チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(1)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年2月15日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.7』

 
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第2回はこちら
 
“自然や人間自らが作り出す最も過酷な状況下において、人間が個人あるいは集団で生存する能力に驚かずにはいられない” Suefeld P. Extreme and Unusual Environments. In Handbook of Environmental Psychology, vol. 1, ed. Stokols D., Altman T., 863-887. New York: Wiley, 1987. Р. 878. “放射線(電離放射線)──不安定な原子核(放射性核種)が崩壊の過程に放出する、視覚では捉えられない粒子とエネルギー。生物の体に影響を及ぼす重要な環境因子” ソ連労働安全事典

序にかえて



ソ連政府発表
 キエフから北に130キロに位置するチェルノブイリ原子力発電所において事故が発生しました。事故現場では、ソ連政府副首相同志シェルビナ・B・Eの指導の下、関係省庁幹部、著名な学者や専門家から成る政府委員会が対応にあたっています。
 最新の情報によれば、事故は第4発電ユニットの建屋のひとつで発生し、原子炉建屋の構造物の一部崩壊、破損、一定量の放射性物質の漏出につながりました。他の3基の発電ユニットは正常に停止し、稼動待機状態にあります。この事故によって2名が亡くなりました。
 事故被害を防ぐため緊急措置が講じられています。現時点では、発電所及びその周辺地域の放射線量は平常値に戻っており、被害者には適切な医療サービスが提供されています。原発村★1及びその近隣の3居住区の住民は避難を終えています。
 チェルノブイリ原発及び周辺地域の放射線量について常時モニタリングが続けられています。
※1986年4月30日付新聞「プラウダ」(ソ連共産党中央委員会機関紙)(2面右下段。新聞の最も目につきにくい〈秘密〉欄に掲載)   第1章 チェルノブイリへの道

召集令状
ミールヌイ・S・V中尉殿
19(86)年(6)月(6)日(8:00)、(25)日間の訓練召集派遣のため、ハリコフ市、(ジェルジンスキー)地区徴兵所に参上すること。
身分証明書、軍務手帳、共産青年同盟員証、肌着2セット、タオル2枚、足布又は靴下2足、ハンカチ2枚、靴及び衣服、個人衛生用品を持参ありたい。
ジェルジンスク地区徴兵官代行  中佐 (コスチュク) <署名>

※署名に紫色の丸印が押されている。丸印の中央にはソ連の紋章、それを囲むように「ハリコフ州ハリコフ市ジェルジンスク地区徴兵委員会」の印字。  

第1話 放射能への適応


「テキオウ、放射能に?」  スイスの環境系雑誌の編集者は驚きを隠しもせずにじっとこちらを見た。  1993年。チェルノブイリ事故から七年が経ち、私がバーゼルでの講演を終えたときのことだ。 「そうだが、」相手の反応にやや面食らいながら私は同じ言葉を繰り返した。「『放射能への適応』のいったいどこがどうおかしいって言うんだい?」  まるで川をはさんで向かい合う二人のようにお互いを見た──とっくの昔に川を渡り切ってしまった者と、目の前に川があることに気づきさえしない者。 「適応とは、すなわち慣れ、順応? ホウシャノウに!!?」 ──知り合いで最初に被ばくを経験したのはジェーニャ。大学の化学学部を私より数年遅く卒業したが、チェルノブイリには二ヶ月早く、五月に派遣された。なんでもジャーニャによればあっちでは最初の三日間は宿営のキャンプに滞在し、ゾーンに足を踏み入れることはないとのこと。そうやって体が適応するのを待つという。  でもこの真偽は今も定かでない。ジェーニャの話をこれっぽっちも疑っていなかった私は、チェルノブイリに到着した翌朝、所属中隊の車列が偵察に出発するのを見送ろうかと思いテントの外に出た。すると除隊が近づいていた古参の中隊長がこっちに向かって「おい行くぞ。なにぼけっとしてるんだ?」とでも言いたげに手で合図する。私の小隊の部下たちも「中尉、出発の時間です!さあ、われわれの装甲車に!」とばかりに手招きする。仕方がないので着の身着のまま、この装甲仕様の偵察哨戒車両☆1に乗り込んだ。
 初めての任務の行き先は、あの〈赤い森〉☆2

