世界初の軍歌ミュージアムがなぜ台湾に?|辻田真佐憲

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初出:2015年06月15日刊行『ゲンロン通信 #16+17』
 昨年の12月14日、台湾南部の屏東市に「軍歌館」がオープンした。その名のとおり、軍歌専門のミュージアムである。私は20年近く世界の軍歌を調べてきたが、いまだかつて軍歌をテーマとするミュージアムの存在は聞いたことがなかった。

 なぜ、軍事でも音楽でもなく、軍歌の博物館なのか。誰が一体何のために開設したものなのか。次々に疑問が湧き、居ても立ってもいられなくなった私は、さっそく航空チケットを取り、オープンして10日後の24日に外国人として初めて同地に乗り込んだ。

 世界の軍歌をテーマとする本連載の初回として、以下その訪問記をお送りする。

 そもそも、私がこんなにも早く「軍歌館」を訪問できたのは、フェイスブックで台湾の漫画表現研究者のサイ錦佳チンチア氏(37歳、取材時)に開館を知らせてもらったことが大きい。

 屏東市に住む氏は、神戸芸術工科大学の大学院に留学し、大塚英志氏に師事した経歴の持ち主。軍歌が専門ではないが、同館の設計や展示に関わり、その中で日本の軍歌研究者である私にも声をかけたのだという。この日は、通訳を務めていただいた。

 また、同日は台湾の軍歌研究者であるリー文堂ウェンタン氏(67歳)が私のためにわざわざ台北市からやって来られた。氏は屏東の出身で、政治作戦学校で音楽を修め、その後長く国防部芸術工作総隊に勤務して、軍歌を数多く生み出した実作者でもある(現在は退官)。「軍歌館」の展示は、その著作『台湾軍歌発展研究(1949–1991)』に多くを拠ったと聴く。

 その他、屏東県庁文化部の課長まで顔を出された。突然の訪問だったにもかかわらず、盛大な歓待を受けて恐縮してしまった。

 さて、肝心の「軍歌館」である。母屋は111坪の平屋で、なかなか立派な印象だ。ゲンロンカフェの広さが40坪といえば、その大きさが分かるだろうか。

 ただ、それ以上に意外な発見があった。なんとこの建物は、日本統治時代の陸軍官舎だったというのだ。「軍歌館」だけではない。「勝利新村」と呼ばれるこの地区の建物の多くは、昭和初期に整備された飛行第八連隊の官舎なのである。これほどまとまって残っている日本軍の官舎群は台湾でも珍しいとされる。

 なるほどよく見ると、屋根などに日本家屋の面影がある。とはいえ、屏東市は冬でも気温が20度を超える南国。椰子の木が生い茂る景色は異国情緒に溢れ、いわれなければ日本時代の建物と気付かなかったかもしれない。

 これら官舎群は、戦後に国共内戦で敗れた国民党政府によって接収され、大陸から渡ってきた人々の住居とされた。このようなエリアを台湾では「眷村」と呼ぶが、「勝利新村」は台湾の複雑な歴史を今に伝える貴重な場所なのである。

 今なお人が住む建物もあるものの、空き家は県庁によって管理され、その一部が「軍歌館」のようなミュージアムや飲食店に改造されて観光客を受け入れている。県庁文化部の課長まで迎えてくれたのは、このような事情が背景にあった。

 前置きが長くなってしまった。「軍歌館」の中に分け入ってみよう。そこには、日本では考えられないほど贅沢な造りの空間が広がっていた。

 例えば、受付前に設置された大きなタッチパネル。ここでは、台湾の軍歌史や「軍歌館」の成り立ちなどを知ることができる。また、常設展室にはところどころにアイパッドが備え付けられ、展示に則した軍歌の動画も閲覧可能だ。軍歌のリズムに合わせてボタンを押して点数を競う、「太鼓の達人」のようなゲームのコーナーまである。

 屏東市は高雄市に隣接するが、それほど大きな街ではない。いってしまえば普通の地方都市だ。にもかかわらず、「軍歌館」は日本の地方にありがちな、ガラスケースに史料が並んでいるだけの郷土資料館の類とは全く印象が違う。

 母屋だけでも内容十分なのだが、さらに隣には別棟も建っている。そこには映写室があって、将来はゲストを呼んでここで講演してもらうことも考えているらしい。

 母屋の一室に椅子を並べて、そこを即席のイベントルームにすればいいのでは……と思わず考えてしまうのは、貧しい文化予算と高い場所代との間で右往左往することに慣れてしまった東京人の悲しい宿命だろうか。とにかく、羨ましいほどの豪華さが私の印象に強く残った。

