レーニン、収容所、ポストモダニズム――ロシア現代思想概観|オレグ・アロンソン+エレーナ・ペトロフスカヤ 聞き手=東浩紀 訳=上田洋子

初出:2018年05月25日刊行『ゲンロン8』

 2017年12月、モスクワを訪れた。同地のロシア国立現代美術センターで開催されたシンポジウム「時代と意味――トラウマ、記憶、忘却、知識 Время и смыслы. Травма, память, забвение, знание」に参加するためである。このシンポジウムは、2015年から18年にかけて、同地で複数の美術館を会場に続けられている「人間の条件」プロジェクトの一部をなすもので、今回も同時に美術展「幽霊屋敷 Дом с привидениями」が開催されていた。幽霊や慰霊のテーマは、本誌と重なりあうものがある。
 モスクワ訪問は美術評論家のエレーナ・ペトロフスカヤの招きで実現した。本誌は『ゲンロン5』で共同討議「ユートピアと弁証法」を訳出している。ペトロフスカヤはその参加者で、また同討議のロシア語版を掲載した思想誌『青いソファ Синий диван』の編集長でもある。前出シンポジウムのコーディネーターを、彼女が務めていたのだ。
 ここに掲載するのは、そのペトロフスカヤと、同じく「ユートピアと弁証法」の参加者で、彼女とともに『青いソファ』誌を支えてきた思想家のオレグ・アロンソンにモスクワで行ったインタビューの記録である。彼らはヴァレリー・ポドロガら「余白の哲学」派の弟子の世代にあたる。その彼らの目に、いまのロシアの思想状況はどう見えているのか。短い時間ながらも、議論は最後、思弁的実在論やソルジェニーツィンの収容所文学にまで広がった。『ゲンロン6』『7』のロシア現代思想特集の補遺として、ぜひお読みいただきたい。(東浩紀)

東浩紀 『ゲンロン』ロシア現代思想特集の編集をするなかで、『青いソファ』という変わった名前の思想誌があることを知り、興味を抱きました。哲学者みずから編集し、毎号特集を組んでていねいに作っている点で、『ゲンロン』とスタンスが近い。今日はおふたりに話をうかがえるとのことで、たいへん光栄です。

 まずはなぜ『青いソファ』という名前なのか。その理由からうかがえますか。

エレーナ・ペトロフスカヤ いちおう画家のイリヤ・カバコフの作品にちなんでいるんです。とはいえ、ほんとうは偶然です。

 2002年に雑誌を創刊したときにはスポンサーがいました。通信社REGNUMを立ち上げたモデスト・コレロフという人物です。このひとがやや口出しをしてくるタイプで、新雑誌にはこれまで存在したどの雑誌とも重ならない名前をつけるようにと言われてしまった。『別のしかたで По-другому』などいろいろ考えたんですが、なかなか納得してもらえません。そんなとき、モスクワのある図書館で、調べ物をしながらソ連美術に関する本をめくっていて、イリヤ・カバコフの作品に「青いソファはどこ?」という言葉があるのを見つけました★1。もうこれでいいやと思い、コレロフに伝えたところ了承を得てしまった。これが由来です。もちろん、「これでほんとうにいいの?」と尋ねられはしましたけど(笑)。

 笑い話のようですが、意味については創刊されてから考え始めました。そして、ゲーテの『西東の長椅子 West-östlicher Divan』〔邦訳は『西東詩集』〕を思い出した。ソファを表すロシア語の диван 、ドイツ語の Divan はともにトルコ語由来です。ソファは東洋からヨーロッパに伝わった。まさに東西を結ぶものです。意味はあとづけですが、この雑誌名にしてよかったと思っています。

 どのていどの頻度で刊行しているのですか。

ペトロフスカヤ 創刊当初は年2回刊で、外国語の論考を原語で掲載したりもしていました。ただ、そうした贅沢はのちにむずかしくなったので、いまは言語はロシア語のみ、刊行頻度は年1回に落ち着いています。ロシア語で「アリマナフ альманах」と呼ぶ刊行形態です。

 この雑誌では、できるかぎり論理的な観点を提示することを心がけつつ、アクチュアルな問題も論じるようにしています。たとえそれが論じるには時間的に近すぎるとしても、やはりいまの出来事を対象に考えていきたい。たとえば2014年にはウクライナの事件を特集した号を出しました★2。クリミアや東部戦線が問題になっている最中に準備をし、刊行しています。2013年末に起こったキエフのマイダン運動に焦点を当て、ロシア、ウクライナ、アメリカの書き手に寄稿してもらいました。

ポストモダニズムとクトン的なもの

 いま、ロシアではどのような哲学者や哲学的問題に関心が寄せられているのでしょうか。

オレグ・アロンソン マスメディアにおいては、プラトン、カント、スピノザ、ヘーゲルといったヨーロッパ哲学の古典的な名前が「哲学」の同意語として扱われ、叡智の象徴とされています。ロシアの哲学者でこのようなメディア的人気に到達したひとはいません。唯一の例外はメラブ・ママルダシヴィリ★3でしょうか。あとはプーチン大統領が言及した、ニコライ・ベルジャーエフとイワン・イリイン★4

ペトロフスカヤ ベルジャーエフとイリインは、いまロシアでは下院議員のだれもが読んでいますね。

アロンソン 専門家のあいだではどうかというと、九割がたはマスメディアの風潮と変わりません。しかし、ごく少数、独立したひとたちがいる。重要な議論はそのひとたちのあいだで行われています。いわゆる「ポストモダニズム」もそのひとつです。ぼくたちはこの呼び名に抵抗があるのですけどね。

ペトロフスカヤ マスメディアでは、「ポストモダニズム」という言葉には極端に否定的な意味合いが負わされているんです。あらゆる悪いもの、失敗したものの代名詞とされています。

 日本も同じです。

アロンソン たとえば、なぜこんなに暮らし向きが悪いのかと問われた政治家が、すべてはポストモダニズムのせいだと答えたりする。

 それはすごい。

この記事は有料会員限定です

ログインする

月額課金購読する

年会費制サービス「ゲンロン友の会」の会員も有料記事をお読みいただけます。

ゲンロン友の会に入会する

+ その他の記事

1964年生まれ。哲学者、映画批評家。ロシア科学アカデミー哲学研究所上級研究員。著書に『メタ映画』(2003年、ミロン・チェルネンコ賞)、『コミュニカティヴ・イメージ』(2007年、未邦訳)、『想像力の向こう側』(ペトロフスカヤとの共著、2008年)、『虚の力』(2017年、アレクサンドル・ピャチゴルスキー賞、未邦訳)、『映画と哲学』(2018年、未邦訳)など。

+ その他の記事

1962年生まれ。哲学者、美術批評家。哲学・批評誌『青いソファ』編集長。ロシア科学アカデミー哲学研究所美学セクター長。著書に『反写真』(2003年、未邦訳)、『イメージ論』(2010年、アンドレイ・ベールイ賞受賞、未邦訳)、『名前のない共同体』(2012年、イノヴァーツィヤ・理論・批評・芸術学部門受賞、未邦訳)、『反写真2』(2015年、未邦訳)、『記号の憤慨』(2019年、未邦訳)など。

注目記事

ピックアップ

NEWS

連載

ゲンロンβ