 幹線道路を進みながら、仲間が松林の梢の方向を指した。「ほら、あれが原発。いまに四号基が見えてくる…」どこでもあるような真っ白い縦長の工場風の建物。その上には発電ユニットが箱のように突き出ている。壊れているようには見えないが… コンクリート製でカラフルに塗装されたチェルノブイリ原発エンブレム〈たいまつ〉近くのカーブからの眺めがもっともよいが、線量もちょうどそこがいちばん高い。毎時1200ミリレントゲン──毎時1.2レントゲン…(≒毎時12mSv)これはおよそ… 通常の自然放射線量の10万倍… 初日からしっかり出勤するはめになったわけだ。

 キャンプに戻る。

 さあ夕食。

 そして就寝。

 なんともない。

 体にこれといった変化はない。

 


 二日目の朝、目を覚ます。時計はまだ五時を打っていない。

 夜明けの薄明かりに幻影のように浮かび上がるテントの群れ。眠ったように静かで人影もない。その中をひとり小走りで向かう先はトイレ。

 下品で失礼、「大」の方。

 起床時間の六時までにまた行く。三回も。

 しかも、まったく同じ「用」で。

 不思議だ… 普通は入隊するとまったく「逆」の問題で悩まされる。原因は軍隊生活に定番の粥に加え、精神的ストレスや不慣れな生活リズム。最初の数日間はたとえ出なくても平時からの惰性でトイレに行くのが普通なんだが。

 いったい何を食べたっていうのか?あやしいものは一切口にしてない… 変だ。

 ほら、またきた!

 そうだ医務室がある!赤い太い十字架のついた白旗がひるがえっているテントを探せばいい…

 鍵さえかかっていなければ、胃腸薬の活性炭☆3を二、三錠手に入れてそれで解決。こんなこと誰にでもあることさ…

 医務室のテント入り口は細長く白い木製のボタンで開け閉めする。床まで垂直に続くボタンを一個ずつ外して開ける… 天井から漏れる明かりをたよりに通路を抜けて中に入る。がらんとして、こざっぱりした空間… 窓のそばにガーゼの覆いをかぶせた机。さっと覆いを持ち上げると… 小さなガラス瓶や缶、錠剤がある… あちこち探すが肝心の胃腸薬は見あたらない。

 部屋には他にビニールテーブルクロスを掛けた粗末な木の台がぽつんとあるだけで、これ以上探す場所もない。ちくしょう!これでも大隊の医務室かよ…

 


 六時半の朝食までさらに何度か便所に行く…

 なんなんだ、これは!?

 食事をとるのも億劫になる(食欲はあるが、やっとのことで我慢)。お茶をすすり、パンの耳をちょっとかじって、ごちそうさま。

 大隊の医務長を見つけた。私と同じ予備役中尉だが、むこうは「上級」がつく中尉。恰幅のいい肩には医学のシンボルの蛇を模した肩章をのせ、朝食にも勿体ぶった態度で登場する。薬について聞いてみる… が、なんと、大隊の医務室なのに胃腸薬がないだと!五百人もの隊員を抱えるのに一個も!

 怒りのあまり思わず口から悪態が漏れる…

 ちくしょう!またトイレに行きたくなっちまった…

 これから偵察に出発、という絶好のタイミング。中隊の装甲車が縦列を作り、私が乗り込むのを待っている。

 便所で道草食っている暇などない…

 例えれば、おなかは手榴弾を飲み込んでしまったような感じ。丸型防衛用F-1、通称〈レモン〉、破片飛距離二百メートル…

 そうこうするうちにチェルノブイリの町の車両置き場に着いた。いくらか楽になったようだ… ほっとしたのも束の間、キューという締めつけがまた始まる。今日の偵察ルートは〈赤い森第2〉。もはや非常事態。この先いったいどうなるんだ?!