 もちろん、李文堂氏が関わっているだけあって、常設の展示もよくできている。日中戦争の頃から現在に至るまで、台湾(中華民国)軍歌の変化が手に取るようにわかる。国防部の後援を受けるものの、展示は概ね冷静で、普通のミュージアムを想像してもらえばほぼ間違いない。

 とりわけ、国民に飽きられないように国軍が女性歌手に軍歌を歌わせたという話は興味深かった。そう、国軍も軍歌を普及させ、愛国心を育てるためにあらゆる手を尽くしたのだ。また、1990年以降は中国との関係改善を受けて、反共的な歌詞が改訂されたという指摘も印象に残った。

 私が訪問した時は「熱血燃焼的音符」という特別展をやっていて、台湾軍歌の作者の系譜や、LPレコードなどを見ることができた。私のような軍歌の研究者にはまさに宝の山であり、この時の感激は一生忘れることはないだろう。
 それにしても、私は「軍歌館」の贅沢な造りを見て、彼我の軍歌に対するイメージの違いを考えずにはおれなかった。

 現在の日本において、軍歌は軍事マニアや右翼が愛好するマニアックな音楽ジャンルに過ぎない。自衛隊歌もあるにはあるが、多くの日本人は一曲さえ知らないだろう。だから、軍歌「ごとき」にこれほど立派なミュージアムができること自体に新鮮な驚きがあった。

 これに対して、台湾ではいまだ軍歌が現役だ。男子には兵役義務があり、誰もが軍歌を歌った経験を持っている。中高年にとっては、軍歌は青春の思い出に他ならない。

 また、軍歌は将兵の専有物ではなく、一般国民にも広く知られている。現に屏東県では、かつて同地で軍歌を使って少年兵を教育した孫立人将軍の故事に倣い、ここ5年ほど軍歌コンクールを毎年催している。これも軍歌が現役でなければ考えられないことだろう。

 つまり、軍歌ミュージアムを公金で作る政治的な理由も、それが屏東にある歴史的な理由も、しっかりとあるわけだ。蔡錦佳氏は開館に当たり、日本の古賀政男音楽博物館、民音音楽博物館、浜松市楽器博物館などを訪問したと教えてくれたが、なるほどと膝を打つ思いだった。台湾における軍歌とは、決してマイナーでもローカルでもなく、音楽博物館で扱ってよいほどの一大コンテンツなのである。

 このような台湾人の(軍歌を含めた)軍事に対する「近さ」は、昼食時にも感じられた。私は「勝利新村」にある軍事テーマレストラン「麗貞館」を訪れたのだが、壁一面に様々な国の軍服やポスターが飾られた内装に圧倒された。中には「米帝に無慈悲な懲罰を!」と叫ぶ北朝鮮のポスターまで。これには思わず笑ってしまった。この内装は、店長のチャン事中ユーチョン氏(44歳)の趣味だという。軍事マニアというと、日本だと内向的で暗いなどあまりいいイメージがないかもしれない。ところが、張氏には全くそんなところがない。店はむしろ地元の普通の人で賑わい、とても繁盛していた。日本では考えにくい光景だろう。

 もうひとつ印象的な光景は、「軍歌館」の庭で結婚式の記念撮影をしていたことだ。このカップルも軍事マニアというわけではなく、珍しい建物なのでその前で撮影しただけとのこと。私はこれにも軽いカルチャーショックを覚えた。

 しかしこれは何も、台湾が北朝鮮のような軍事国家だというのではない。むしろ台湾は日本人にも馴染みのある近代的な民主国家だ。ただ、軍事に対して付かず離れずの絶妙な距離感がここにはある。そして、おそらくこの距離感こそ「軍歌館」の存立にも関係しているのではないかと思われた。

 つまり、軍事に対して全く理解がなければ、「軍歌館」のような施設は成り立たない。しかし一方で、軍事国家ではプロパガンダが先立って、中立的な展示は難しい。その意味で、私は「軍歌館」に台湾社会の軍事に対する絶妙な距離感を見た気がしたのである。

「軍歌館」は県の持ち物なので、今後県庁文化部の方針が変われば、別のテーマの施設に変わってしまう可能性もあるという。日本陸軍の官舎から眷村文化、そして「軍歌館」へ。この建物の変遷を追えば、台湾社会の変遷をも窺えるのではないかという気がした。それゆえ、今後も順調に「軍歌館」が発展していくのかどうか、私は注目したいと思っている。


参考文献
■李文堂『李文堂歌曲集』楽韻出版社、2001年。
■徐芬春(編)『街角的幸福 勝利眷村蛻變之美』屏東縣政府、2012年。
■林思玲『將軍之屋・故事』屏東縣政府文化處、2012年。

「軍歌館」へのアクセス 住所は屏東市青島街九十七號。高雄駅から屏東駅まで鉄道で約30分。そこからタクシーで約3分。

辻田真佐憲

1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文藝春秋)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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