チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(10)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

初出:2014年7月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.17』

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第32話 映画

「あらゆる芸術の中で我々にとって最も重要なのは映画である」

 ウラジーミル・イリイチ・レーニンの名言である☆1

 チェルノブイリのキャンプにいる者なら誰もが同じことを言うだろう。

 映画はキャンプの住人が楽しみにしている娯楽である。とはいえ、他に娯楽がまったくないわけではない(原発や偵察の仕事そのものを楽しむ者もなかにはいる)。

 最初に次のような場面を思い浮かべてほしい(若僧のときにゾーシチェンコ☆2の著作で読んだ話だ)。大祖国戦争期☆3、映画制作者が出来たばかりの戦争映画の作品を前線に持ってきた。大盛況になるだろうという期待に胸を膨らませて。でも兵士たちは戦争を見せられることに喜びを覚えていたわけではない。本音では戦争には辟易し、なんでもいいから別のものを見たいと思っていた…… よかれと思い戦争映画を持ち込んだ連中の落胆ぶりは想像に難くない。

 チェルノブイリで映画を観るたびにいつも、この話を思い出した。

 そして思い出すたびにうれしくなった。チェルノブイリは見事に期待を裏切ってくれたからだ。

 映画はキャンプの閲兵ラインの向こう側で上映された。

 第25旅団のキャンプは巨大だ。作業員が住むテントが数列に分かれて延々と続く。テント前には将軍が兵卒を閲兵するための帯状の線(きれいに整地された玄関前道路のようなもの)があり、さらに向こうは松林への入り口となっている。

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1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

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1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。

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