「パープルームの呼び声」が、5/31(月)より相模原のパープルームギャラリーにて開催!

ゲンロンα 2021年5月25日 配信

5月31日(月)より、美術家の梅津庸一さんが主宰するパープルームの企画展「パープルームの呼び声」が開催されます。会場は相模原のパープルームギャラリー。

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989–2019」(企画・監修=椹木野衣)への応答として開催された前回の企画展「Dirty Pollen 悪い場所からの遊離」では、椹木の「悪い場所」の概念に抗して「花粉(pollen)」が対置され、パープルームメンバーの作品やテクストをつうじて、パープルームという集団の原点や美術の意義そのものが問いなおされました。

それから約2か月後の本展では、メンバーのツイートや思いつきから生まれた言葉の断片が手描きでレタリングされた「フラッグ」が展示されます。
「平成美術」展の出典作《花粉の王国》でも、ふしぎな(しかしときに本質的な予感が光る)文言が書かれた布やテープが展示されていました。「フラッグ」のみで構成される本展は、いわばひとつのエクリチュール空間であり、そこでは「日々移ろいゆくパープルームの不定形」がいっそう浮き彫りにされ、パープルームという運動体への問いがさらに深められてゆきます。

 

パープルーム予備校の様子
パープルーム予備校の様子

 

パープルストリート

パープルストリート

 

 

【主催者ステイトメント】

 私事で恐縮だが、実は今信楽に滞在している。ワンルームのアパートを借りて数ヶ月の間、陶芸作品をつくる計画だ。まだ陶芸を始めて1年足らずなので陶芸に関しては素人同然なのだが、陶芸に触れるうちに自分がこれまで関心を持ってきた美術の領域と同じような構造が陶芸にも見出せるということがわかってきたところだ。
 信楽は窯業の町で、いたるところに工房や陶芸を売る店、粘土や釉薬を取り扱う陶芸材料専門店、そしてタイルやブロックなどの建材や、さまざまなセラミック製品を作る工場が見られる。最近知ったことだが、明治時代に来日したドイツ人の化学者ゴットフリード・ワグネル(1831- 1892年)は西洋から窯業計算、石灰釉、平地窯、陶磁器の焼成温度を測定するゼーゲル錐などをもたらし、「やきもの」の産業化を加速させた。ワグネルがこれまで職人の勘や経験によって作られてきた陶芸の技術や素材の組成を数式化し体系化したことは産業のみならず、作家として陶芸をつくるものたちへも大きな影響を与えた。ほんの一例に過ぎないが、信楽には民芸運動で知られる、河井寛次郎や濱田庄司、走泥社の中心メンバーである八木一夫など、必ずしも産業と親和性が高いとはいえない者たちも関わってきた。また、1982年には地元企業である大塚オーミ陶業がロバート・ラウシェンバーグを招聘し技術提供を行なった上で巨大な陶板作品を制作した。このように信楽は外部との関わりを持ちながら厚みのある陶の歴史を形づくってきたのだ。
そして、これはあくまでもわたしの実感に過ぎないが、陶というメディウムはアートや芸術を担う著名な作家たちのものである以上に、生活者や研究者や地元産業など一見ばらばらなものをつなぐ結束点のように機能してきたように思う。だが、現在の信楽を見ていると同じ町内で同じ素材・技術を用い、交友関係を持ちながらも、工業製品、日用品、現代アートのマーケットで売り買いされる陶芸などの様々な「やきもの」はそれぞれ別の方向を向いてしまっているように感じられる。
 わたしは信楽からすれば「よそ者」であり縁もゆかりもないが、このバラバラな状況を手繰り寄せ、見えなくなってしまった文脈を掘り起こし、新しい運動を起こしたいと思うようになった。

 

 冒頭で述べたように、陶芸が辿ってきた道は明治期に美術という制度を移入した日本の美術の歩みと呼応するところがある。つまり、わたしが個人またはパープルームでやってきたことと無関係ではないのだ。また、陶芸の場合、絵画よりも日常生活と近しい側面があり「生活と制作」、「展覧会場」、「学校」などを統合しようと試みてきたパープルームの営みと親和性が高い。

 

 冒頭で述べたように、陶芸が辿ってきた道は明治期に美術という制度を移入した日本の美術の歩みと呼応するところがある。つまり、わたしが個人またはパープルームでやってきたことと無関係ではないのだ。また、陶芸の場合、絵画よりも日常生活と近しい側面があり「生活と制作」、「展覧会場」、「学校」などを統合しようと試みてきたパープルームの営みと親和性が高い。
《花粉濾し器》という左右非対称のテニスラケットがついたようなオブジェを作るために、よなよな1人スタジオで信楽産の粘土を積んでいると、花粉濾し器のフィルターの向こうに、相模原と信楽、近代から現代の間を漂う花粉を夢想してしまう。

