「ふと振り返ったら、とても遠くまで来ていました」――新芸術校第1期成果展『先制第一撃』レポート|今井新

初出:2016年3月18日刊行『ゲンロン観光通信 #10』

 
 こんにちは。ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校、カメラマンの今井です。動画よりもひと足先に、メルマガにて新芸術校第1期成果展『先制第一撃』の様子をレポートします。

 このレポートは作家個人のプライバシーに踏み込んだ内容となっていますが、これらの情報については成果展当日のステイトメント等で作家自身が発表しており、この原稿で公開することについて事前に承諾を得ています。

第1会場(ゲンロンカフェ) 撮影=編集部
 

浅田彰、夏野剛、岩渕貞哉各氏を迎えて行われた講評会の様子。この講評会はニコ生で無料中継され、視聴者の歯に衣着せぬコメントを会場の受講生も見ることになった。 撮影=編集部
 

教室全体で起きる波


 初めからこう書いてしまうと誤解を生むかもしれませんが、「先制第一撃」は1年間を通して生徒全員でコツコツと積み重ねた到達点としての展覧会というよりも、2016年の年明けから2月末までの怒濤の流れを経て到達した展覧会でした。その道のりは決して、始まりがあるから終わりがあるだとか、一歩ずつ足を踏み入れて頂上へ到達するなどというように言い表されるものではなく、常に波乱万丈で「駆け上って転んで谷に落ちて、這い上がっていたら濁流に飲み込まれるも、気付いたら自分は滝を上って頂上を目指していた」くらいの例えがちょうど良いでしょう。

 新芸術校の授業のカリキュラムは1年を通して綿密に組まれたものです。しかし新芸術校には、そのカリキュラムの流れとは別にもうひとつの流れが存在しました。それは生徒全体の盛り上がり、言わば「教室で起きる波」です。

 新芸術校の生徒たちは、美大卒から美術教育を受けた経験のない人まで様々な立場でしたが、全員、共通のハングリーさを持っていました。それは「現状に決して満足せず、己の表現手法をさらなる高みへ到達させたい」という欲求で、幾分の孤独も含んでいると思います。そんな人々がひとつの教室に集まったことで己の境遇と似通った仲間を得た喜びと同時に、それ以上の対抗意識に燃え上がり、春から夏にかけては毎月出される課題で生徒たちは常に競い合っていました。そうしてカリキュラムを燃料に教室は沸き上がり、ひとつの「波」を起こしていたのでした。

 しかしその波は中間発表を過ぎ、後期の授業が始まるあたりで少し落ち着き、生徒たちはみなそれぞれ自分の制作に壁を感じ、悩むようになりました。互いの力をある程度把握してしまったからです。自分もまわりもどんな作品が提出されるのかわからない中で全力を出さざるを得ない、そんなかつてあった緊張感はなくなり、モチベーションが少し停滞した時期もありました。そうしているうちに年が明け、危機が訪れました。

 それは新芸術校第2期募集に全く人が集まらないという、新芸術校の存続に関わるレベルの危機でした。そうした廃校の危機を乗り越えられたのは、端的に言ってゲンロンの追加宣伝や、ゲスト講師の方々による呼びかけのおかげでした。この危機を知った生徒たちもSNS等によって宣伝をすすめ、その結束によって停滞も緩和され、気が付けば成果展へ向けて作品を作らざるを得ない状況ができあがっていたのでした。

成果展に至る様々な道のり


 具体的には、宮台真司さんの課題と、卯城竜太さんのワークショップによる効果も大きいです。これら1月に行われた授業ではともに、かなりの難易度の課題が出されましたが、これらを乗り越えてきたことが、新芸術校の熱量を増していったと言えるでしょう。卯城さんのワークショップではちょっとした事件が起きました。生徒のひとり、Y戊个堂(あぼかどう)さん★1が「不在」を宣言し、授業を中座してしまった挙句、生徒同士のLINEグループからも退会してしまったのです。じつは、それらはすべてワークショップに応答した作品としての行為で、その後の講評の時間には彼からメールで作品意図が送られてきたのですが、新芸術校のスタッフの間でちょっとした動揺があったのは言うまでもありません。

★1 Y戊个堂(あぼかどう)さんの「あ」の字は、本来は漢字表記ですが、表示上の制約から「Y(ワイ)」に置き換えさせていただきました。またその際、「あ」の字をYで代用することに関しては、ご本人から、Y戊个堂を名乗り始めた当初から正式に認めていることであり、「Y」で代用された場合には「ワイボカドウ」と読まれることも了承している旨、お知らせをいただいております。(編集部)


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