チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(5)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年4月16日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.11』
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第15話 タバコを始めた理由(後半)



(前半のあらすじ)
 
愛用の偵察装甲車が修理に出されたため、新米の運転手を連れて別の車で偵察に出発したセルゲイ率いる放射能偵察小隊。しかしその装甲車もゾーンからの帰りに故障、他の車に牽引されるはめに。任務を終えてゾーンから出ようとする放射能偵察隊の前に立ちはだかるのはPUSOと呼ばれる放射能検査・除染所。3回の洗浄後に放射能が基準をクリアしなければ、車は没収されて〈墓場〉送りに。つまり明日から乗る車がない。セルゲイは責任者と話をつけようと放射能検査所の中尉のところに向かった…
   中尉はタバコを吸っていた。とりあえず一本付き合う… ひと言ふた言言葉を交わす… いわゆるパルチザンで外の世界では化学関係の職についていたらしい。ドニエプル(ドニエプルペトロフスカ)の出身という。私もちょうど最近そこで開催された会議に参加したことがあるんだ… そんな話をしながら装甲車と偵察の状況について先方に説明する。  中尉からはぶっきらぼうな返事。 「明日偵察に行くための車がないのはよく分かる。でもそんなことしたら、おまえらのせいでおれが上司から大目玉を食らうことになるんだ」 「なんでだい?! おれたちを見逃してくれればいいんだ。もう3回も洗ったんだ。もういい加減勘弁してくれよ… おれたちはたったゼロコンマ数ミリレントゲン高いだけなんだから! 1.5だろうが、1.6、1.7だろうが大差ないだろう?」(≒15~16μSv) 「でも1.9には…」 「同じだよ。そんなの取るに足らないじゃないか! いったい誰にバレるっていうんだ?」 「次のPUSO、ゾーン出口の〈ディチャトキ〉の検査で分かるに決まっている。おれが旅行書に書いた線量より高いってね。そしたら呼び出しを食らうのはおれのほうだ!」
「〈ディチャトキ〉で止められることはない。知らないのか、あのPUSOは民間の車を相手にしていて、軍関係の車両が止められることはないんだ…」

「でも、もし…?」

「心配いらない」

「でもそれこそ、もしもの場合?」

「そんなら、そこを通らなければいい話さ…」

「どうやって?」

「そんな当たり前なこと聞くなよ… ぐるっと迂回すればいい」

「どうやって?」

「森を通るんだ… いいか、そこから先はもうお前には関係ない。おれたちの問題さ」

「それでもとっ捕まったら?… 待て、ちょっと考えさせてくれ」中尉の声のトーンが変わった。希望が湧く。いいぞ、おれたちの味方だ。なんだかんだ言って何か妙案が浮かんだんだな!「いいかよく聞け。熱湯で洗えばおまえの車の洗浄は2回で終わるぞ!」

「よし、やろう!! それで、いつだ!?」

「明朝11時頃から」

 ありがとう、と言いかけて言葉を飲み込んだ。「『明朝11時』だって?もう偵察に出ている時間だ」

 中尉を味方につけようと最後の説得を試みる。

「おれたちは第25連隊、知ってのとおり宿営地はゾーンからたった5キロのところでそれより先はどこにも行くはずがない! おれたちがいったいどこにこのゼロコンマ数ミリレントゲンを撒き散らすっていうんだ?」

 中尉のなかの理性は影を潜めてしまった。だめだとばかりに首を横に振る。
 それでも望みは捨てない。おれたちにはまだ奥の手がある…

「しょうがないな」と私はつぶやく。「それじゃあ、おれたちの旅行書にそこで測った線量を書いて〈チェルノブイリ市に処置する〉とか書いてくれ。車ごとチェルノブイリ市に帰るから」

「おいおい、冗談も休み休みにしてくれ! 〈チェルノブイリ市に帰せ〉だって! どうせ遮断機を越えて少し行ったら車列ごと左にターンしてゾーンからとんずらしようと企んでいるんだろうが…」そう言って中尉は紫色の判子が押されたくすんだ灰色の紙──それこそが我々の装甲車両の旅行書なのだが──を持つ手を強く握りしめた。ひと筋縄ではいかなそうだ…

