革命・アート・カーニバル――ウクライナ・ユーロマイダン運動と芸術家のまなざし|アレクサンドル・ロイトブルト インタビュー 聞き手・翻訳=上田洋子

初出:2015年06月12日刊行『ゲンロン観光通信#1』

芸術といま


上田洋子 今日はお時間をいただきありがとうございます。

 ロシア人キュレーターのマラート・ゲリマン★1が、近未来のヨーロッパを描いたウラジーミル・ソローキンのディストピア小説『テルリヤ』★2をテーマに美術展を企画していましたよね。ロイトブルトさんが作品を作ることになっていたと思います。あの企画はどうなったのでしょう。

アレクサンドル・ロイトブルト たしかにそういう企画がありました。しかし、アクチュアリティを失ってしまいました。ゲリマンはロシアを離れ、モンテネグロに活動拠点を移しました。わたし自身、その後ゲリマンからモンテネグロにくるよう何度も招かれているのですがね。

上田 とはいえ、展覧会用に作品をいくつか準備されたのではないですか。ゲリマンのフェイスブックで拝見しました。

ロイトブルト ゲリマンからオファーがあったときに、過去の作品を送ってみたんです。『テルリヤ』に併せて制作したものではなかったのですが、小説の感覚とマッチしたようです。

上田 ネットにもろに表出してくるようなベタな欲望を持った人々が、それぞれの小さな国でまったくばらばらに生活しているありさまを数珠繋ぎ的に描いたソローキンの『テルリヤ』は、いまの世界の空気をとてもよく表しているように思われます。『テルリヤ』が出版されたのは2013年10月ですから、ウクライナの革命運動ユーロマイダン★3はその直後に始まったことになりますね。ロイトブルトさんの作品も、マイダンの状況を先取りしていたように見えます。

【図1】アレクサンドル・ロイトブルト「旗を掲げるひと」2014年 (c)Александр Ройтбурд

 

革命直後の大統領邸宅


上田 昨日、メジヒーリエのヤヌコーヴィチ元大統領の邸宅★4を見てきました。ロイトブルトさんは「メジヒーリエ法典」★5という展示をキュレーションされていますね。ヤヌコーヴィチ邸に残された美術品・調度品から構成した展示です。この展示に関しては、ネット上でかなり話題になっていました。また、ロイトブルトさんが共同キュレーターのアリサ・ローシキナ★6とロシアの演劇誌「テアトル」に寄稿された論考「マイダンとメジヒーリエ――二つのスペクタクルの社会」★7では、展示のコンセプトが述べられていますね。ロイトブルトさんの活動は、今回のウクライナ訪問でわたしたちがヤヌコーヴィチ邸を訪れる大きなきっかけとなりました。展示について少しお話をいただけますか。

ロイトブルト 「メジヒーリエ法典」展のことをお話しするのは簡単ではありません。わたしはヤヌコーヴィチ邸には一度行っただけで、二度と行きたいとは思いません。とにかくいやな場所でした。

 わたしがそこに行ったのは、ヤヌコーヴィチがウクライナから逃げた2月22日のことでした。この日、ヤヌコーヴィチ邸にトラックが何台も着けられているとの報道がありました。知り合いのジャーナリストから、いますぐ学芸員にきてほしいのだとの連絡を受け、キエフの美術館で働いているアリサ(ローシキナ)とメジヒーリエに行ったのです。この日は大量の車がヤヌコーヴィチ邸に向かったため、ものすごい渋滞でした。表の入り口から入ることはできず、裏の検問所からなかに入りました。ヤヌコーヴィチ邸をコントロールしている百人隊長を名乗るひとから何度も電話がありました。百人隊とは、マイダンの自警団です。だいたい100人ずつの小隊に分かれていたので、この名前がついた。ウクライナ・コサックの用語を踏襲しています。ヤヌコーヴィチ逃亡後、その邸を占拠したのはマイダンの過激派でした。

 彼らにはヤヌコーヴィチ邸を博物館にしたいという意図があり、調度品などが盗まれるのを恐れていました。だから美術館の学芸員を呼んだのです。わたしたちはやっとのことで門までたどり着きましたが、立ち入り禁止だと言われた。守衛に事情を説明して、関係者に連絡を取ってもらい、やっと入ることができた。門のところには送迎車がいて、入場許可の出たひとたちを集めて、それぞれ目的の建物まで送ってくれました。敷地内には建物がいくつもあるのです。

