【 #ゲンロン友の声|020 】音楽やスポーツはどのように社会と共存すべきでしょうか

 はじめまして。いつもシラスなど興味深く拝見させていただいております。
 質問なのですが、音楽,スポーツはどのように社会と共存していくべきなのでしょうか?
 これまでのコロナ禍では、フェスやスポーツ観戦などのイベントが中止や実施方法の見直しが行われています。主催者や出演者なども今は我慢の時だからと異論はあまり唱えられていなかったと思います。
 音楽やスポーツなどの娯楽が人生に幸福をもたらすものであるということはわかっているのですが、同時に、それらは突き詰めれば人間の生命活動にとっては不要なものに分類されるとも考えています。とすると,いつまでも再開を主張しないままでは音楽やスポーツは忘れ去られるか縮小していくのではないかと思います。
 他方、その必要性を声高に主張した場合には、社会から「危機的状況なのにわがまま言うな」というような反応があり、明示的に排除される可能性もありえたと思います。
 このような時に、どのようにして社会に不要なものの必要性を訴えていくことができるのでしょうか? それとも危機は一時的なものなので、過ぎ去ればこれまでどおりに戻っていくと考えてもいいのでしょうか?
 このことについて何か思うところがあれば、教えていただけるとありがたいです。(宮城県・30代・男性・会員)

 アクチュアルな質問をありがとうございます。まず最初に大きな回答からすると、ぼくは音楽やスポーツが不要のものだと思いません。それは人間が人間として生きるために必要なものであり、その必要性を訴えることはまったく「わがまま」ではありません。

 そもそも「生きること」には2つの異なった意味があります。ハンナ・アーレントはそれを「ビオス」(人間としての生)と「ゾーエー」(動物としての生命)と区分しました。音楽やスポーツはゾーエーにとっては不要不急かもしれません。しかしビオスにとっては必要不可欠です。そしてビオスがなければ人間は人間ではいられません。

 ビオスはゾーエーを前提とします。だから、ゾーエーが脅かされているときビオスのクオリティは二の次だという反論はありえます。しかしそれはあくまでも短期の緊急対応に限定すべきです。ゾーエーのみが優先された社会は人間的な社会とはいえないからです。今回のパンデミックでも、むろん、初期の時点ではイベントの中止はやむをえなかったでしょう。けれども、ぼくたちはもはや、よかれ悪しかれ感染症のなかで日常を回復せねばならない段階に来ている。その状態でもいまだに不要不急のイベントは中止しろという単純な主張をする人々が多いのは──それも教育や知的産業に従事する人々のなかで多いのは──、たいへん残念なことです。ぼくたちがいま考えるべきは、完全な感染防止を目指すことではなく、あるていどの感染を許容しながらビオスを取り戻す方法のはずです。少なくとも、「ビオスを取り戻すことが大切だ」という大きな方針は共有されるべきです。

 加えてもうひとつ、質問とは少し離れ、そしていささか話を厄介にするのですが、記しておきたいことがあります。コロナ禍のなかで、音楽やスポーツについて語ることはますます「政治的」になり、ミュージシャンやアスリートにも態度表明が求められるようになってきました。それはコロナ禍以前からの動きですが、ぐっと勢いを増しました。それを歓迎しているひともいます。そもそもアーレントの区分によれば、人間的な生(ビオス)を代表するのは政治活動ということになっていたので、音楽やスポーツがゾーエーではなくビオスに属する営みなのであれば、政治に近づくのは必然ということになるのかもしれません。

 けれどもぼくは、音楽やスポーツが過剰に政治に近づくことは、みずからの可能性を狭めるように思えてなりません。政治はつねに「友」と「敵」をつくります。人間が人間であることの否定的な面がそこにあります。けれども音楽やスポーツの可能性(それはときに危険性にもなるのですが)は、そんな友と敵の境界を、一時的な幻想ではあれ消してみせてくれることにもある。ひらたくいえば、音楽やスポーツは、ビオスに関わるものでありながら、同時にその限界を超えることができるものでもあるわけです。それはおそらく、両者がともに言語ではなく身体に関わる営みで、片足をビオスにかけながら、同時にもうひとつの足をゾーエーに突っ込んでいることに起因していると思います。人間はゾーエーだけで生きるわけではない。ビオスは大事です。けれどもすべてをビオスにすればいいわけでもない。

 この意味では、音楽やスポーツはいま二重の苦難のなかにあるといえます。それは一方では不要不急だ(ゾーエーには関係ないものだ)といって切り捨てられていますが、他方では政治(ビオス)のなかに急速に取り込まれている。でも本当は、音楽やスポーツの豊かさは、ゾーエーとビオスを横断することにあったはずです。そんな豊かさを感じられる時代が、早く戻ってくるといいなと思っています。(東浩紀)

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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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