されています。そして試験で必要なくなると、その内容はほぼ忘れ去られてしまう、あるいは「そのようなことを習った」というおぼろげな記憶だけが残っているという人が多いのではないでしょうか。前職で政治学を専門としない大学生たちを、今の職場では理系の大学生たちを相手にしていると、しばしばそう感じます。

 ここでは衆議院、参議院の機能と、衆参同日選挙、それから憲法改正発議の現実味の評価について、基本的なことから順を追って説明していくことにしましょう。

 まず議員定数ですが、参議院議員の定数は242。これは議席の総数でもあります。このうち96人を比例代表選出議員、146人を選挙区選出議員と定めています。なお衆議院議員の定数は475人とし、295人を小選挙区選出議員、180人を比例代表選出議員としています。参議院を先に書いたのは、こちらが上院、衆議院が下院に相当するからです。参議院通常選挙では選挙区と比例区の2種類の選挙が実施され、任期は6年、3年毎に半数の議席を改選します。解散がないことから、長い視野で、大局的な政治について考えることができる「良識の府」などと呼ばれてきました。ですが、日本では衆議院と参議院の機能的性質が似ている──上院である参議院の力が強い──ことから、「参議院不要論」や一院制が主張されることもあります。橋下徹前大阪市長も、改憲、首相公選制に加えて、この一院制を主張しています。

 参議院議員に対して、衆議院議員はどうなっているのでしょうか。任期は4年で、途中に解散を挟むことがあります。内閣が解散権を行使すると、任期半ばでも選挙が行われます。その代わり、比較的直近の民意を反映していると見なされ、法案の議決や予算の議決、条約の承認、内閣総理大臣の指名などにおいて「衆議院の優越」が認められています。今夏行われる国政選挙は、参議院議員通常選挙が確定で、これと同時に衆議院議員総選挙を実施するかどうかに、与野党のパワー・バランス、ひいては、憲法改正の発議が行われるのかどうか、という点から注目が集まっています。
 さて、次に衆参同日選挙について確認しておきましょう。まさに読んで字の如く、衆議院議員総選挙と参議院選挙を同じ日に実施する選挙のことですが、なかなか珍しい政治イベントです。これまで衆参同日選挙は1980年6月22日に実施された、第36回衆議院議員総選挙・第12回参議院議員通常選挙と、1986年7月6日の第38回衆議院議員総選挙・第14回参議院議員通常選挙の2度しか行われていません(両者の投票日が近い、変則衆参同日選挙はさらに2度行われています)。前者は当時の大平総理が急死したことに由来して「ハプニング解散」と呼ばれ、後者は中曽根内閣時代に、高い支持率を背景に、党内引き締めを目的に行われた「死んだふり解散」でした。1986年の衆参同日選挙の場合、衆院選の投票率が71.4%、参院選が71.3%と、かなり高い投票率を記録していますが、いずれの選挙も、高い投票率を背景に、与党が勝利を納めています。余談ですが、当時の中曽根総理は、スピーチライターに劇作家・浅利慶太を起用したりするなど、元祖「パフォーマンス総理」としてその名を知られています

 総理の解散権は、衆議院の解散は与党議員にとっても選挙として、重い負担としてのしかかってくるため、敬遠されがちで、容易に行使できるものではなく、派閥の持ち回りで自民党総裁、そして実質的な総理を決めていた時期にはなおさらそのような傾向にありました。したがって、「伝家の宝刀」はなかなか抜くことができないのが実情です。これは言い換えると組織票への依存度が高かった、古い自民党で好まれなかった理由であるのと同時に、これまで衆参同日選挙がほとんど行われてこなかった理由のひとつでもあります。

 このような状況のもとで、2016年の衆参同日選挙は、憲法改正の発議を行うための試金石になろうとしています(ただし、衆参同日選挙を行わなくとも、憲法改正の発議は参院選、衆院選それぞれの獲得議席数によっては十分可能です)。憲法改正についても駆け足で確認しておくことにしましょう。

 憲法は統治機構を宛先としますが、日本国憲法は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を特徴とする憲法として知られています。日本国憲法が成立、公布されたのは1946年、施行され、効力を持ったのは1947年のことです。つまり、今年は憲法成立から70年にあたり、現在に至るまで1度も改正されずに来ました。

 このように長く改正せずに運用する、もしくは改正のハードルが高い憲法のことを硬性憲法(Rigid Constitution)といいます。とはいえ、憲法のなかには、日本国憲法のように、長らく改正せずに運用されている憲法だけでなく、柔軟に改正する憲法も存在します。そのような憲法のことを、軟性憲法(Flexible Constitution)といいます。世界に目を向けてみると、幾度も修正を重ねて運用しているアメリカ合衆国憲法のように、さまざまな憲法のかたちが存在します。

 日本国憲法はこれまで、なぜ改正されなかったのでしょうか。それはひとつには、憲法改正の手続きを定める憲法第96条が改正に高いハードルを設けているからです。憲法第96条は、両院の3分の2以上の国会議員の賛成と、国民投票で過半数以上の賛成が必要と定めています。
 たとえば、参院選を控えた参議院の現状を例に取ってみると、参議院の議員定数は242で、このなかで明確に改憲を主張する自民党、公明党、おおさか維新、日本のこころを大切にする党を足し合わせると146となります。現状改正に必要な3分の2とされる162には到達しません。相当程度与党優勢といわれている現状でさえ、この数ですから、憲法改正の敷居の高さがわかるかと思います。

