【 #ゲンロン友の声】哲学書はどう読めばいいのでしょうか?

 こんにちは。僕はゲンロンカフェに通ううちに哲学に興味を持ち、カフェで話題になっている本を読んでみたりするようになりました。ですが、現代の単行本や新書は読めても、過去の哲学者の本は読むのが大変難しいです。具体的にはカントの『純粋理性批判』を読み始めたのですが、まったく書かれていることが理解できません。入門書も一冊読んだのですが、入門書に書かれていないパートにくるとやはり全く理解ができません。僕のような学力の人間には、哲学書を読むのは向いていないのでしょうか。もしも何かアドバイスなどありましたらご教授頂ければ幸いです。(東京都・33歳男性・友の会会員)

 哲学書を読むのにはコツがあります。哲学書にはさまざまな言葉が出てきます。たとえば問題のカントの本であれば「理性」とか「超越」とか「カテゴリ(範疇)」とかが出てくるはずです。これらの言葉はいっけん意味がわかりそうに見えます。実際「理性」や「超越」などの言葉は、日常で使わないこともありません。けれども問題は、その日常の意味を拡張していくら考えを深めても、カントの思想には到達できないことです。カントにはカントの人間観があり、彼のなかでは「理性」とか「超越」とかはそのシステムに基づいて使われています。たとえば彼の哲学では「理性」と「悟性」は厳密に区別されますが、その差異はいくら漢字の字面を見て唸っていても理解できず、理解のためにはまず彼の哲学のシステム全体(超越論的世界と経験的世界の二つの世界をつなぐものとして人間を捉えるという発想の全体)を捉える必要があります。じつは哲学書が厄介なのはまさにここで、カントにかぎらず、一般に哲学書では、表面的にはよく使われる見知った言葉が出てくるにもかかわらず、それらはじつはみな専門用語として日常とは離れた意味で使われているので、日常の意味を拡張していくら考えても肝心のところは理解できないことが多いのです。そんなのおかしいじゃないか、新しい概念なら新しい言葉を作れよと思うかもしれませんが、哲学というのは本質的に過去の哲学のアップデートとしてのみ提出されるという性格をもっているので、話はそう単純でもなく、いずれにせよ哲学とは「そういうもの」なのだとわりきって諦めるしかありません。というわけで、裏返せば、哲学書を読むコツというのも明確で、それはまず、哲学書に出てくるすべての言葉の日常的な意味をいったん忘れて、そして同時に日常的な感覚での理解もすべて忘れて、言葉と言葉の関係にのみ注目することです。つまり、一文一文の意味を直接に理解しようとするのではなく、「なるほど、こいつはこの言葉はいい意味で、べつの言葉は悪い意味で使ってるんだな」「この言葉とこの言葉を対立させるんだな」「この対立とこの対立はつなげるんだな」と、そうですね、まるで人間関係のゴシップを見るかのように、概念と概念の関係のみを捉えていくのです。そうすると、かなりむずかしい哲学書でも、言葉と言葉の関係をトレースするだけで、いちおうはすいすいと「読める」ようになります(それはいわば、本体の物語にまったく興味がないのに、登場人物の関係だけを使って二次創作を作るような行為です)。むろん、そんな読みが本当の哲学なのかといえば、それはそうではなく、ほんとうはそのような表面的な概念理解こそ、もういちど現実のぼくたちの生につなげなければなりません。そうでなければただの哲学概念オタクになります。実際にそういう人々は無数にいるし、彼らはそれを哲学だとカンチガイしてもいる。ぼくはそういう人々が嫌いなので、大学の外で哲学をやっています。それはそうなのですが、とりあえずは、以上のような態度を取ることで哲学書のテクストは「読める」ようにはなるはずです。いちど試してみてください。(東浩紀)
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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