「ポスト」モダニズムのハード・コア――「貧しい平面」のゆくえ(1)|黒瀬陽平

初出:2015年6月12日刊行『ゲンロン観光通信 #1』

 古仏研究者の井上正は、飛鳥美術を代表するふたつの仏像、《法隆寺夢殿観音菩薩立像(救世観音)》(図1)と《法隆寺金堂釈迦三尊像》(図2)を比較しながら、「両者の違いは、そのまま、当時の大陸からの伝統様式と、それを学びつつ出来上がったわが国の様式との違いを物語るもの」であると書いている。

【図1】 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

【図2】 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 よく知られているように、《救世観音像》は聖徳太子の等身像と言われ、太子の怒りを怖れるあまり長い間、何人たりともその姿を見ることを許されない秘仏であったが、明治17年(1884年)にフェノロサと岡倉天心によって開扉された。その造形は確かに、太子の怨霊伝説を物語るかのように、アルカイックでミステリアスな雰囲気に満ちている。とはいえ、《救世観音像》の重要性は、そのようなエピソードにのみ帰せられるわけではない。井上によれば、《救世観音像》こそ、古代中国美術に流れる「気」の思想を体現する最高のサンプルであるという。

 気の思想とは何か。紀元前2世紀、淮南(わいなん)王劉安が編纂した百科事典『淮南子(えなんじ)』の天文訓には、混沌から虚空が生まれ、虚空から宇宙が生まれるという世界創成のヴィジョンが記されているが、宇宙から生まれるものが気であり、気こそが万物創世において最も重要な因子であると考えられていた。井上は、淮南子の思想を受け継いで展開した北宋時代の程伊川(ていいせん)や、南宋の朱子の理論を参照しながら、次のように要約している。

 「気」は万物創成の根源を成す眼に見えない因子で、「気」の多く集積するところに聖なるものが生まれ、凡庸なものには「気」は薄かった。「気」はものの本質であり、眼に見える形は現象であった。霊山、神仏、霊獣、瑞鳥などは、いずれも「気」の密なる集積によって成ったものであり、ひとたび形を成したのちには、新たに「気」を発し、次なる創造に大きく作用する存在であった★1

 古代中国美術は、「雲気文」に代表されるような表現として気を視覚化し、独自のボキャブラリーを育んだのである。このような気の思想は、インドから伝わった仏像に対しても適応され、インド風の肉感豊かな造形はやがて、全身から気を発する痩身の像に変わっていったのだ。

 《救世観音像》はまさに、最高度に達した気の表現によって生み出された作例にほかならない。透彫金具の宝冠と光背に見られる文様は、C字形と半C字形、S字形を複雑に絡み合わせた雲気文であり、比類なき成熟度を誇っている。外側へ向かって3度巻き上がる両肩の垂髪。鋭く、重力に逆らうように左右へ張り出している天衣。そして、それらのすべてが厳格な左右対称を成す構成は、着衣や領巾を鋭くデフォルメすることによって気の「発散」を暗示する表現技法である。

 一方、《釈迦三尊像》の造形はどうだろうか。光背、垂髪、天衣、どれを取っても《救世観音像》に比べると著しく単純化されている。左右の脇侍菩薩立像の光背に見られる文様は、《救世観音像》にも見られる火焔のパターンや、S字形雲気を絡ませた連続文などが模倣されているが、その複雑さは及ぶべくもない。要するに、日本の止利(とり)仏師が作ったことの明らかなこの《釈迦三尊像》には、古代中国からの気の思想と、そのイコノロジーに対する理解が欠落しており、形の模倣にとどまっているのである。

 しかし、井上は、《釈迦三尊像》の真価を見極めるためには、別の観点からの分析が必要であると主張する。別の観点とは、「フレームのなかの造形」と名付けられるものである。井上による図解を見れば明らかなように(図3)、まず、中尊本体をすっぽりと納める二等辺三角形があり、その二辺を延長させてゆくと、下座までを納める相似形二等辺三角形が現れる。さらに、この中央の二等辺三角形を軸として、その外側に教示菩薩立像を含む、より大きな二等辺三角形が現れる。このように、《釈迦三尊像》を手がけた仏師止利は、複雑に過ぎる気の表現のかわりに、計算され尽くした幾何学的構成によって造形的調和を獲得しようとしたのである。

【図3】 図2と井上正の図解をもとに作図

 〈夢殿観音〉に比較して、顔は迫力と神秘感を弱め、脇尊の「気」の発散を表す垂髪や天衣衣端の撥ねは力弱く、また光背の輪郭も剛直な感じが強く柔らかみを失っている。このように本像が大陸伝来の様式をもとにしてこれに迫りながらも、半歩及ばない点がみられるのに対し、以上に記したフレームによる造形の筋を徹底的に試みることにより、大陸には存在しない止利仏師独自の境地をひらいたことは、賞讃に値する★2

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1983年生まれ。美術家、美術評論家。ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校主任講師。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。2010年から梅沢和木、藤城噓らとともにアーティストグループ「カオス*ラウンジ」を結成し、展覧会やイベントなどをキュレーションしている。主なキュレーション作品に「破滅*ラウンジ」(2010年)、「キャラクラッシュ!」(2014年)、瀬戸内国際芸術祭2016「鬼の家」、「カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇『百五〇年の孤独』」(2017-18年)、「TOKYO2021 美術展『un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング』」(2019)など。著書に『情報社会の情念』(NHK出版)。

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