 もうひとつ、憲法改正の投票可能年齢など、具体的な手続きは96条には書かれておらず、憲法改正の実施にはその手続きを定めた法律が必要でした。国民投票法という法律になりますが、1950年代には改憲の議論が出ていたにもかかわらず、この法律が成立したのは2007年のことです。ずいぶん長い間、憲法改正の手続きをもたず、事実上憲法改正できない状態だったというわけです。

 日本国憲法成立までの事情が、自民党、そして安倍総理をして、憲法改正を強く希求させています。GHQから新しい憲法草案作成の指示を受けた日本政府は、当時の松本烝治国務大臣が中心となってまとめた松本試案を用意します。しかし、これは大日本国帝国憲法を急遽書き換えたに過ぎず、GHQに拒絶されます。その後、ニューディーラーら当時の革新的な書き手によって執筆されたGHQ草案が提示され、それが現在の日本国憲法へと結実します。その過程は、吉田茂や、当時吉田の右腕としてGHQとの交渉にあたった白洲次郎の手記にも書かれています。彼らは屈辱的に思われた安全保障を、アメリカに依存しつつ戦後復興を経済に集中するべく「合理的な選択」へと読み替えて行きます。それはある意味では保守の智慧でもあったといえるはずです。

 彼らの回顧録に記されるように、当初日本国憲法は日本の戦後復興が軌道に乗るまでの、時限付きのものだという共通認識がありました。ところが日本国憲法の改正のハードルが高かったこと、また1955年の保守合同にともなって誕生した自由民主党内部にさえ、憲法改正に対して、多様な意見が存在したこともあって、憲法改正は棚上げされることになりました。

 その後、日米安全保障条約とともに、安全保障環境の変化に適応して、周辺事態法や有事法に伴う多くの法律と組み合わせて、これまでなんとか70年の歳月を乗り越え、それなりに安定し、また相対的にはかなり上等に機能したという歴史的事実も、改正の先送りに貢献しました。

 自民党のなかで、憲法改正に熱心だったひとりが岸信介元総理です。在任中に憲法調査会を設置し、退陣後も、自主憲法制定国民会議の会長を務めるなど、憲法改正を広く政界、民間を越えて主張してきました。その岸を祖父にもち、またロールモデルとする安倍総理は、かねてから改憲に積極的な姿勢を見せてきました。2016年に入ってからは、「改憲勢力で、参議院の3分の2」に言及するようになりました。
 それでは、現状で憲法改正の発議は、どの程度「現実味」を帯びているのでしょうか。まず衆議院についていえば、総議席475のうち、自民党、公明党で、326議席を保有しており、すでに3分の2を超えています。したがって、参議院で3分の2という数字は、すなわち憲法改正の発議が可能にする数字ということになります。

 冒頭に述べましたが、参議院は半数の議席を3年毎に改選します。2016年の参院選では、自民党、公明党、おおさか維新、日本のこころを大切にする党の改憲のスタンスを明確にしている政党の非改選議席が85です。この数は今回の選挙では変化しないので、所与の前提となり、参議院で、民主党や維新の党のなかの改憲派の切り崩しを気にしないで、参議院の3分の2を目指すなら、162まで、77議席を達成できるかどうかをめぐる攻防ということになります。

 自民党と公明党の改選議席数は57。この数字が選挙の結果によって増減するわけですが、一見、自公の単独では難しいかのようです。総理の「改憲勢力で」というメッセージも、この数字を念頭におきつつ、おおさか維新などへのエールを送っているともいえます。

 ただし、この77という数字は、2013年の前回参院選を参照するなら、また、今回、安倍総理が提示した「自公で過半数」という控えめな数字を念頭に置くなら、決して高いハードルではありません。改選議席の総数は121で、その半数なら61ということになります。前回参院選で自民党は単独で65議席を獲得しています。支持層の結束が固い公明党が、前回参院選同様11を獲得するとすれば、自公だけで76となり、あとわずか1議席で、3分の2を達成できてしまいます。つまり、おおさか維新、日本のこころを大切にする党が全国比例で1議席ずつ獲得すれば、達成できる数字です。そして思い出してほしいのは、すでに衆院では3分の2を満たしているということです。憲法改正だけを目的とするなら、必ずしも衆参同日選挙にせずとも、十分現実味を帯びていると見なすこともできそうです。さて憲法改正が発議されたとして、そのときにはどのような事態が生じうるのでしょうか。次回は、国民投票法と、憲法改正発議後の状況を考えてみることにしたいと思います。

 

 
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西田亮介

1983年京都生まれ。日本大学危機管理学部教授/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特任教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同政策・メディア研究科助教(研究奨励Ⅱ)、(独)中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授等を経て、2015年9月に東京工業大学に着任。現在に至る。 専門は社会学。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)『ネット選挙——解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)『情報武装する政治』(KADOKAWA)他多数。
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