 幹線道路は目抜き通りのように車がせわしなく行きかっている… 仲間にここで停めて待ってもらうのも忍びない… しょうがない、前進あるのみ。次の角を曲がるまでの間しばしの辛抱…

 脇道に入りさえすれば、あとはこっちのものだ…

 線量の測定が終わってから何気なく一服といった感じで「おい、ちょっと茂みの裏手見てくるから」と茶目っ気たっぷりに言えばいい…

 計測係が車から飛び降り、茂みのほうに何歩か進む。歩きながら、ジュラルミン製ゾンデの取っ手をしっくりくるまで何度か持ちかえている… 部下よ、あまりじらすなよ…

 おれは装甲車から飛び降り、ちょっと待ってなと言い残し、茂みに入ってズボンを膝まで下げ、ふぅー!と、これは、頭の中での練習。そのとき、

「毎時29ミリレントゲン!」(≒毎時290μSv)

 装甲車から降り、茂みに入り、ズボンを下げてしゃがむ。キンタマを毎時29ミリレントゲン・・・・・・・・・・・の上にぶら下げながら…

 これはそんなに高くない(馬鹿いうなよ。これが高くないだと?!!通常の2000倍の線量だぞ・・・・・・・・・・・・・)、でもたいしたことない… と己に言い聞かせる。
でも…

 やっとのことで欲求を抑える。先へ進むしかない。

 このさい走っている車から直接出しちゃうというのはアリ?装甲車の外に尻を突き出して1.5メートルの高さから… 扇状に飛び散ったモノが車体後部の装甲板にべっとりくっつく姿が頭に浮かぶ…

 却下。出発…

 二回目の測定は無人の村。そして次、そのまた次も計測係が同じように測定しては数値を読み上げる。でもこの数値そもそも何と比べたらいいの!?

──キンタマ、すなわち人間が授かった大事な臓器を地面に接近させてしゃがむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 悶々としたままルートを最後まで走り続ける。張り裂けそう… 失恋の苦悩も これと比べてしまえば人生を楽しく謳歌しているようにしか見えない。

 でこぼこの悪路にさしかかると車内が揺れ、それに合わせておなかも熱くなったり冷めたりを繰り返し、全身から冷や汗が止まらない。

 走行中は終始、道路の左右をきょろきょろ眺めながら適当な場所を探す。「ここは?でも線量はどうかな?あそこは?ちっ、通り過ぎた。ここは隠れる茂みどころが草一本生えてないな。あっちはどう?人通りが多いな」意識は朦朧とし、歯を食いしばる。ときどき唾を飲み込むのが精一杯…

 そして、やっとトイレにたどり着いた。

 終わって立ち上がるとまるで生き返ったように身体も軽い… でもそれも十五分間だけ。

 またすぐに始まる。
──あるフィギュアスケート選手の言葉を思い出す。重量挙げ選手はバーベルを持ち上げるとき、どんなしかめ面をしても絶叫しても許される。フィギュア選手も軽くはないパートナーを持ち上げるが、バーベルと違って落とすことは許されない。しかも氷上をスケートのスピードにのりながら。そんなときも喜びで我を忘れたかのようなスマイルを作らなければいけない。いまの私も似たような状況。渾身の力を振り絞り、腹筋を巧みに使い、暴発しそうになる〈レモン〉を押したり、揉んだりして抑えこむ。それと同時に歩き回ったり、装甲車に乗り込んだり、ひょいと飛び降りてみたり、指示を出したり報告を受けたりしながら、まるで重量挙げ選手を羨むフィギュア選手と同じく、ところどころで笑みの表情を作ってみせる。そんなとき頭にあることはただひとつ!人目がなければどんなところでもかまわない。ズボンを下げてしゃがみたい。どんな汚い便所でも文句言いません…

 せめてもの救いは、当時のチェルノブイリでは上官への敬礼など誰も気にとめていなかったこと。おなかに爆弾を抱えた私は敬礼すらまともにできなかったに違いない…

 だからといって逃げるわけにもいかない。「すみませんが、おなかの調子が」と任務を休んだが最後、瞬く間にキャンプ中の笑い者。「新米中尉はまだ任務にもついてないのにたんまり漏らしちまったとさ」──考えただけで背筋が凍りつく。一度しくじったらチェルノブイリでの任務が終わるまでずっと「ああ、こいつが例の中尉か…」と後ろ指を指され続けるのだ…

 


