初出:2015年11月13日刊行『ゲンロン観光通信 vol.6』
この夏、一連の奇妙な画像群がインターネットを席巻した。
「話題のディープラーニングを搭載」という売り文句を提げ、「Deep Dream」と名付けられたグーグルのプログラムが吐き出すそれらの画像群は、控えめに言っても目玉と犬と鶏の頭を繋ぎ合わせた不出来なゴシック趣味の絵画としか言いようがなかったが、ネットの一部では「ポスト・インターネットのアートだ」と呼ぶ声もあり、一般層のディープラーニングへの高い期待を感じさせる出来事であった。
それとほぼ時を同じくして、AIが社会に与えるインパクトについてのいくつかのレポートが提出されると、ここ数年のスティーブン・ホーキングやイーロン・マスクらの発言が引用され、にわかに“人工知能脅威論”がネットの別の領域に漂うようになった。
「僕ははじめて、松尾さんがいかなる抵抗にあっているのかを理解しました。みんなすごく怖いんですね」
イベントの終盤、質疑応答の途中で登壇者の一人、東浩紀が漏らしたひと言だ。
その日、質問に立った観客の多くが異なる言葉で、けれど同じ問いを登壇者たちに投げかけた。
要約すれば「人工知能はディストピアをもたらすのか?」。
……そう、みんな何故だか怖いのである。人工知能が。もしくはディープラーニングが。
あるいはそれが載せられるであろう、自動運転車やロボットや、未来のコンピュータが。
異口同音に同じ質問が繰り返される程度には。
しかし、人工知能の存在する世界にはそんなに悲観的な未来しか有り得ないのだろうか?
そして、ディープラーニングがわれわれにもたらす影響はそんなに小さなものだろうか?
イベントの残り時間を、視線を時計に移して確かめながら、あの長かった“冬”のことをまた思い出していた。
本レポートが紹介するのは、去る10月20日、ゲンロンカフェにて行われた人工知能学者・松尾豊と哲学者・東浩紀のトークイベント「人工知能はどこまで社会を変えるのか」である。
このイベントは、今年の理工学書、最大のベストセラーの1つである『人工知能は人間を超えるか』(KADOKAWA/中経出版)のヒットを受けて、著者の松尾を招き開催された。
工学者と哲学者という文系理系のふたりの“異種格闘技”によって、現在の人工知能研究やディープラーニングそれ自体が持つ哲学的な意味付けについて、いかに議論が深められるのかという期待に、客席も盛り上がりを見せた。これを記している筆者もまた、興奮しつつイベントの開催を待った一人である。
1984年東京都生まれ。劇作家・舞台音響家。劇団粋雅堂主宰。東京工業大学修士課程卒。専攻は知能情報学。大阪大学基礎工学研究科特任研究員。現在は人型ロボットの研究に従事。研究・演劇活動の傍ら、青土社『ユリイカ』誌、太田出版『Quick Japan』誌等に執筆。