 わたしたちのほかに、犬の調教師やダイバーが呼ばれてきていました。ヤヌコーヴィチ邸を逃亡後に屋敷を占拠し、管理をはじめたのは田舎の素朴な若者たちでした。いま、なにが重要で、だれをなかに入れるかを彼らが決定しているわけですが、彼らにとってダイバーはどうやらもっとも重要らしい。敷地内の湖や川に隠したものがあるからだとのことでしたが、もう夜でしたから、なにも見えないはずでした。調教師は、犬好きのヤヌコーヴィチが飼っていた高級犬のために呼ばれた。結局、明日餌をやればいいだろうという話になっていました。

 わたしたちは、荷物を積んだトラックが停まっているガレージへと連れて行かれました。


★1 1960年生まれのロシアの画商、社会評論家、アートマネージャー。ソ連崩壊後、ロシア初の画商として、ロシア現代美術を世界の市場に流通させた。宗教のテーマを扱った「ICONS」、アルテ・ポーヴェラをロシアの文脈で再解釈する「ロシアの貧しいもの」など、数々の大規模な展覧会を開催。また、地方都市での現代美術館を中心とする文化都市計画推進、インターネットでロシア芸術家名鑑を作成するなど、国内での現代美術の隆盛に大きく貢献している。近年は保守化するロシアで、活動の場所を失い、現在はモンテネグロのブドヴァでロシア芸術センターを創設。ロシア現代美術の生き残りに力を尽くしている。『ゲンロン通信』#14に東浩紀によるインタビューが掲載されている。
★2 2013年にロシアで刊行された長編小説。『早稲田文学』7号に松下隆志氏による抄訳と解説が掲載されている。
★3 2013年11月にはじまったウクライナの革命運動。「ユーロ」はヨーロッパのこと、「マイダン майдан」はウクライナ語で広場を意味する。ウクライナは1991年の独立以来、ロシアとEU、どちらと近い関係を取るのか揺れつつも、EU加盟を目指していたが、2013年11月21日、親露派の大統領ヤヌコーヴィチが、ロシアの圧力下でEUとの連合協定の署名手続を凍結。怒ったキエフ市民が市中心部の独立広場に出て抗議集会を行ったのがユーロマイダン運動の始まりである。政府側と反体制勢力の武力衝突をきっかけに運動は激化していく。2014年1月16日には、集会や言論、情報収集などの自由を制限する一連の法律が国会で可決され、マイダン側はこれを「独裁者の法律」と呼んで強く非難。1月22日のグルシェフスキー通りでの武力衝突では、マイダン側に犠牲者が出た。2月18日の大規模デモから、政府の武力行使にも容赦がなくなり、死者が二桁に。2月20日には独立広場横のインスティテュトスカ通りで、通りと広場に面したホテル「ウクライナ」の上層階からスナイパーが一般市民を銃撃し、多くの死者が出た。結局、2月22日に政府が反体制派の要求を呑むかたちで合意に達したが、その後、極右の右派セクターがヤヌコーヴィチ大統領辞任を要求し、再び混乱が始まる。結局、ヤヌコーヴィチ大統領は同2月22日にキエフを脱出。2月27日にはウクライナ暫定政権が樹立した。
★4 ヤヌコーヴィチ前大統領の邸宅はキエフ郊外のドニプロ河畔の保養地メジヒーリエにある。広大な土地には、数多くのシャンデリアや高級家具はもちろん、専用マッサージルームやほぼ未使用のスポーツジムなど、無意味なまでに贅を尽くした屋敷、高級自動車のコレクション、露天風呂を模したガラス張りの野外風呂など、とにかく金をかけた施設が並ぶ。2014年2月にヤヌコーヴィチが逃亡してからは、ユーロマイダンの過激派が占拠し、勝手に管理して博物館として公開している。
★5 2014年4月から7月にキエフ国立美術館で開催された展覧会。ヤヌコーヴィチ邸の調度品を絵画から日用品まで、「時の書」「水の書」「光の書」など、テーマごとに分けて展示した。たとえばつぎのサイトでは展覧会の写真が複数公開されている。http://culture.lb.ua/news/2014/04/26/264507_natsionalno_muzee_otkrilas.html
★6 ジャーナリスト、文化学者、キュレーター。ウクライナの美術雑誌「Art Ukrine」の編集長で、ムィステツキー・アーセナル美術館副館長。
★7 「テアトル」のサイトで展示作品の画像とともに全文が公開されている。http://oteatre.info/majdan-i-mezhigore/#more-11520


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