 三日目にはいよいよ気力も尽きる。体のほてりと震えが始まり、周りの視線など一切気にかけなくなる。そしてただひとつの、重要かつ根本的な命題に全神経を集中する。

 絶対に漏らさないこと。

 偵察は〈冷却池〉☆4ルートだったが、すっかり憔悴し、装甲車の奥に陣取ると眠りこけたように身動きもせずじっと丸くなっていた。

 この日、私は初めて司令本部に入ることを許された。丸い判子を押しただけの真四角の分厚い通行許可証には名字のイニシャルが刻まれ、〈No.16〉以外は一切の識別がない(この許可証でどこへアクセスできるのか、ソ連の敵に筒抜けにならないように…)。入り口の見張り番をしている、みすぼらしく覇気のない〈パルチザン〉★2にこの許可証を見せて中に入る。なによりも先に取りかかるのは便所探し。本部は旧チェルノブイリ地区党委員会★3の建物を使っており、ここのトイレはプライベートな空間が確保されていることで知られていた──それぞれの便器は壁で間仕切りされ、前からは扉で閉まる。まさに夢心地… 独りだけの時間をゆっくり楽しんだ。
幸福感に満たされ──これっぽっちの皮肉も誇張もない──重力を忘れたかのような軽い足どりで偵察課に測定データを持っていく。

 十分後。

 ふと本部にも医務室があるはずだとひらめく。

 キャンプよりは整っているはず。胃腸薬だって置いてないはずはない。

 すぐに見つかった。窓のある小さい部屋。民間人の身なりで上品な匂いを漂わせる若い医者とやはりまだ若いウェーブヘアが印象的な看護婦が迎えてくれる。二人とも白衣…

「すみませーん」 私の履きつぶされて赤茶になった中古長靴とダボダボの制服は、この無菌空間とは対照をなしている。緊張しながら、なるべく丁寧に話を切り出す。

「どうもこんにちは。すみませんが、こちらに活性炭置いていませんか?」

 医師は会話を一旦中断し、近くをごそごそ探した後こちらに差し出した… といっても、夢にまで見ていた十錠入りのパックではない。そこからちぎり取った二錠分のシート。たった二錠!

「もっとありませんかね?」と問い詰める。こっちは今にも噴火しそうな火山を抱えているんだ…

「こんなにたくさん処方してはいけないんだが…」そういって医師はもう一枚シートを出してきた。

 1パック十錠で四コペイカの薬を合計四錠。ケチにもほどがある… この調子だと、くたばっていく患者をよそ目にソ連の軍事医療は永遠に不滅だろうよ。

 医師と看護婦は出し惜しみした薬を私に渡しながら、健康な者がそうでない者を分かったようなつもりになって小ばかにするあの目線を交わした… おまえらがクソ地獄に落ちろ!

 最後の力を(おなかを鎮めるのに!)集中させ、わざとゆっくり(やっとのことで自分の体を支えながら!!)、薬のシートを将校用の鞄にしまうと(本部でもらしちまったら、それこそ最後!!!)、にっこり微笑み、やせ我慢からこう言う。

「ほんとにありがとうございます。この活性炭を使わないと自家用酒(サマゴン)☆5を蒸留したときの匂いがとんでもなくきつくてね。おかげでいい仕込みができますよ。助かりました。仲間を代表して礼を言います。おふたりの健康を祈ってから盃を交わしますから」
 鞄のストッパーを閉めると、誠意を込めた眼差しで白衣の医師たちの顔を見上げた…

 ゆっくりと元気満々にドアを閉める。

 すっかり自惚れた表情の二つの顔がこちらを見送る… 現場の苦労を知らぬネズミ野郎、どケチな偽善者どもめ…

 連中の視界から出た瞬間、弾丸のごとくトイレを目指す!!!

