【 #ゲンロン友の声】先日のニコ生番組「言いたいことを言う放送」について

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 今日のニコ生(※編集部注 8/3(木)放送の「安倍離れ?内閣改造について言いたい事を言う生放送 《東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗》」のこと)拝聴しました。東さんは「日本はこれから超格差社会になる」と仰られていました。また「政治よりもシステムよりも気持ちが大切だ」とも。コンビニに行くと中年のおっさんが普通にバイトしています。私もコンビニを普通に利用しています。アウシュビッツを支えたのは普通に真面目な人々であり、アウシュビッツの悲惨な生活にも収監されたユダヤ人たちも徐々に慣れていったそうです。観光客の哲学が指摘しているように「家族(みんな)」というのはとても恣意的で、同じ国民の中年が生活を掛けてバイトをしていることを客は疑問に思わないし、貧乏であることに働く側も慣れつつあるように思います。これは個人の「やる気」とは別の問題で「全体のゲームの有り様」が決めていることだと思います(全体のゲームが個人のやる気を決める。また観光客と家族の哲学は徐々に全体を変える思想)。そこが三浦さんと噛み合わなかったところだと私には思えました。かなり絶望的な状況ですが、一方で東さんは「オレは人間を信じている。人間なら乗り越えられる」とも発言されておりました。この現状と人間の認識のギャップについてお教えください。(東京都, 30代男性, 友の会会員)
 社会のありかたはアーキテクチャ(システム)だけで決まらないし、かといってエージェント(ひとのきもち)だけでも決まらない。その相互作用であるというのは、あらためて言うまでもないと思います。それで翻って日本ですが、この国の現状はもはやアーキテクチャ(システム)の改善だけでなんとかなる段階を過ぎてしまったのではないか、というのがぼくの認識です。たとえば少子化。格差。生活保護バッシング。いっこうに進まない女性の政治進出(日本の国会議員のジェンダー偏差は本当に異様です)。あるいは終身雇用制。より広く多様性を排する社会風土。ヘイト。むろんシステムは遅れている。政策で改善すべきところはたくさんある。保育園は作るべきだし貧困対策も進めるべきだしベンチャーも支援すべきだしヘイトスピーチも規制すべきです。しかしシステムだけで本当に問題が解決するのか。どうもあやしいのではないか。むしろそのようなアーキテクチャ志向の議論こそが、「本当の困難」から目を逸らす楽観主義ではないのか。かつて社会批評というと、ひとのきもちばかり語る議論が優勢でした。しかしゼロ年代には、その反動でこんどはとにかくシステムだという議論が強くなった。システムを語るほうがクールに見えた。けれどぼくはいま、もう一周まわって、どうもこの国では、もはやシステムを変えてもなにも変わらないのではないかという気持ちになっている。ひとが変わらないかぎり、この国は変わりようがない。裏返せば、もしこの国が変わるときがあるとすれば、それはひとが変わるときでしかないだろう。ぼくはそう思います。そして、そのようなときがほんとうに来るのかどうか、それはまったくわかりません。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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