 

 パープルームを始めて8年あまりが経つが、これまで長い期間相模原を離れることはなかった。
 1人で信楽に滞在していると、山形から上京して1人暮らしを始めた時のことを思い出す。しかし、実際には相模原にパープルームメンバーや予備校生を残してきており、もはや単身赴任と言った方が近いだろう。信楽で作陶に打ち込む傍ら知り合いがあまりいないため、必然的にSNSをチェックする頻度も高くなる。パープルームの様子を逐一チェックしてはLINEや電話で1日1回はメンバーや予備校生と連絡をとっている。

 

 物理的にパープルームのある相模原から離れることで、これまであまりにも身近な存在だった「パープルーム」という存在についてあらためて考えるようになった。

 

 前置きが長くなってしまったが、本展の話に戻ろう。
 じつは本展「パープルームの呼び声」は信楽に来る前に展示空間自体は出来上がっていた。しかし、相模原を離れてからの数週間のうちに展覧会の意味合いは変わってきた。それは展覧会の内容や作品への解釈が変化したからではない。
 パープルームギャラリーの特徴のひとつは運営や店番を専属のギャラリストやスタッフではなく、パープルームのメンバーが担っている点だ。パープルームギャラリーの展覧会はたんに作品を見せる場ではなく、観客とパープルームのメンバーが直に交流する場でもある。通常、現代アートの展覧会にはホワイトキューブと呼ばれる、作品にとってニュートラルでノイズの少ない空間が採用されることが多い。また、そこではギャラリーのスタッフが展覧会の中で前面に出ることも少ないだろう。そういう意味で観客が作品を静かに鑑賞するのが一般的な展覧会というフォームに対してパープルームギャラリーは逆行していると言える。またそれは、観客との対話自体を作品とする類いの動向とも異なる態度であり、美術展であるよりも、時として訪れた観客との挨拶や会話に重点が置かれたりもする。このような接客における「気さくさ」、「敷居の低さ」はパープルームの観客の層を明らかに広げてきた。
 パープルームギャラリーの展覧会は、毎回テーマを設定し、作品や展覧会の意図についてわかりやすく丁寧に解説をしているが、それ以外にパープルーム予備校やメンバーそれぞれの近況、トラブル、隣のみどり寿司への熱のこもった案内などが目まぐるしく展開され、あたかも「日常系」あるいは「学園もの」のドラマの世界に紛れ込んだように錯覚する観客も少なくないようだ。
 本展はこれまでのパープルームギャラリーの展覧会とは違い、特定の作家を紹介する企画ではない。さらに言えば、個人に帰属する作品を展示するタイプの展覧会でもない。いわば、「パープルームとは何か?」というもやもやとした問いが中心に渦巻いている展覧会なのである。

 

 今回展示されているのは「フラッグ」と呼ばれる文字が手描きでレタリングされた数枚のカラフルな布である。フラッグには標語のような文言や不可解な宣言文や擬音語などが書かれており、展覧会のみならず普段からパープルーム予備校などに掲げられている。フラッグに書かれたメッセージの出典元はメンバーのツイートだったりその場の思いつきだったりすることが多い。しかしながらフラッグに書かれた言葉たちはもともとの意味や文脈から切り離され、別の意味や解釈を受け入れる余剰と抽象性を獲得している。しかし、それらからは少なくともいわゆるコンセプチュアル・アートで使われる言語のような厳密さや清潔なユーモアは感じられない。
 ところで、粘土は一定期間寝かせることで微生物や雑菌が繁殖し、粘土に粘り気や可塑性を与えることが知られている。パープルームのフラッグには粘土における微生物のようなものが含まれているように思う。

 

 そんなフラッグのみで構成された本展には、いくつもの言葉や声がこだましている。
その言葉や声の主は誰なのだろう。本展がパープルームという主体を問うものである以上、そこには安定的ななにかが存在しているはずもなく、日々移ろいゆくパープルームの不定形が「ぐにゃん」と横たわっているのだ。

 

梅津庸一(2021年5月19日、信楽にて)

 

 

【パープルームのプロフィール】
2013年に生まれた相模原を拠点とする美術の運動体。
安藤裕美、アラン、わきもとさき、シエニーチュアン、大樹、齊藤孝尚、梅津庸一ほか

 

「パープルームの呼び声」
会期|2021年5月31日(月)〜6月12日(土)(水曜は休廊)
時間|15:00〜20:00
会場|パープルームギャラリー
企画|パープルーム
協力|パープルーム予備校
公式サイト|parplume-gallery.com//

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