 空きがない!!!!!個室はすでに満室。この旧地区委員会のトイレにとってこれだけの需要は想定外。このヤロー、不屈の精神で耐えるしかない。腹筋に力を入れ、なかで暴発し始めた手榴弾を押さえ込む。個室の前を爪先立ちで行ったり来たり。顔は硬直し、頭は後ろに反り返り、口はへの字。おまえら早く出ろよ! …恰幅のいい少佐が上着を引っ掛けながら出てきた。待ちに待った便器。それでも決して急いだりせず、まるでしぶしぶ個室に入るかのような憎い演技も忘れない… そして至福のとき…

 ことが済んだら、すぐに蛇口の水で薬二錠を体に流し込む… ソ連国防省特別対策本部のトイレはまだマシなほうだが、それでも悪臭がひどく、そこらじゅう汚物だらけ。ここの便器にこれほどの〈処理能力〉が必要になるといったい誰が想像できただろう…

 そしてまたしばらくすると脇目も振らずトイレへ一直線!!!

 終わって出ると体はガラスのように澄み切って、もしかして私の後ろには光輪が見えていたかもしれない。空っぽの腹はぐうぐう悲鳴を上げているが…(もう何日もまともに食ってない)

 十分後。またもや新しい〈レモン〉が… いつまで続くんだ!

 もういい加減にしてくれ!

 


 翌朝…

 おそるおそる瞼を開ける。

 よく眠れたようだ。穏やかな気持ちでテントの天井を見つめた。それでも用心して朝の食事はお茶だけにしておく。

 初めて行く偵察ルート…

 どうしたことか。毎分ごとの、あれがこない…

 昼食は借り物のスプーンで仲間の飯盒から食べた。自分の飯盒はまだ真新しく、べっとりついたグリースを熱湯で洗い落としていなかったから。

 キャンプで曹長から清潔な下着一式を受け取る。希望のない数日間だったが、ここに来て初めての風呂へ向かう…

 隠してもしょうがないので打ち明けると、この数日間で「あれ」はすでに何度か起こっていた。腹の執拗な締めつけにうんざりし、早い話ガスさえ外に出してしまえばと力を緩める… が、その瞬間、相手はガス状でないと感じ、一転して押し戻そうとする。とき既に遅し! …するりと滑り出る。こどもの時以来忘れてしまったあの懐かしい感覚… 時間が経つと身体の熱に温められて干からびていく…

 というわけで、ひと風呂浴びたあとの古い下着──薄手のズボン下と肌シャツ──は前者を後者で丁寧に包み込んでから、曹長が中隊の物品を管理しているテントまで持って行く。テントの隅には山と積まれた汚れた下着(その光景は『戦争の結末』☆6を彷彿とさせる…)。そこに下着の丸い包みを投げ込み、他人のものと混ざるのをわざわざ目で追って確認する。洗濯に出す前に数を勘定しながらひとつひとつ包みを解く曹長に私の仕業だとバレないように…

 晴々したと気持ちで曹長のテントを後にした。

 これで放射能への適応は完了だ。

(つづく)

★=原注、☆=訳注

 


★1 人口4.5万人のプリピャチ市のこと。当時はソ連でも屈指のモダンで美しい町だった。
★2 予備役から軍務に招集された者は「パルチザン」と呼ばれた。現役兵と異なり、さまざまな部隊で着回された中古の装備品が支給されたため、格好がパルチザン(ゲリラ)のように見えたのがその由来。
★3 共産党のこと。国の唯一の政党(もちろん与党)であり、事実上ソ連の国家統治機関だった。  
☆1 放射能汚染地域の調査を行うことを目的としたソ連の偵察車両(BRDM-2)。ガンマ線の影響から車内の乗員を守るため分厚い装甲が施されている。詳しくは第2話で。
☆2 チェルノブイリ原発から西へ2.5〜3キロに広がる森(主にマツ)。大量の放射性降下物の影響で木々が枯れ、森全体が赤茶色に見えたことからこのように呼ばれた。事故後の除染作業で汚染林は重機で根こそぎ伐採・埋設された。チェルノブイリ原発事故で最も汚染された地域のひとつとして知られる。
☆3 安価で一般的な胃腸薬。ソ連版正露丸といったところか… 下痢や消化不良、ウォッカの飲みすぎにも効果。
☆4 チェルノブイリ原発の原子炉冷却のために作られた人工池。
☆5 活性炭の吸着剤としての性質を活かし、自家用酒を蒸留するときに不純物の除去に使われたりもするようだ。
☆6 ワシーリー・ヴェレシャーギン(露、1842- 1904年)による絵の題名。戦場に残された頭蓋骨の山を描いた。

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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