 旅行書とは、国家の車両(この場合は軍用車両)が部隊の外で移動する権利を保障する文書で具体的な期間が書かれている。PUSOから旅行書を持たずに逃げることなど不可能。軍事交通警察に見つかったが最後… PUSOが旅行書を然るべき部署に送りつけ、誰がどうやってPUSOから汚染車両に乗って脱走したのかと、交通警察、軍事検察だけでなく、おそらく特務機関も巻き込む前代未聞の不祥事となるのは火を見るより明らか。我々の大隊やPUSOの次元を越えた話となる… それに加え〈ゾーン脱走撲滅キャンペーン〉にひっかかりでもしたら! とんでもないお咎めを受けるはめに! しかも長い間、場合によっては残りの人生の全期間にわたって・・・

 あの灰色の紙一枚さえあればこっちの思う壺なのに…! 最初の除染で放射能検査をパスできなければ運転手からすぐに旅行書を取り上げるのにはそうさせないためだったのか… 中尉はしっかりとその手に旅行書を持っている… 運悪くしっかりやつが当たってしまった。

 悪あがきしても無駄だろう。

 PUSOとこれほど深く関わりあうのはこれが初めてだ…

──PUSOの洗車を待っている間、タバコをくわえたまま、ただ悲しい気分に浸るのではなく、純粋な好奇心から敷地内を歩き回ってみた・・・

 あきらめの溜息混じりで言う。

「もういい。あんたが仕事熱心なことはよく分かった。おれたちの愛車にも墓場行きと書いてくれ…」

「いいか、除染は定期的にするもんだ」中尉は教え諭すように答えた。

 そして私たちの旅行書に書き込む。「3回の処理後の放射線量は…(何枚もあるすべての旅行書に! 私たちの車の1台たりともPUSOが通行を許可する線量、毎時1.5ミリレントゲン以下まで除染することはできなかった…)機材置き場に処置する。PUSO〈ルドニャ・ヴェレスニャ〉放射能検査班長、階級、署名、名前…」

 書きたければ書いたらいい。好きなだけ…

 ふと出口の水平遮断機のバーの向こう側に目を移すと、何台もの車が幹線道路を走っているではないか! ゾーンの外に…
 今となっては私たちは急いで向かう先もない。〈墓場行き〉前の厳かでやるせない時間・・・ 私は、悲哀とともに〈我々の力が及ばぬ大自然への畏敬〉のような表情を作っていた。そのときPUSO〈ルドニャ・ヴェレスニャ〉放射能検査班長の手から旅行書の束が…

 …私の手に渡された。

 一瞬なにが起きたのか分からなかった。

 気がつけば旅行書はしっかりと自分の手中にあるではないか。

 急がずに車列沿いに〈許容線量を超えて汚染された〉装甲車の運転手に旅行書を配って歩く。

 声を低めて運転手ひとりひとりに二言三言ささやく…

 各車両の運転手と隊長はうなずいてみせた。PUSOの退屈さからすっかり精彩を失った目がみるみる好奇心に満ち溢れてきた。もっぱらその関心は車列を指揮する私の人生はどうなってしまうのか、この事件がどういう顛末を迎えるのかだろう…

 私は持ち場に戻ると先頭の装甲車によじ登った。

「かくじー、もちばにつけー!」

 BDRMの車列が動き始める。遮断機からくるりと向きを変えると、かなりのスピードで密集形態を崩さずに、墓場、すなわち有刺鉄線で囲われた〈機材置き場〉へ向かう。墓場を巡回する見張り兵は腰元にカービン銃、背中越しに銃剣というお決まりの装備…

