【 #ゲンロン友の声|006 】 コロナ・イデオロギーのなかで災害はどうなるでしょうか

 こんにちは。ゲンロンβ48の「観光客の哲学の余白に 第20回」を拝読させていただきました。東さんと同じように、私もコロナ・イデオロギーが全面化している社会に問題意識を抱いていますし、私如きが指摘することは差し出がましいかもしれませんが、世界の言論人はこれに抵抗するべきだと思います。そこで質問ですが、自然災害への対応という観点から、コロナ・イデオロギーに対抗することはできないのでしょうか。世界各国の状況について完璧に把握しているわけではありませんが、自然災害が起きると、その度に人々は避難所で密集生活を送るのではないかと思います。特に日本では、夏には日本列島を台風が通過し、そのたびに大きな被害が予測される地域では避難勧告が出されます。地震が起きた場合には、被災地の住民は長期間に渡って集団生活を強いられるかもしれません。今年も、あと2ヶ月もすると日本列島を台風が通過し、その被害から逃れるために避難所に集まるか、コロナウイルスに感染しないために自宅に留まるのか、日本人はどちらかを選ばなければいけなくなると思います。この選択に直面するだけでも日本人はパニックに陥るような気がしますし、仮に避難所に集まったら、その場所は怒号が飛び交うような地獄絵図と化すような気がします。正直に言って、日本社会の先行きが思いやられます。長文、申し訳ありません。(大阪府・20代・男性・友の会会員)

ゲンロンβをお読みいただきありがとうございます。さて、質問へのお答えですが、まさにそのとおりでコロナ・イデオロギーでは被災者は救えません。災害にあたりオンラインでできることはといえばニュースをRTしたりYouTubeで寄付を呼びかけたりするくらいしかないわけで、現地にだれかがいって、身体的な濃厚接触をもって被災者を抱きかかえたり毛布をかけたり食事を配ったりしなければ、これはもう話にならない。そして、そこでいちいち「密」が危険とかいっていたら、救出や保護の効率が著しく下がることもまちがいないわけです。したがって本来はそういうときは、行政の長なり感染症の専門家なりが「災害にあたっては感染拡大の予防よりも人命を優先すべき」とはっきり宣言しなければならない。そして国民もそれを支持しなければならない。そうでなければ自衛隊もNPOも自信をもって救援活動ができません。——ですが、そんな宣言が現実に出るか、そして国民がそれを支持するかといえば、じっさいはまったくそう思えないのが辛いところです。地震はわからないにしても、日本では確実に夏には台風が来る。そして確実にどこかで避難勧告なりなんなりが出て、確実に「密」な避難所が生まれる。現状のままだとそこで考えられるのは、その「密」をSNSに投稿し不安を訴える市民が現れ、マスコミが望遠レンズをもって駆けつけ、ワイドショーが行政を無責任に叩き、その批判に対して防衛的になるあまりつぎの災害では救援そのものが遅れてむしろ犠牲者が増えるといった、じつに不毛な未来でしょう。その未来を避けるには、「避難所でクラスターが発生するのはまずいかもしれないけど、ステイホームを守って洪水や土砂崩れに呑まれたらもっとまずい」というごくごくあたりまえの常識をみなが共有するしかありません。それはいいかえれば、あるていど諦めるということです。そもそも日本人は、災害についてはけっこう諦めているはずです。ぼくはいま東京に住んでいますが、東京なんて今後30年で大地震がくる確率が70%とかいわれているのです。それでもみな諦めて住んでいる。それどころかビルまで建てている。生きるとはそういうことです。感染症についても、いいかんじで諦めて、共存して生きていくほかないと思います。いますでに、自然災害と共存して生きているように。(東浩紀)
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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