──客を迎えるように開け放たれた有刺鉄線のゲート前を通り過ぎる! さらに有刺鉄線のフェンスもやり過ごす! フェンスの向こうにはさまざまなトラックやバスがひしめき合っているがBRDMは一台もない! こっちだってその仲間に加わるつもりは毛頭ない!… どんどん進む! 向かう先は有刺鉄線と人工林の間にできた穴! 抜けた! 装甲車の車列は一糸乱れずこの隙間を通ってPUSOから抜出する…

 見張り兵はじっとこちらを見ていた。

 銃にはきっと実弾が込めてある…

 心配には及ばない。軍隊規則は〈衛兵は持ち場(警備する施設)もしくは衛兵自身に攻撃されたときのみ発砲できる〉と定めているから! 私たちは襲いかかっていくわけではない! あくまで〈平和主義〉に徹する! 向かっていくどころか、どんどん離れていく…!

 よく見れば〈機材置き場〉と人工林の隙間にははっきりと轍ができている。私たちが最初ではない証拠…

 墓場の有刺鉄線からはかなり遠ざかった!
 その先は送電鉄塔を目指す。高圧線の下、伐採跡を進むと深い窪みが! 牽引される248号車は大丈夫か? 切り抜けた! 今度はばかでかい切り株、ごつごつした根が地面のあちこちに…乗り越えて進む! ぬかるんだ道に入り、タイヤが跳ねる。通り抜けた! だんだん乾いて平らに… そしてついに硬い、平坦な地面に。乗り切った。

 私が乗る先頭車は幹線道に出ると、少し進んでから停車した。

 ハッチの上から、ほかの装甲車が伐採跡地から這い上がってくるのを見守る。1台、2台と路上に出て列の後ろに整列していく… 全車そろった。

 こうしてひとつのPUSOを迂回した。

 次に待ち構えるPUSOは〈ディチャトキ〉…

 このまま行くべきか? もし例の中尉が異常なほどの仕事熱心あるいは手玉に取られた悔しさから通報していたら?

 森を通ってPUSO〈ディチャトキ〉を迂回すべきか…?このお荷物の牽引車と一緒に…?しかも半人前の運転手と?

 さてどうしよう?

 私の後ろではチェルノブイリ・キエフ間の道路の路肩で装甲車の一団が指示を待っている。隊員たちは装甲車の外に這い出て一服しながら、たったいま体験した珍事について話が盛り上がっている。一日の勤務時間も終わりに近づいた時間帯、いつなんどきチェルノブイリ市から帰るお偉方の車が通りかかって、疑わしい偵察隊の車列が彼らの目に入っても不思議じゃない…

 さてどうしよう?

 よく考えなければ…

 運転手のコーリャはタバコの箱を取り出すと、ちらっとこちらを見て1本投げてよこした。私はちょっと考えた後それを口元に運び、コーリャのマッチで火をつけてもらった…
 
 
──その日、私たち全員が無事にキャンプたどり着いたとき、私は喜びのあまりコーリャや仲間たちと一緒にもう二、三本のタバコを吸った。

 もう数本。

 そしてまた数本。

 翌日、チェルノブイリの町でタバコを1箱買う。

 それ以降毎日1箱ずつ買うようになった。

 この他に予備で買っておいた分もあったが、それも気がつけばなくなっていた…

 チェルノブイリでの勤務中に〈PUSO機材置き場〉を体験することはなかった。

<というのも、私のときに小隊で〈PUSO機材置き場〉処置になった車は一台もないから。一回も。

 


 でも、チェルノブイリで自分の体力や健康をもっとも奪ったのは何かと尋ねられれば、迷わず答えるだろう。それは

──PUSOとの戦いだと。

第16話 幸運とは



抵抗力のある人間ほど比較的少ない損傷で生存できる可能性が高い。
他方いかなる個人的な資質も完全な安全を保証することはない。
惨事で人が無事に生き残るのは何よりもその人の運の強さ、幸運が原因である…
Herman J.L. Trauma and Recovery. New York, Basic Books, 1997.P.59-60.



ソ連政府発表

1986年7月28日、チェルノブイリ原発事故処理に参加する主要部隊のひとつにおいて強い爆発が起こりました。チェルノブイリ原発事故処理に特別召集された複数の軍人が死亡、あるいはさまざまな程度の怪我や火傷を負いました。犠牲者の数は現在確認中です。

現死亡者の特定作業が進められ、負傷者にはキエフ州の30キロゾーン隣接地区に配置された部隊の医療部門やキエフ州の隣接地区の中央病院、キエフ市の医療機関がその救護にあたっています。事故原因究明のための委員会も設置されています。
 

 私から1.5メートル離れたところ、緑の装甲に丸い穴が開いている。BRDMのガソリンタンクの給油口だ。その口からはピストルのような形のノズル、薄灰色のアルミ製の管が突き出ている。

 5トンのガソリンを積んだ給油車がその横につけている。二つの車両をつなぐ太い波形ホースがどくどくと脈打ち、透き通った黄色い液体燃料を汲み上げる。
 タンクの給油口からガソリンが揮発して舞い上がり、ゆらめきながら空気に層を作っていく… この引火の危険のある気体の流れに向かってゆっくりと飛んでいくもの…

 …火のついたマッチ。
 
 
 私の勤務時間が終わった。

 偵察ルート、本部の上司、PUSOすべてを片付けた。線量も測ったし、データも提出した。被ばく線量の記録にもサインした。装甲車をゾーンから引き揚げ、路上でVAI1に止められることもなかった(我々の車列は時速100キロでキャンプ目指して突っ走っていたから止めるにも止めようがなかったのだろうが)…

 仕事は全部片付いた。

 なんとか無事に。

 私たちは帰ってきた。

 家、つまりはキャンプへ。

 コーリャがエンジンを止め、私はハッチから自分のかばん、ジャンバー、飯盒を外に出すとハッチの縁に手をかけてよいしょとBRDMの上に這い上がった。

 車のタイヤで踏み固められた土の道路の路肩にできた長蛇の列に並ぶ。他の大隊の同じようなガソリン給油車にもBRDM、トラック、消防車、バスが大群をなして行列を作っていた。太いホースが脈打つ…

 道路右手には有刺鉄線を挟んで車両整備場が見えるが車の姿は疎ら。みんな給油に出ているということ…今日は帰ってくるのが早かったようだ。

 左手の野原の向こうには宿営キャンプ。テントの列が森まで広がっている。その森の外れにはバーニャのテントが立つ… やっと風呂に入れる… 運がいい。

 昼の勤務は完了。夜も仕事にいるようなものだが。私の肩越しに橙色のあたたかな夕日が沈みかけている…

 帰ったらまずはシャワーを浴びようか… その後はまっさらな下着、新しくて柔らかな足布… 夕飯… 清潔なベッドシーツが待っている… 考えただけで胸が弾む。
 私は満足げに深く息をついた。

 タバコとマッチを取り出し、火をつける。

 そしてマッチをぽいと捨てた。

 生きるってすばらしいこと!
 
 
 …オレンジ色のマッチの火が蓋を開けたままのガソリンタンクの方めがけて飛んでいく…

 …そしていつものように落ちる。BRDMと給油車のタンクの間へ。
 
 
 私はそのまま吸いさしのタバコを最後まで吸った。

 ガソリンタンクにノズルを突っ込んでいたコーリャや給油係のスラヴィクが私に対して放った言葉、それに対し私がつぶやいたことをここで繰り返すことはしない…

 しかし私や他の隊員たち、スラヴィクや給油の仲間、第25部隊で給油する側も、給油してもらった側もその静かな夏の夜は信じられないほど運がよかった。

 それゆえに、もうひとつの〈ソ連政府発表〉が1986年のソ連の新聞に載ることもなければ、チェルノブイリの動向に神経を尖らせていた世界のメディアに配信されることもなかったのだ…

 恐れていたことは起こらなかった。

 そう、何も起こらなかったのだ。

 運のおかげで。

 四六時中働いているのに目には見えない、とても単純な原理。

 それがあるからこそ、この世は

 生きるのに適している。
 

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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